甲斐絹とは羽織の裏地に用いられる高級絹織物として、江戸時代から昭和初期にかけて盛んに生産されてきました。しかし、甲斐絹が最後に織られたのは1940年代のこと。
甲斐絹は、羽織などの和服が日常的に使われていた時代の終焉とともに、姿を消してしまった織物なのです。当時使われていた羽織などの形で現存するものは少なく、幻の織物といわれています。
しかし甲斐絹を織る技術は、これまでにもご紹介した「濡れ巻き整経」のようなさまざまな形で遺されています。
いったい、中野さんのお宅では何が見つかるのでしょうか?
甲斐絹は、羽織などの和服が日常的に使われていた時代の終焉とともに、姿を消してしまった織物なのです。当時使われていた羽織などの形で現存するものは少なく、幻の織物といわれています。
しかし甲斐絹を織る技術は、これまでにもご紹介した「濡れ巻き整経」のようなさまざまな形で遺されています。
いったい、中野さんのお宅では何が見つかるのでしょうか?
昔は屋根裏で蚕を育てていたそうです。今では屋根裏は倉庫として使われており、甲斐絹を織っていた時の道具はすべて屋根裏に保管されているとのことで、さっそく屋根裏に上がらせてもらいました。
屋根裏の奥に倉庫があり、その中には年代を感じさせるものたちが沢山置いてあります。暗いので、携帯電話を懐中電灯変わりに甲斐絹関連グッズの探索です。二層構造になっている屋根裏の一番上の階には織物関連の物であろうと思われる謎の道具類がチラホラと見受けられましたが、今回は床が抜けそうだとのことで探索を断念。。
特に珍しいのが、上の写真にある経糸を整経するときに使用する道具。
木のレールと糸を引っ張るトロッコなのですが、これらの道具の形状から、今までこのブログでも何回かご紹介している濡れ巻き整経で使われるものではないかと思われます。
濡れ巻き研究家でもあり、甲斐絹にも精通している五十嵐リーダーも興味津々です。
この道具の使用方法などは、まだわからないところも多いので、ひきつづき研究の余地ありです。
参考:濡れ巻き整径関連の記事
ひととおり屋根裏に置いてあった物に目を通した後、最後に中野さんがおもむろに古い箪笥の中から取り出したのが、中野さんのおばあさんが織ったという着物や羽織!!
もしや、この中に当時に作られた甲斐絹があるのではないかと、調べてみると‥‥
少し前まで、甲斐絹に関する資料は古い家や蔵が沢山あったらしいのですが、だんだんと古い家の建て替えが進み、それに伴い貴重な甲斐絹の資料も処分されてしまったらしいです。
そのため、今では当時使われていた甲斐絹が見つかることもあまり多くありません。
これは大収穫!!
また、都留市の歴史や文化を展示している都留市博物館「ミュージアム都留」では、平成25年に開催される「富士の国やまなし国文祭2013」に向けて、甲斐絹の展示会、「プレ甲斐絹展」が平成24年7月21日(土)から開催されています。(この様子はのちほどレポート予定ですのでお楽しみに!)
ミュージアム都留では、来年の国民文化祭に向けて甲斐絹などの資料を収集しています。みなさんの蔵の中やタンスの中の古い着物の裏地に、もしかしたら甲斐絹が使われているかも。それらをお持ちの方はミュージアム都留までご連絡ください!
以下ミュージアム都留のホームページより
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■甲斐絹、さがしています!
平成25年に開催される「富士の国 やまなし国文祭 2013」に向けて、ミュージアム都留では「甲斐絹」の展示会を開催します。甲斐絹や郡内織・甲州織などをお持ちの方はミュージアム都留までご連絡下さい!
※甲斐絹募集に関する連絡先:0554-45-8008 (ミュージアム都留)‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐
甲斐絹のことをもっと詳しく知りたい方はこちらから↓
The Kaiki Museum
(高須賀)