先日発行された冊子、『WARP』に掲載されているコラム「文化人類学的工場探訪」は、『WARP』と、同時にリリースされた生地カタログ『WEFT』で山梨ハタオリ産地の生地セレクトを担当した、森口理緒さんへのインタビューから生まれました。
森口理緒さんとは?
森口理緒さんは、富士吉田でテキスタイル産地とファッションブランドをつなげる存在を目指して活動中の、いわゆる「ハタジョ」と呼ばれる若者のひとりです。
※ハタジョ:山梨産地に移住してテキスタイル関連の活動を積極的に行っている20~30代の女性がよくそう呼ばれたり、またしばしば自称してワークショップなどのイベントを開催することもあったりします。
(参考 『HATAORI-MACHI FESTIVAL GUIDE BOOK』2021, 富士吉田市富士山課)
森口さんは大学でファッションやテキスタイルとは全く別のフィールドを学んだあと、卒業後に地域おこし協力隊として山梨に移住して、現在3年目を迎えています。
この2年ほどのあいだ、いろいろな織物工場を訪れてはテキスタイルの特徴や職人さんの魅力を発見し、外部に発信している森口さんは、まるでワイン産地に住みついて、地域一帯のワイナリーの味を知り尽くしているソムリエのような存在。ソムリエがワインと料理の相性を知っているように、「この生地は、あのブランドにぴったりだろうなあ」などと想像しながら、工場とデザイナーのマッチングを実現すべく、日々活躍しています。
そうした経験から『WARP』と『WEFT』の誕生に深く関わった森口理緒さんに、森口さんが工場を訪れる理由や、その背景となる経験について伺いました。
シケンジョテキ初のロング・インタビューです!
文化人類学との出会い
シケンジョテキ 山梨に移住してくる直前、大学の卒論で文化人類学をテーマにしたと伺いました。文化人類学の学科だったんですか?
森口 文化人類学は大学で専攻していたというわけではなくて、3、4年のころに文化人類学を研究している先生のゼミに入ったのがきっかけで学びました。専攻としては、総合政策学部に所属していて、就職先はメディアとか新聞記者が多かったですね。
シケンジョテキ 社会を見て文章化するひとたち。
森口 そうですね、文章化したり、こことここを繋げられそうとか、そういうことを考えるのが好きな人たちが集まっていますね。
シケンジョテキ 学術分野としたらどんなものになりますか?
森口 いろいろな専門の先生がいて、情報系とか、メディアの先生、データ分析、経済、経営。もっと文化よりの研究している先生もいて、ロシア文化、中国文明、宗教系とかも。
シケンジョテキ 最近、社会学、文化人類学が気になります。
森口 社会学は文学部とかに所属することが多くて、どっちかというと統計を用いていろいろな事象を研究するアプローチですね。データをもとに社会の傾向を分析するような。
文化人類学とか人類学では、あまりデータではない、フィールドワークの現地調査とかで研究するアプローチですね。
シケンジョテキ ミクロ対マクロみたいな。なんでフィールドの方に興味を持ったんですか?
森口 ゼミに入るときの面談で、教授になんで私のところがいいの?って聞かれたんです。一見不合理にみえることとかをちゃんと観察して調べてみると、これにはちゃんと理由があるんだよ!っていう風に発見するのが好きだったんですよ。そういうことを理解できる学問ってなにかな、と思っているときにその先生が文化人類学じゃない?と教えてくれて、それで、じゃあここで!って思ったんです。
シケンジョテキ まずやりたいことありきで、それに合うのが文化人類学だった。
森口 そうですね。ゼミの先生は、インドネシアのアダット(慣習法)などを研究している方でした。
ゼミ生はそれに限らず、自分の好きな分野を研究していました。遠野物語や、摂食障害の人を抱えたコミュニティについてだとか、キリスト教の日本のカトリック協会の若者について研究した人も。マニアックなところに目をつけて研究している人が多かったですね。
馬をテーマにした卒論
森口 私が選んだ研究テーマは、馬と人間の関係。3年の後半くらいからテーマを絞って決めていきました。
そのころ、競馬場でバイトをしていたんです。競馬場内にある小さな売店でビールを注いだりして。その時に競馬場に来ている人たちを見て、いい大人があんなにはしゃぐのかと(笑)。馬を見て感動して泣いてる!という風景を見ました(笑)。ただギャンブルの対象として馬をみている人もいれば、馬に対する感情移入が尋常じゃない人もいる。
でも競馬場に来てちゃんと最後までいる人は、なんだかんだで馬を見に来ているんです。馬についてずっと語っている人もいるし。でもそれは、ペットみたいに可愛いとかじゃないんですよね。その感情移入の仕方は一体なんなんだろう?という疑問から始まって、馬と人の関係って面白いなって思いました。
ペットでもないし、家畜とえいえば家畜だけど、ミルクを取らないし、労働力の担い手?
