「デザインとは何か?」
デザインとはなんでしょうか?
デザインの定義を検索すると、様々な定義や名言が見つかりますが、結局いくら調べても何がデザインなのかはっきりしない、と感じることが多いような気がします。
「デザインとは何か?」という問いは難題ですが、しかし前々回の「遊びと仕事の境界線」で紹介した「遊び」の概念を補助線にしてみると、少し糸口が見えてくるようにも思えました。
そこで、今回は「遊び」について考えた延長線上のシリーズで、「デザインとは何か?」について考えてみようと思います。
まず「デザイン」という言葉の意味がはっきりしないのは、いま私たちはあまりに様々なものに対して「デザイン」という言葉を使っているからではないかと思います。
「街をデザインする」「暮らしをデザインする」「キャリアをデザインする」などなど。
また「デザイン」という言葉は、「デザインされたもの」を指すときもあれば、「デザインするという行為」そのものを指すこともあります。
ここではひとまず「デザインするという行為」とはなにか?に絞って考えます。
『デザインする』と言わないのはどんなとき?
まず『デザインする』と言うのはどんなときか?から考えていくことは、あまりに広くなって何もわからなくなりそうに思えますのでやめておきます。
そのかわり新しいアプローチとして、逆に『デザインする』と言わないのはどんなときか?を考えてみました。
そうすると、次の3つに絞られるのではないかという仮説が生まれました。
*『デザインする』とは言わないとき
①何の役にも立たないものを作るとき
②すでにあるものと全く同じ何かを作るとき
③意図しない(偶然などの結果)で何かが作られるとき
*『デザインする』と言うとき
①何らかの目的のために
②今までにない何かを
③意図して作るとき
*「①何らかの目的のために」
「目的」という言葉は、曲者です。
「何かの目的のため」に最適化したり、課題を解決することも「デザインする」と言いますが、その目的はそもそも適切なものなのか?、と問う視点がとても重要だと思います。
{なぜ重要だと思うのかの説明はまだうまくできませんが、次の「②今までにない何かを」の「今までにない」をどうとらえるかと結びついているような気がしています。)
多くのデザイナーは、その目的さえも疑い、より本質的な本当の「目的」を見極めようとする行為こそデザインの神髄だ、と思うのではないでしょうか。
参考資料 1)目的をめぐる架空の参考事例 →ページの終わりに掲載
目的に向かって動き出す前にその目的の解像度を上げ、また場合によってより適切な目的に更新し続ける作業、そして目指している当面の目的以外に、振り返ってはじめてわかる目的があることも想定すること。それらを含めて取り組むことが、何かの目的のために行う行為である「デザインする」の重要な要素ではないかと思われます。
それは、何が今までにないのかは、とらえ方によって内容が大きく変わるためです。
例:ある製品の… 色 < 模様 < 形状 < 構造 < 目的 < 使われ方 < 概念そのもの
「ある製品について今までになかった色」を新しく決めるだけでも「デザインする」と言えますが、多くのデザイナーは「今までにない」の範囲をより広く、より深く突き詰めることこそデザインの真骨頂だ、と考えるのではないでしょうか。
場合によっては、「今までになかった色」のレベルが高すぎて、製品の使われ方や顧客層をを大きく変えることのなった、という場合もあるかもしれません。
Appleによる初代iPhoneのデザインは、「今までにない」携帯電話の姿を突き詰めて、スマートフォンという今までにない概念そのものを作り出した例といえるでしょう。
目的のために「今までにない」の度合いや範囲を広げたり、違う方向に進むことは、クライアントとの摩擦が生じたり難しい作業になりますが、良いデザインを行うためには重要な要素だと思われます。
また、厳密には「今までにないけれど、今までより良くないもの」を作りだすことを通常は「デザインする」とは言わないはずなので、「今までにない(今までよりも良くするための)何か」であることが言外に含まれると思います。
*「③意図して作る」
「③意図して作る」という箇所は、デザインするというのは具体的に何をすることなのか、にあたります。
この言葉について考える前に、紹介したい新しい概念がありますので、ここでいったん保留し、そのあとで考えたいと思います。
その概念が「アート」、「クラフト」、「サイエンス」の3つです。
アート、クラフト、サイエンス
「アート」、「クラフト」、「サイエンス」の3点セットは、『世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか?』(山口 周[著] / 光文社[刊])で紹介されたことでよく知られるようになった言葉ではないでしょうか。
曰く、経営とはこの三要素が混ざり合ったものであるべきで、アート(直観)、クラフト(経験)、サイエンス(分析)、それぞれを担う人材とそのバランスが必要だというものです。
もとはヘンリー・ミンツバーグという経営学者が『MBAが会社を滅ぼす マネジャーの正しい育て方』(ヘンリー・ミンツバーグ[著] / 日経BP[刊])で提示したものだそうです。私は『超相対性理論』というポッドキャストでこの言葉を知りました。
---> 『超相対性理論』#1~3 「我々は数字の奴隷から脱却できるのか」
このコンセプトを知ったときに、これは経営に限らず、人間の創造的活動全般について言えるものではないか?と考えました。
また、この3つと「デザイン」はどういう関係になるのだろうか?、と考えたことが今回の投稿内容を考えたきっかけになりました。
そしていろいろ考えた結果、デザインするとは何か?を考える材料としてこのアート、クラフト、サイエンスという概念が使えるのではないか、と思い至りました。
まずアート、クラフト、サイエンスは、下の図のように、人間の広範囲にわたる活動を3つに分類する幅広い概念として考えたいと思います。
例えば、3つのうち「アート」という言葉は、古代にはより広い意味で使われていたので、いまでもその名残があります。
人文科学、社会科学、自然科学や教養一般をさす「リベラルアーツ」は、サイエンスを「アート」と呼ぶ例です。
同様に、武芸、武術をさす「マーシャルアーツ」は、身体を使う技術なので上の図ではクラフトにあたりますが「アート」と呼ばれています。
「何の役に立つの?」問題
アート、クラフト、サイエンスと「遊び」
ここで注目したいのは、アート、クラフト、サイエンスはそれぞれ、「それが何の役に立つの?」と言われがちなものでもあることです。
アート →「こんな意味不明な絵、誰が欲しがるの?」
クラフト →「すごい超絶技巧のお皿だけど、誰がいつ使うのコレ?」
サイエンス →「そんな遠くにある星のこと調べて何の役に立つの?」
こういう言葉はいろいろな場面で耳にすると思います。
ではなぜアート、クラフト、サイエンスは「何の役に立つの?」と言われがちなのか?
