4月24日(水)、近藤ニット(株)の近藤和也常務、
そして奥様でありデザイナーでもある近藤尚子さんをお招きして、
先進ブランドにブランディングを学ぶセミナーを開催しました。
近藤ニットは、2000年に自社ブランドの「evam eva(エヴァムエヴァ)」を立ち上げ、
その後6年ほどでOEM事業からの脱却を成功させました。
近藤和也さん、尚子さんは「evam eva」の生みの親ともいえる存在。
シケンジョとしても、ぜひお話しを伺いたいと思っていたお二人でした。
写真下/evam eva HPより
レディースニットのOEM生産を続けてきましたが、
2000年に自社ブランドevam evaを立ち上げ、
現在では99%が自社ブランドによるビジネス展開となっています。
ナチュラルで上質、シンプルなデザインは多くのファンに支持され、
現在では全国8店舗を構える人気ブランドです。
地方発のオリジナルブランド事例として全国的にもその名が知られる
「evam eva」の、成功の秘密はどんなところにあったのでしょうか?
写真下/evam eva HPより "archive / 2012 spring & summer"
近藤ニットをはじめとする山梨のニット産地も、
やはり戦後~高度経済成長時代に
OEM(相手先ブランドの下請け的)生産で形作られました。
OEMは、地方に仕事をもたらす大きな仕組みとして機能し、
生産に特化したスペシャリストとしての産地集団を生み育ててきましたが、
一方では、ひとたび仕事量が減少したときに、
生産のスペシャリスト達の側には
仕事や利益を増やすための仕組みやスキルが備わっていない
という状況をもたらしてしまいがちな、諸刃の剣でもありました。
■ブランド立ち上げ前夜
1995年に近藤和也さんが奥様の実家が営む近藤ニットに入社して
3、4年たったころ、近藤ニット(株)ではOEM売上のピークを迎えます。
しかし、売上高の一方で、利益は伸び悩んでいました。
隆盛するファストファッションの影響で価格が抑えられたことなどが原因ですが、
長年のあいだに培われた業界の慣習のなかで
自然と不利な立場になってしまっていることにも要因があったようです。
例えば、
・毎年同じものを作っても、どんどん買値を安くされる。
・急ぎで作らされても、特急料金がもらえない。
・サンプル生産の依頼は来るが、本生産は中国へ持って行かれる。
・発注がどんどん遅くなり納期が圧縮される。再来月の生産計画も立てられない。
・来年ロットが増えるから、それまで低い原価率でガマンしてくれと言われた。
(「将来仕事が増えるんなら、それまであなたがガマンすればいいんじゃないか?」)
・OEMで仕事をもらうためには、素材ではなく形(製品)にして提案しなければならない。
OEMでは上代の25%の価格にしかならないが、
自社製品として卸せば上代の50%もらえる。
OEMでも実際には製品提案しているのに、なんで25%なのか?
こうした状況への「違和感」が、近藤和也さんが自社ブランド確立へと突き動かした
原動力になっていたそうです。
このあたりの違和感、不満感は大なり小なり、多くの生産者にも共感できるところではないでしょうか。
これについては、台東デザイナーズビレッジ村長の鈴木淳さん(シケンジョ客員研究員)のブログ「どうすれば会社とブランドが育つか?」
にも触れられているのでぜひご覧ください。
OEM生産受注枚数が減り、閑散期も生まれるなかで、
雇用と工場を維持するにはどうすれば良いのか?
仕事や利益を増やすにはどうしたらいいか?