遺伝子的に野生の馬というものは、もう存在していないそうです。家畜が野生化した馬は少しだけいますが。。
シケンジョテキ いないんですか?
森口 いないんです。半野生はいるんですけど。いったん完全に家畜になっているので、完全な野生に戻れないらしくて。
シケンジョテキ お蚕さんみたいな?
森口 そう(笑)。馬と人の関係って不思議だなって思います。最初は競馬の馬を調べていたんですけど、だんだん競馬史みたいになっていってしまって、これはちょっと違うなと(笑)。そして、「馬搬(ばはん)」をやっているという方が日本にいると知って、この関係性は面白そうだ、と。遠野のほうにそれを現役でなさっている人がいたんです。
シケンジョテキ 「馬搬」ってなんですか?
森口 林業の一種で、切った木を森から運ぶのに馬を使うんですよ。馬を使うことにはいろいろなメリットがあって、機械が入れないところにも馬が入ることができたり。林業のために道を作るということは山に対してあまり良くないんですけど、それをしなくて済むとか。中小規模の林業に適していて、山を崩さず、負担をかけず、機械が入れないところにもスルスル入っていける。これから馬搬は見直されるんじゃないかと言われているんです。
馬搬をやっている方とその馬との関係性が面白くて。労働させているんだけど、こっちとしてもお世話になっている。愛着はあるけれど、労働力として使えなくなったときのこともちゃんと考えている。可愛いがり過ぎないけれど、機械ではない。いい距離感。ああ、この距離感って犬や猫とは違うよなと。それに関して考察してみた、というのが卒論でした。動物との関わり方。果たして動物に労働をさせるのは悪いことなのか。そうじゃないんじゃないか?みたいな。
シケンジョテキ 倫理的なところも学問のポイントなんですね。盲導犬とか、牧羊犬とかも同列?
森口 同じといえば同じですね。パートナーとしての動物に興味を持ちました。。
シケンジョテキ 共生している生物同士みたいですね。
森口 人と動物の共生の種類には、どういうのがあるんだろう、という事例のひとつとして馬搬という形を研究したのが卒論でした。
シケンジョテキ 文化人類学の魅力を考えると、人間の社会のあり方には、ステレオタイプなものだけしか知られていないけれど、こんなあり方もできたんだ、という豊かなバリエーションを知ることができるのが嬉しいですね。
森口 白と黒だけじゃない、グレーの中の多様性、そういうのを見るのが好きです。さっきの拒食症をテーマにした社会人類学の例でも、治すことが本当に問題解決なのか、治すことが唯一の解決だとどうして社会では思われているんだろうとか。病気と一緒に生きていくのも一つの手なんじゃない?というところから考え始めたり。そういうステレオタイプじゃない選択肢とか、生き方とかに目をつけるのが好きな人は、人類学とか好きなのかもしれないですね。
シケンジョテキ そういう意味で、機屋さんは魅力がある(笑)。
織物工場に出会って見つけたやりたいこと
シケンジョテキ 山梨の機屋さんに出会ったのは大学時代?