それは、アート、クラフト、サイエンスが、『遊び』として誕生したものだから、という仮説を提唱したいと思います。
前々回の「遊びと仕事の境界線」で紹介したカギかっこ付きの『遊び』は、自己目的的で、外部に目的がなくても存在し、それ自体が目的であり、楽しみであり、もっと言えば人間に備わった創造力が最大限に発揮できる場だとして紹介しました。
「それが何の役に立つの?」という質問が当然のように口にされる背景には、「何かの役に立つものだけが素晴らしいのだ」という意識があるのではないでしょうか。
『遊び』の重要性について考えたあとでは、「何かの役に立つかどうか」だけで存在価値が測られる考え方というのは、効率や生産性が重視される現代社会が生んだ、偏った、危なっかしい思想であるように思えます。
歴史をひもとくと「何の役に立つか分からないが、惹かれてしまう、やらずにはいられない」という人々の情熱や好奇心の積み重ねが、人類を救うような発明や発見、生きる喜びにつながった例をたくさん見つけることができるでしょう。
そのような『遊び』として人類が始めた活動が、長い年月のなかで積み重なって文明・文化を発展させ、アート、クラフト、サイエンスという『遊び』の3側面として現れたのだと考えたいと思います。
『遊び』という要素がアート、クラフト、サイエンスの本質的な姿であり、人間のエネルギーを引き出す動力源であるという認識から、ここではアート、クラフト、サイエンスと『遊び』を、ロケットとその推進力になぞらえて図を描きました。
アート、クラフト、サイエンスが指向性を持つとき
「デザインする」というのも、目的のために、アート、クラフト、サイエンスを調和させる行為だと言っても良いと考えます。
この稿のはじめの方で「デザインする」とは、「①何らかの目的のために ②今までにない何かを ③意図して作ること」、と書きました。
そして、さきほどは「①何らかの目的のために ②今までにない何かを」 については具体的に記述しましたが、「③意図して作る」については保留し、先に話を進めました。
これも具体化していきたいと思います。
「意図する」というのは、辞書を引くと、「ある目的のために何かを実現しようと取り計らうこと」というようなことが書いてあります。
「ある目的のために何かを」の部分は、すでに①、②でカバーしていますので、残りは「実現しようと取り計らう」です。
ここでは「実現しようと取り計らう」作業とはつまり何なのかを具体化すると、それこそ「アート、クラフト、サイエンスを調和させて作る」ことだという風に翻訳してみたいと思います。
そうすると「デザイン」の定義は次のようにバージョンアップできると思います。
*『デザインする』とは
比喩的に表現すると、「デザインする」という行為は、『遊び』を燃料とするエンジン、アート、クラフト、サイエンスのバランスをとりながら操縦し、目的地に向かうため、今までにない航路を行く旅だとも言えます。
ちなみに上の図で目的地の惑星を点線でうっすらと描いたのは、さきほど書いたように目的が絶対ではなく、当面の目的に向かうプロセスが中心であることを意識してそうしました。
メタ視点
先ほど「①何かの目的のために」の説明の部分で、「デザインする」というときには、「目的」ありきの課題解決だけでなく、「目的」そのものも疑い、更新し続けること、また「今までにない」度合をどこまでの範囲にするか、というそもそものパラダイムを扱うということについて書きました。
このような、「その目的って、どれだけ妥当なんだろう」、「議論の中身より、議論の枠組み自体が間違っているんじゃないだろうか」と問うような思考方法は、かいつまんで言うと、つまり「メタ視点を持つ」ということだと思います。
前提そのものを疑いの対象とするような「メタ視点を持つ」という要素は、より客観性を高めて真実に近づこうとする態度であるという意味で「サイエンス」的な知的活動だと言えると思います。
一方、先ほどの初代iPhoneの例は、おそらく「サイエンス」的な論理的思考や数値の分析だけでは到達できないゴールに、新しいビジョンを描くことで到達したであろうという意味で「アート」的な側面の強いデザインが行われたのだとも言えると思います。
さらに考えていくと、アート、クラフト、サイエンスを調和させるには、「自分がいまやっている作業はアート、クラフト、サイエンスのうちのどれなのか?」という俯瞰が必要になるので、それには常に「メタ視点」を意識することが必要なります。
