9月21日(金)、ヤマナシ産地(富士吉田&西桂)の機屋さんと一緒に、八王子織物産地を訪問してきました。
シルクスクリーンプリントで日本の先端ファッションブランドを支える奥田染工場さんを後にして向かった先は、みやしん株式会社。
みやしんといえば、つい先日、繊研新聞誌上で廃業が衝撃的に報じられたばかり。その約1週間後におじゃますることとなりました。
今回の訪問は、みやしんの社内ブランドとして活躍し今秋独立予定の「COOVA(コーバ)」の瀬谷志歩さんからのお誘いがキッカケで実現することができました。
みやしんを率いるのは、社長の宮本英治氏。数々の独創的なテキスタイルを開発し、イッセイミヤケなど日本のファッションブランドが世界へ羽ばたくのを後押ししてきた、テキスタイル界の重鎮と言える方です。
<みやしんHPより抜粋>
『…
国内外の多くのデザイナーやアパレルブランドに素材提案し、取り上げられる。又、天然繊維を使ったラスティック素材の開発、プラズマ・カットやアルカリ強縮などの後加工の開発、多重織ストールや立体織スカート、チューブトップ、キャップマフラー、プリーツ織などを開発し、常に時代を先取りした創造力は海外でも高く評価され、ヴィクトリアアンドアルバート美術館、ニューヨーク近代美術館、セントルイス美術館などにパーマネント・コレクションとして収蔵されています。又、業界への貢献や高い技術力、豊かな創造力により、ミモザ賞(日本)やエミー賞(米国)を受賞』
みやしんは、ことし10月いっぱいで長い歴史に幕を閉じることになりました。
ジャパニーズ・テキスタイルのひとつの時代が終わりを告げるといっても過言ではないこの時期に、みやしんを訪問させていただける機会が得られたのは、非常に意義深いことだったと思います。
国道16号と多摩川、JR中央線、京王線に四方を囲まれた、静かな八王子郊外にみやしんはあります。
下は、みやしんの企画室。企画室とは言っても、スタッフはここではなく、たいがい工場の方にいるそうです。企画書、生地サンプルのストックルームのようになっているのが、みやしんさんらしいです。
山と詰まれたサンプルたち。いったいどのくらいの価値があるものか、見当もつきません。
では工場に入ってみましょう。ドビー織機が14台あり、そのうちレピアが4台、小幅が4台。いずれも長年使い込まれた貫禄があります。ジャカード機は20年くらい前から使われていないそうです。ジャカードの自由度よりも、密度や織り幅の自由度を優先させての判断ということと思われます。
電子制御のドビーもありますが、こんなアナログなものも(下)。
ヤマナシ産地では見られない3連のペックに目を奪われます。写真中央は、3連のペックを制御するペック。織物組織と織機を知り尽くしていなければ、使いこなせそうにありません。
(ちなみにペックとは、どの綜絖を動かすかの情報が金属のピンで埋め込まれたいわば紋紙にあたるもの。写真のペックは、さらにどのペックを使うかの情報が埋め込まれています。)
通路の天井には、綜絖のストックが。いたるところにもの作りの歴史が刻まれています。
ヤマナシ産地の機屋さんも興味深く織機を見学。ふつう、機屋さんは他の機屋さんに工場を見せたがらないもの。このようにオープンにしていただけるのは、昔なら考えられないことでしょう。
これはツボでした。繰り返し機にかかっているのが、全部違う色のカセ。これぞ小ロット対応です。
2階に展示されたみやしんのテキスタイルたち。ひとつひとつの密度が濃いです。これら全て、タテ糸とヨコ糸が直角に交わって作られたもの、という言葉では理解不能な作品ばかりです。まるで生き物ののような自然なフォルムの背景に、織物の限界に挑戦する宮本さんの創造力が隠されています。
織り上がったときにはプリーツになっている、組織のマジック。
収縮した層、糸が飛んでいる層、オーガンジー層の3層織物。「耳は両端についているもの」という固定概念が吹き飛ばされました。
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アレンジワインダーによる糸が生み出した絶妙なカラー。 |
そして、ひととおり工場見学を終えた私たちの前に、みやしん株式会社の宮本英治社長が登場。多忙ななかお時間をいただき、みやしんの考え方など、これまでの歩み、現状を踏まえたメッセージを伝えていただきました。