森口 もともと雑誌を読むのが好きだったので、編集的なことをしたかったんです。大学ではサークルもやっていなかったので、インターンとかもしてみたいなと。都内に通うのもつらいので地元の八王子にそういう会社があるかなと調べたら、トリッキーというのがあるぞと(笑)。行ってみたら私が調べていて見つけたフリーペーパー『IDOL』はもうやっていないんだけど、よかったら来る?と言われて行ったのが始まりですね。
何もわからず言われるままに文章を書いたりして。そうしているうちに、ハタオリマチのハタ印のHPを作る仕事が始まって、学生ライターとして山梨にきて取材をさせてもらったのが、機屋さんとの始まりですね。
シケンジョテキ そして、織物はやばいぞ、と。
■森口 もともと家族がみんな洋服やファッションが好きだったので、昔はスタイリストとか洋服に関わる仕事をしたかったときも小さい頃とかあったんです。でも服を作るとかじゃないなーと。私は服が好きだけど、服の何が好きなのかが分からないなあ、という疑問をしまい込んだまま大きくなって。それがいきなり「あ、生地!」みたいな。「ああ、たしかに!生地ね!」と(笑)。その時、洋服の何が好きだったのか分からなかったモヤモヤが生地を見て一気に解決したんです。
シケンジョテキ それに気づいたのはいつ頃?
森口 山梨に来て織物工場に行って、生地が服になったのを見て、それで「あ!」って(笑)。格好いい~?って思って。こんな機械がガッシャンガッシャンしてるところで作られたものが、私の好きな洋服ブランドとかで使われているの!?って。これはすごい!と思って感動したのが始まりです。
シケンジョテキ どんなに繊細でかわいい生地も、機関車みたいなごつい機械から出てくる(笑)
森口 それが面白かったですね(笑)。それがデザイナーの手にわたって、服になって、売り場に並ぶんだと。そうか、素材かあ、と思ったのが始まりです。それまではテキスタイルという言葉すら知らなかったので。
シケンジョテキ そこから産地コンバーターになりたいと思うようになるまでには、どんなことがあったんですか?
森口 私もともとそんなに手先が器用じゃないので、作る人にはなれないかも知れないし、作ること自体に興味があるかと言われたら、そうでもない。美大に行っている人みたいにデザインができるわけでもない。私は洋服が好きなので、生地素材だけ作って終わりというのももったいないなと思っていたし。それをちゃんと使う人がいて、どんな人が使うかというのがちゃんと作る側にも伝わらないと、その生地の良さも活かせないよなと。
じゃあそれを伝える、つなぐ人になれないものか、って思って調べたら、コンバーターっていうのが出てきて、こういう仕事があるんだ、興味あるなあと思って。そして「産地の学校」のWEBサイトに載っていた島田さんという方に「あの、コンバーターになりたいんですけどどうすれば良いですか?」って連絡したら「は?やめとけ」って(笑)。それでも話を聞かせてくれたのが始まりです。
最近は、地域おこし協力隊の活動をやっていくなかで、作る人と使う人がうまくつながったり、使い手側が「ああ、こんな生地を使ったら面白いよね」と思ってもらえるきっかけを作れる存在になれたらいいなと思っています。それが別にテキスタイルコンバーターっていう名前じゃなくても、きっかけを作って、一緒に考えて生地を作るお手伝いをして、それで工場にもちゃんと発注が入るようにできるような仕事がしたいなと。今はそう思うようになってきました。
シケンジョテキ すでにある職業のひとつになりたいというのではなく、やりたいことに合う仕事がしたいと。
森口 そうですね。工場の人とも仕事ができたらいいなと思うので、じゃあ工場に発注を投げられるような人になれば、工場の人と一緒にものづくりができると思って。それにはお客さんが、服を作ったり何かを作ってくれる人がいなくちゃいけないから、その間に立つ、そういう意味ではコンバーター的仕事なのかもしれないですけど、その役割で私も稼げたらいいなと思っています。テキスタイルジャーナリスト、編集者、企画・製作者、みたいな感じになりたいですね。テキスタイルコーディネーターとか。
シケンジョテキ 森口さんがやりたいことをもうやっている人っているんですか?