先ほど提示したデザインの定義「①何らかの目的のために ②今までにない何かを ③アート、クラフト、サイエンスを調和させて作ること」の中には、「メタ視点」という言葉は入っていませんが、それは言外に含まれていると考えても良いのではないかと思います。
参考資料 2)アート、クラフト、サイエンスのそのほかのとらえ方
→ページの終わりに掲載
おわりに
ここまでの流れから、デザインの定義として「①何らかの目的のために ②今までにない何かを ③アート、クラフト、サイエンスを調和させて作ること」を導き、提唱しました。
このうち「①何らかの目的のために」を取ってしまうと、それは外部に目的をもたないので、今までにない何かを作る『遊び』になるかもしれません。
デザインの定義のうち「②今までにない何かを 」を取ってしまえば、それはミンツバーグのいう経営など、普通あえてデザインとは言わない活動になるでしょう。
①~③が3つとも揃う活動は極めて幅広い範囲に及ぶと思いますが、その全てがデザインという行為の対象なのではないかと思います。
前々回の「遊びと仕事の境界線」では、ふつう『遊び』ではないと思われる仕事の中にも、考え方や取り組み方によっては夢中になれる『遊び』を見いだし、楽しみに変換することができる、ということを書きました。
同様に考えると、明確な目的を持った活動であるはずの「デザインすること」さえも、自己目的的な『遊び』として楽しむことも可能だいうことになります。
このとき、『遊び』を原動力として駆動するアート、クラフト、サイエンスを内包した「デザイン」という行為、その全体さえもが『遊び』になるという、『遊び』の入れ子構造が生まれ、俯瞰する「メタ視点」と、『遊び』に没頭し集中する視点が激しく行き来し、両立することになります。
それがうまく機能したとき、結果的に当初の目的を果たしつつ、それ以上に予想外の効果、新たな問いや目的を生み出すような、実りの多いデザインが生まれるのではないか、と思います。
タモリさんの言葉から始まり、『遊び』について考えながら、主体性やデザインについて深掘りし、ここでまた『遊び』に戻って来たところで、このシリーズを終りにしたいと思います。
ここに書いたのはもちろん「決定版」というものではなく、「いまのところこのように考えると少しすっきりする」という個人的な思考プロセスの共有です。
皆さんにとっても何かの参考になれば幸いです。
お付き合いいただきありがとうございました。
(五十嵐)
≪資料編≫
1)目的をめぐる架空の参考事例
①「新製品を企画する」という目的がチームに与えられた。
②なぜその目的なのか?を突き詰めていくと「既存製品を並べたとき見栄えがしないので、新規性を持たせる何かが欲しかった」という理由だとわかった。
③それなら「既存製品が並んだときの見栄えをよくする」ということがより正しい目的ではないか、とも考えられる。
④「なぜ見栄えがよくないか」を分析して改善方法を模索していくうち、既存製品の整理整頓が進み、足りないもの、余計なもの、修正すべきものが見えてきた。
⑤既存製品を取捨選択し微調整するだけで見栄えがずいぶんよくなり、新製品をつくらなくても当初の目的が達成した。
⑥それよりも、振り返ってみるとこの過程で「自社が作るべきもの」の像が明確化していき、もしかすると、これがこのプロジェクトの本当の目的だったのかもしれない、と思えた。
⑦そしてついに「どういう新製品が必要か」が見えてきて、次の「新製品を企画する」という目的設定ができた。目的は①と同じだが、最初の時とは見えている風景が全く違っていた。
このように突き詰めていくうち、目的が次々に更新される動的なプロセスが生まれて前進していくという事例は珍しくないと思います。
2)アート、クラフト、サイエンスのそのほかのとらえ方
アート、クラフト、サイエンスという普遍的な概念を使うと、創造的行為をモデル化する他の方法も考えられます。
ハタオリマチのハタ印ディレクターでアーティストの高須賀活良さんは、次のようなモデルを構想しているそうです。
クラフトをテクノロジーと読み替え、テクノロジーとサイエンスを身体と頭脳の現れ
(=知行)とし、両者が合一してアウトプットするものすべてがアートである、という考え方です。
この図にはデザインは書かれていませんが、仮説提案や推論などに基づくサイエンス的な頭脳の行為であるとされています。
アート、クラフト、サイエンスを身体と頭脳の2つに分けて考えると、クラフトを身体、アート、サイエンスを感性と知性、ととらえる次のような考え方もあるかと思います。