「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」
みやしんは1948年に創業し、当初は着物の生地を作っていたそうです。
宮本社長は、着物の歴史を踏まえて、革新の重要性を訴えます。
「日本には、1000年続いた着物の伝統があり、世界的に誇るテキスタイルがありました。
江戸時代の中~後期には、世界ではじめてのファッションショーが開かれたほどです。
着物はヨーロッパのファッションにもすごく影響を与えてきた。
でも残念ながら、その素晴らしい伝統は、明治時代以降、洋服文化にとって代わられてしまった。
そして『伝統的な産業』として認定されることによって、革新の連続で育ててきたものが、江戸末期のものでストップして、その時点の姿を保つ、ということになってしまったんです。」
日本の素晴らしい着物文化は1000年続いた革新の結果。そんな意識から生まれたのが、太字で示した上のフレーズ。当日、私たちに配られた資料の標題にもあった言葉です。
みやしんの行なってきた革新の継続は、多くの人が知るところです。
「綜絖枚数が12枚として、たて糸12本、よこ糸12本あったとき、その中にどのくらいの組み合わせがあるか。そこには12×12で、144か所の交点があります。その中にある組み合わせは281兆の3乗という、無限といってもいいバリエーションがある。そこに理論と感性、発想を組み込んで、いろいろな織物を作ろうというのがみやしんのもの作りです。」
宮本社長が手で拡げている緑色の織物の生地(写真上)は、鎖や知恵の輪のように絡み合った二層が一度に織られていて、適当にハサミを入れることでバラバラと広がっていきます。そのパフォーマンスに織物のプロが集まった参加メンバーも目を丸くします。
まさに無限の可能性があるんだということが実感される作品です。
そして話題は「廃業」の背景にも。
「国産製品に力がなくなり、売れなくなってきた。売れなくなっても利益は確保したい。となると原価に対する上代の掛け率を上げるしかないが、常識的に考えれば掛け率が上がれば、上代も上がるのが当然。しかし、実際には上代は上げ難い。そうなると製造原価を下げるしかない。製造原価を下げる場合、一番影響するのはテキスタイル、次に縫製。弊社の様に開発経費がかかる布創りは生地値が高くなる為、将来性を考えた結果。」
消費者、小売、アパレル、織物産地まで全体として、テキスタイルの価値が認められていない、伝え切れていないことが、こうした結果を生んでいるということでしょうか。
この部分については、客員研究員として同行してくれた鈴木淳さんのブログにも書かれていますのでぜひご覧下さい。
「そんな中、みやしんの布の出発点となり80年代からこれまで永い間支えてきてくれたブランドは最後の最後まで、展示会受注もなしに来年の店頭展開分迄も発注をくれ続けていることに心から感謝しています。」
そしてヤマナシ産地にもこれからに向けてのメッセージをいただきました。
「八王子だけでなく、皆さんも踏ん張りどころだと思います。どうやって生き残るかといえば、他にないようなものづくり、発想力。その結果として、できるだけ完成品に近いものを、出来るだけ消費者に近いところで、できれば消費者に直接売る。そうしないと生き残れない時代になってくると思います。そこがポイントかと思います。」
「みやしんは残念ながら撤退しますけれども、私自身はテキスタイル業界を去ることはありませんし、未来への遺産として次の世代に継承してもらう為、今迄のデータや生地資料の蓄積も、何らかの形で残せるようにしたいと考えています。」
…と語る宮本社長。
テキスタイルメーカーとしての撤退は決まってしまったけれど、違うかたちでみやしんの歴史は受け継がれ、さらに『革新の継続』を進めてくれることになりそうです。宮本社長の表情は、終わってしまった歴史ではなく、『これから』作られる時代のことを見つめているように思えます。
これまでさまざまな形でみやしんのテキスタイルに関わった人々、そして2012年9月にみやしんを訪問した私たちは、それぞれの形でみやしんの廃業を受け止め、次の時代へ受け継いでいく責任を負っているのでしょう。
「みやしん」という名前は残していく、と宮本社長はおっしゃいました。
これからのみやしんに、大きな期待とエールを贈りたいと思います。
(五十嵐 写真:高須賀)