森口 どうなんでしょう?その一部がコンバーターなんじゃないでしょうか。コンバーターになりたいって言えばだいたい伝わるので、そう言ってるんですけど(笑)。
どうすればいいのか全然まだ分からないんですけど。最初から機屋さんを見ちゃっているので、機屋さんと仕事をしたいなと。
森口さんから見た機屋さん像
シケンジョテキ 機屋さんの魅力とはなんですか?最初は生地が生まれる場所として産地に出会って、その先に人がいたと思うんですけど。
森口 この産地にいるからかも知れないんですけど、機屋さんもテキスタイルを製造するメーカーなんですけど、そこにどうしてもセンスとか、色や素材の組み合わせとか、そういう要素が入ってきちゃう世界。
100%設計図どおりに作るわけでもないし、同じものをきれいに作り続ける職人でもないし。職人ではあるけれど、伝統工芸的な職人ではないし、ふつうのオッチャンだったりするし。それなのに、メゾンブランドの生地とか織っている、何?この世界観?!(笑)と思って。面白いんですよねえ。ものすごくファッショナブルな人たちと仕事をしているのに、野球の話しかしなかったり(笑)。この不思議な感じはなんだろうって、いっつも思っていて(笑)。それがすごい魅力なのかもしれないですね。
シケンジョテキ ギャップ萌え?
森口 数あるギャップ萌えの中の一つかも知れないですね。そのギャップにいつもやられているのかも。
シケンジョテキ 製造業の中でも例えば鉄パイプのようなものは、誰が作っても同じものじゃなきゃいけない。それとは違う。
森口 変な製造業ですよね。
シケンジョテキ 人がなぜファッションを求めるのかっていう哲学的な問題が、その素材を提供する人たちにも影響を与えて、結果的に特殊な存在になっているのかもしれないですね。
森口 そうですね。もし世の中の人がいつも同じ服を着ている世界に住んでいる機屋さんだったら、鉄パイプと一緒になる。そうじゃないところが面白い。
シケンジョテキ そうしたファッションのエッセンスに、いやおうなく普通のオッチャンが影響を受けている(笑)
森口 そのギャップも面白いなあ。
シケンジョテキ しかも、ちゃんとそれに長けているっていうのが面白いですよね(笑)機屋さんの多くは、ファッションは別に好きじゃないけれど、面白い生地を作ることは凄い好きだという人が多いじゃないですか。
森口 洋服やインテリアになったときとかはあんまり興味なさそうなのに、自分が作る生地については、すごい面白いもの作ってやろうとか、創作意欲がすごい。クリエイター、アーティスト?的な気質を家族代々で受け継いでいるのも面白い。不思議だなあと思います。
シケンジョテキ 機屋さんの情熱、好きなんだなあ、というのを感じる瞬間は?
森口 トラブルに対してあんまり面倒くさそうじゃないんですよ。トラブっちゃったよ~(笑)みたいな。なんていうんですかね。柔軟さ?
シケンジョテキ 好きでやってる感?