近藤和也さんは、こう考えました。
「自分で仕事を作ることが重要。それによって技術の継承もできる。」
「上代いくらに対するコストではなく、ブランドとして
『これは○○○円です』といって売りたい。」「それには、自社ブランドを立ち上げることが必要だ。」
こうして、ビジネスを自らコントロールし、自ら仕事を作ることのできる手段として
自社ブランド「evam eva」が誕生しました。
■evam eva誕生初期の課題
自社ブランドを立ち上げたとはいえ、当初はロットもまとまらず、
OEM先からは冷たい視線を浴びるというような、厳しい時期があったそうです。
そのとき近藤さんが直面した課題や困難をいくつかまとめてみます。
①それまでの主要なOEM受注先との関係
「いじめられたり、イヤミを言われたり、勝手に値引きをされたり。
当初は恐怖感しかなかったですね。
でもそんな仕事をしたくない、という思いで自社ブランドに賭けていきました。」
②社内の抵抗
「当然、抵抗はありました。当初はロットがまとまらないので、
なんでこんなことやらなきゃいけないんだ、という声は大きかったですね。
でもそこを押し切ってきたからこそ今があると思っています。」
③合同展の限界
・世界観を伝えきれない
「単品では良いと言ってもらえる。しかしボリュームとしてブランド全体を買ってもらうには、難しさを感じました。」
・来場者の目的が具体的でない
「『何かいいものがあるかな?』と、『こういうのが欲しい!』と思って探しているかの違い。」
合同展では前者のバイヤーが多かった。
④外部デザイナー活用の難しさ
「準備不足もありましたが『このブランドはこういうイメージ』、
『今回はこういうテーマで』という強いブランドの方向性を伝えられていなかった。
そうすると、外部デザイナーのブランドになっていってしまう。」
■evam evaが軌道に乗った頃
上の①~④のような課題を解決するために、
近藤さんは奥様の近藤尚子さんをチーフデザイナーとして位置づけ、
合同展ではなく、個展で販路開拓する路線変更をしました。
外部デザイナーに依頼していた当時の『違和感』がそのきっかけになったのではないでしょうか。
「(外部デザイナー主導の頃)自社ブランドに関わらず、妻(尚子さん)も商品を着用しない。
これは本物ではない。主体となりやっていくべきだと感じました。」 (近藤和也さん)
近藤和也さん、尚子さんのお話を伺っていて、とても印象に残ったのは
自分たちと、自社ブランドとの一体感のつよさです。
近藤尚子さんは、evam evaについて
「自分の全て。子供を産んで育てるような感覚でやっていて、
ブランド自体が自分の分身のような感覚で作っています。」
と語っています。
近藤和也さんも、
「企画するスタッフが、自分達の作る商品が本当に好きで作り、自分でも着る。
そうでないと本物ではないと思う。」
これは成功をめざすブランドには、とても重要なポイントなのではないでしょうか。
「アメリカ型ではなく、ヨーロッパ型に。
アメリカ型はターゲット層を定めてそこに合わせたモノづくりをする。
ヨーロッパ型は、家族で続けてきたビジネスの無理ない延長としてモノづくりをする。」
(近藤和也さん)
原点を自分に置き、自分が欲しいと思うものを作ることでブランドを組み立てれば、
自分さえブレなければブランドも揺るがず、長く続けることができる。
そんな基本姿勢を近藤ニットはこのころ、確立していきました。
そうして、自分が着たい服をギャラリーでの個展でしっかりと世界観を見せて提案するという方向が生まれました。
「不特定多数ではなく、ほんとうに買ってほしいお客さんに見てもらいたかった。」
(近藤和也さん)
買ってほしいお客さんに来てもらうためには、特にDMに力を入れたそうです。
「バイヤーの方々にはたくさんのDMが届きますから、
その段階ですでに選別が始まっている。
そこで、『捨てられないDMを作る』ということを今も継続しています。
顔を見られない相手に価値を伝えるには、とても重要なポイントだと思っています。」
(近藤尚子さん)
その結果、伊勢丹など目標としていたお客さんとの取引が始まり、
evam evaはついに軌道に乗りました。
■現在、そして未来
現在、evam evaの店舗は全国8店舗、
フランスやアメリカの展示会にも出展し、海外からの評判も上々とのこと。
やがて近藤ニットには、ブランドを好きになったお客さんだけでなく、
一緒に働きたいという若者も集まるようになってきました。
「ブランドイメージがだんだん定着してきて『ここで働きたい』という子が増えてきました」
青山にあった企画部門を、生産現場のある山梨の本社に移転したときには
田舎で暮らすことに抵抗のない人が多いことを実感したそうです。
福岡や大阪から来てくれたスタッフもいるとか。
「スタッフには、『作らされている感覚』はなくなっています。
ミスがあったときにも、それがブランドに与える影響を現場の皆が理解している。
間にアパレルさんがいるときと、直接お客様につながっている今とでは大きく違います。
ミスに対する緊張感も、売れたときの喜びも。
アパレルさんの仕事を受けでやっているときよりも、夢を見れるというか。
これが直接売れているんだ、という『夢』を見ながら
前向きに進めるようになってきました。」
(近藤尚子さん)
作り手も、使い手もよろこぶ、モノづくりの良い循環が
ブランド「evam eva」を中心に生まれ、
しっかりとビジネスとしても成り立っている姿がそこにあります。
「今後は、文化に根差したブランドになりたいですね」(近藤和也さん)
そういう近藤和也さん、尚子さんの挑戦の道のりは
すでに立派なモノづくりの文化を体現しているのではないでしょうか。
※この原稿は、セミナー&意見交換会の内容を再構成したものです。
意見交換会では、鈴木客員研究員の司会のもと、ヤマナシ織物産地の方々より
鋭い質問が寄せられる真剣なトークセッションが繰り広げられました。
その様子を写真でご紹介します。
今回のセミナー&意見交換会を経て、5月9日には近藤ニットさんへの
視察勉強会が開催されます。
そちらのレポートもお楽しみに!
(五十嵐)