森口 好きでやってる感ありますよね。性格にもよるのかもしれないですけど。特に服地とかやっていると、面白がっているところがあって。この緯糸打てますか、っていうと「打てるかな~(笑)」と嬉しそうにするみたいな。「やってみる?」って言ってくれるのはすごく助かります(笑)。
シケンジョテキ 服が大好きでファッションをやっている人と、面白い生地を作りたいと思っている人の関係って、片方の欲求をもう一方が「分かりました」って満たす形じゃなくて、お互いにやりたいことをやるための共生関係とみると、違う種類の野生動物の共生みたいで面白い(笑)。単なる商取引の受発注という関係だけじゃないような。デザイナーと機屋さんの関係って、普通とちょっと違うのかも知れないですね。
森口 相手がやりたいものだけを分かった、ってやっているだけだと、しんどくなると思うんですよ。相手がやりたいって言ってきたものを、ああそういうんだったら、こうやってこうやって、って工夫してやれば、機屋さんにとっても良い。「欲求」対「欲求」のうまいバランス、着地点を探すことも本能的に機屋さんってできている。
「こんなのが作りたい」って思って作っているわけじゃないかも知れないけれど、相手に言われたものを、じゃあこうだったら俺んところでやれるよとか。そういううまい着地点を機屋さんが見つけられるから生まれているものがあるんじゃないかなあと。それでイレギュラーなものが出てきたら、それはそれで楽しい(笑)
シケンジョテキ 一方の欲求を満たす関係ではなくて、ウィン=ウィンの塊が反物になっている、みたいな(笑)
森口 それが理想だろうなって思います。機屋さんが作りたいものだけを作っていたら、使いたい人はいないかもしれないし、デザイナーがやりたいことだけやっていたら機屋さんはしんどくなるだけだし。二つの欲求の重なり合うところを広げていく作業、それで成り立ってきたんだろうなって思いますね。
シケンジョテキ 確かに。面白いですね。物を作るのが好きでそれが仕事になっているって、理想的な暮らしかもしれないですね。
森口 デザイナーさんとか、私みたいな仲介的な存在がもっと、みんなで探訪して会いに行きたいなって思いますね。
文化人類学的な工場探訪
シケンジョテキ 工場の探訪ってどうやっているんですか?
森口 知らなかった工場を見つけたときは、ノックします(笑)。ノックすると「あ?」って言われるんです(笑)。「あ、何?」って(笑)。「富士吉田の協力隊をしていて、機屋さんと関わっているんですけど、もしかして機屋さんなんですかここは?」って。すると「そだよ」とか言われて。「何を作っているんですか」って聞いて、あわよくば中も見せてもらう、っていうことをしています。
シケンジョテキ それを工場の入り口でそういう立ち話しを。見せてくれそうだなって思ったら…
森口 「ちょっと見せてください~」って、たまに見せてもらったりしています。最近はできていないんですけど、暖かくなったらまたやりたいです(笑)
シケンジョテキ お茶とかも出てくる?
森口 たまーにそういう人もいますし、何度か行くと出てきます。また来たのか、と言われますが(笑)。ここはあの機屋さんの賃機だったのか、とかの発見もありますし。機屋さんだけじゃなくて、整経屋さんとか。やっぱり行くと面白いのは、多品種の産地だからっていうのもあるんでしょうけれど、こんな生地やってるのか!とか、綿とかめちゃめちゃ整経してるじゃん!とか。この産地がやっぱり多品種なんだなっていう発見。賃機さんを見るだけでこの産地の特徴が多品種なんだって分かるのは面白いと思います。
シケンジョテキ なにか一つの特徴ではなくて、本当に色んなことをやっているという特徴。
森口 そうですね。
シケンジョテキ これまで何軒くらい探訪したんですか?
森口 何軒くらい行ったんだろう?まだ音だけ聞いて入っていないところもあるんですよ。あ、撚糸屋さんだ、と音を聞いて思ったりとか。こんど来よう!って(笑)。でも場所忘れちゃったな、とか(笑)
シケンジョテキ GoogleMapにピン立てたいですね。
森口 そうですね(笑)。もう20軒くらいは行ってるんじゃないですかね。いきなり入る感じで。山梨以外に八王子でもやってるんですけど。
シケンジョテキ こんなところに機屋さんが!っていう。今より10倍も機屋さんがあった時代は凄かったでしょうね。
森口 そこらじゅうで音がしてたってことですもんね。
シケンジョテキ でも激減しているはずなのに、まだこんなに残響が響いている。サステナブルですねえ(笑)
森口 持続性しかない(笑)
シケンジョテキ たくさんある工場が凄く減ったのは、仕事が減ったのもあるけど、夏の甲子園みたいなもので、開会式では48校あってもだんだん毎週減っていって、勝ち進んだ学校だけになる。それと同じに、いま残っている工場は準決勝、決勝に行くような人たち。織物を作るのが本当に好きでいつまででも織っていられるとか、得意な人しか残っていないんじゃないかと思います。
森口 そうですよね。やっぱり技術がいいとか、作るものに傷がないとか。
シケンジョテキ パッションと技術、両方ないと生き残れなかった人たちが、おじいちゃんになって、そこに森口さんが来ている(笑)
森口 選りすぐりの良いところしか見てないってことですよね(笑)。たしかにそれはあると思います。でもこれから先、どんどん織るところが減っていくじゃないですか。それでも残っていく機屋さんには、これから需要がものすごくあるんだろうと思います。だからいま残っているところをちゃんと知っていると、あとあとになって私も提案できることが増えていくだろうし。探し続けることや、つながっておくことは重要なのかも知れないなと思いますね。
あと、工場だけじゃなくて、織物産業の文化を知るのが好きです。街の雰囲気とか。繊維産業がずっと昔からある地域の感じとか。例えば街にのこぎり屋根が残っていたり、うどん屋さんがあったり。名古屋だったらカフェ文化があるとか。街なかにたくさんあるカフェは紡績屋さんや機屋さんが打ち合わせをする場所だったらしくて。やっぱり繊維が日本の基幹産業だったこともあって、日本の大きい会社にもその名残があるじゃないですか。糸へんに関わっていたおじいちゃんがそこらじゅうにいたり。そういうのを知るのが好きですね。糸へん産業の名残が残る日本、みたいなのを総括的に見るのが好きです。
シケンジョテキ 西裏があって、絹屋町があるみたいな。
森口 そういう街の構造にも影響をしているところとか。綿織物の産地は気候がこうで、シルクの産地は山ぎわにあったりとか。日本の地形文化に影響を及ぼしているところを見ると、繊維産地を探訪するのは凄く魅力的だなと思います。
シケンジョテキ その土地があるからできたことだし、またその産業が土地の風景を変えている。
森口 日本が元気だったころ、支えていたのは繊維だったというのが、大きい会社を見ても分かる。トヨタ、日産、東レ、鐘紡、帝人、日清紡、みんな繊維だなと思って。
シケンジョテキ ほとんどの主力はほかの分野に散っていったけれど、産地はその土地にずっとあり続けている。
森口 それが面白いですね。
シケンジョテキ 工場探訪をしていて、もうおじいさんしかいないじゃないですか。うちの倅が今度入った、というところは賃機ではもう100%ない。
森口 ないですね…。
シケンジョテキ それは訪問していてもどこか心にあると思うんですけれど、どういう感じですか?
森口 ああ…。「あと何年かな?」って思ってます。あと何年なんだろうこの人って。この賃機さんが辞めちゃったら、織れるものが減るわけじゃないですか。この賃機さんのこの技術が良いからこれがずっと織れていたのに、なくなったとたん織れなくなる、というものが、これからどんどん増えてくると思うんですよ。
そうしたときに、作ることのできる生地がまた減っていくっていうのは、ある意味、人が布をもっと楽しめなくなってしまうことかも知れない。それは賃機だけじゃなく親機もそうだと思うんですけれど、技術がなくなることも悲しいし、そのことによってできる生地がなくなって、また私たちが使える言語が少なくなる、って考えると、なんかすごくもったいない。
シケンジョテキ 単語が一個、永久に使えなくなってしまう。
森口 どんどん私たちの感覚も大雑把になっていく。そういう感じをひしひしと感じて。
シケンジョテキ さっきの馬搬の暮らしが、その人を最後に途絶えたら、もう見たり聞いたりできなくなって、書物に記されたものしか残らない。
森口 それと同じことが生地ひとつひとつにもあると思います。さらにそれが加速するのかと。「一個の技術がなくなりました、残念ですね」くらいでは済まなくて、私たちと布の関係がどんどん遠くなっていくのは、たぶんもうすぐなのかなと。そう考えると、このおじいちゃんが辞めてしまうと、無くなる言葉が一つあるんだと思うと凄く悲しいし、どうにかしていかなければと思います。だからといって、技術を受け継いだり職人を増やすことは難しい。
シケンジョテキ もうすでに自分たちには忘れてしまった言葉があって、思い出すこともできない。そうなってしまった言葉がたくさんあると思うと怖いですよね。砂が指の間からサーって落ちているみたいな(笑)
森口 あの言葉なんだっけ、と思いながらも、砂が落ちるように消えていくのかと。
シケンジョテキ 落ちた砂は、もうずっと下の闇に消えてもう見えない。あれ、なにかあったっけ?と記憶も残らない。
森口 怖いですね。
シケンジョテキ だからこそ文化人類学っていう仕事は、そこに光を当てて、それが存続する力になるかはわからないけど、その価値を共有できる人を増やしていくという使命がある。
森口 共有できる人は増やしたいし、そのデータさえ残っていれば再現がきくかも知れないし。
シケンジョテキ あったことさえ忘れられることだけは避けたい。
森口 あったっていうことだけは覚えておかないといけないよなと思いますよね。そういう賃機さんを探して探訪しますけど、もうその人たちはたぶん残らないので、いま回っている工場さんに、将来わたしが10年後、20年後、30年後になっても、関わっていける存在になりたいなと思います。
シケンジョテキ もういなくなっちゃたおじいちゃんが、かつてこういうのを織っていたので、織れませんか?って。
森口 そうすれば未来にバトンが渡せるし。ちっちゃな賃機さんがなくなっていく現実っていつか大きな機屋さんにも起こりうるかもしれないので、ちゃんと私が見て知った言葉を、使えて、いろんな人が共有できて、そしてたくさん共有できるっていうことは、その布を使ってくれる人がいるってこと。それをちゃんと渡せる存在になりたいなと思います。
シケンジョテキ まったく文化人類学ですね。
森口 そうですね。私が仕事をもってきてやるっていうような、大それたことではないんですけど、残っていく機屋さんに仕事が回っていく仕組みのほんの一部になれたらと思います。欲しがっている人を探して、ちゃんと商売につなげられるような存在になりたいと思います。
シケンジョテキ 文化人類学、社会学っていうのは、想像ですが、大航海時代や産業革命をへて人間世界がバーッと広がっていったころ、色んな人間の生き方があったんだということがどんどん発見されていって、それを分類、体系化して、自分たちのことを客観的に見る視点が得られたり、というところに発祥があったと思います。空間的に広がって変化に出会える時代だった。
今の時代は、時間的な変化が激しい時代だと思うんですよ。10年前の富士吉田といまの富士吉田は、全然違う社会かもしれない。いまは時間的にどんどん違う社会になって、過去のものが消えていっている時代だと思うんです。最近文化人類学とかに意識が向くのは、そういう視点がある気がしていて。いま変化するなかで自分がどこにいるのか、どんなステージなのかを考えるのは重要性が増しているのではないか。そういう意味で、富士吉田って割と昭和の時代の残像が残っているから。
森口 あれだけ残っているの不思議ですけどね(笑)。でも確かに、私たちのルーツはどこだろう?と考える意識は増している気がします。
シケンジョテキ 逆にすごく「いま」っていうことを考えるには良いロケーションなのかも知れない。
森口 今は比べられないですよね。いろんなものが分散しすぎていて、何をどう比べればよいかもわからないし。いま文化人類学だけじゃなく、〇〇人類学とか、その「〇〇」がいろいろ広がっていて。人が生きていること、本質的な人の行動。そういうのは機屋さんを見ているとわかりやすいかもしれないですよね。
シケンジョテキ 地層がめっちゃ露出して、いろんな時代の化石が見つかりそうな場所(笑)
森口 めっちゃ出てきますね(笑)。
シケンジョテキ 時代の最先端は都会のどこかかも知れないけど、人類社会の最先端はもしかしたら、こういう過去と未来が混ざっている場所なのかも知れないですね。
森口 いいフィールドですね。
〈おわり〉
語り手:森口理緒さん(聞き手:五十嵐) 2021/03/03 11:11~ シケンジョにて
森口理緒 Moriguchi Rio
1996年八王子市生まれ 富士吉田市在住
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(五十嵐)