ページ

2013年4月30日火曜日

ヤマナシ発・先進ブランドに学ぶブランディング~evam eva編~ 

開催レポート!

4月24日(水)、近藤ニット(株)の近藤和也常務、

そして奥様でありデザイナーでもある近藤尚子さんをお招きして、
先進ブランドにブランディングを学ぶセミナーを開催しました。

近藤ニットは、2000年に自社ブランドの「evam eva(エヴァムエヴァ)を立ち上げ、
その後6年ほどでOEM事業からの脱却を成功させました。
近藤和也さん、尚子さんは「evam eva」の生みの親ともいえる存在。

シケンジョとしても、ぜひお話しを伺いたいと思っていたお二人でした。


写真下/evam eva HPより


近藤ニット(株)は1945年に創業、山梨県市川三郷町で
レディースニットのOEM生産を続けてきましたが、
2000年に自社ブランドevam evaを立ち上げ、
現在では99%が自社ブランドによるビジネス展開となっています。

ナチュラルで上質、シンプルなデザインは多くのファンに支持され、
現在では全国8店舗を構える人気ブランドです。

地方発のオリジナルブランド事例として全国的にもその名が知られる
「evam eva」の、成功の秘密はどんなところにあったのでしょうか?

写真下/evam eva HP
より  "archive / 2012 spring & summer"


近藤ニットをはじめとする山梨のニット産地も、
やはり戦後~高度経済成長時代に
OEM(相手先ブランドの下請け的)生産で形作られました。


OEMは、地方に仕事をもたらす大きな仕組みとして機能し、
生産に特化したスペシャリストとしての産地集団を生み育ててきましたが、
一方では、ひとたび仕事量が減少したときに、
生産のスペシャリスト達の側には
仕事や利益を増やすための仕組みやスキルが備わっていない

という状況をもたらしてしまいがちな、諸刃の剣でもありました。


■ブランド立ち上げ前夜

1995年に近藤和也さんが奥様の実家が営む近藤ニットに入社して
3、4年たったころ、近藤ニット(株)ではOEM売上のピークを迎えます。
しかし、売上高の一方で、利益は伸び悩んでいました。

隆盛するファストファッションの影響で価格が抑えられたことなどが原因ですが、
長年のあいだに培われた業界の慣習のなかで
自然と不利な立場になってしまっていることにも要因があったようです。



例えば、


・毎年同じものを作っても、どんどん買値を安くされる。

・急ぎで作らされても、特急料金がもらえない。

・サンプル生産の依頼は来るが、本生産は中国へ持って行かれる。

・発注がどんどん遅くなり納期が圧縮される。再来月の生産計画も立てられない。

・来年ロットが増えるから、それまで低い原価率でガマンしてくれと言われた。
 (「将来仕事が増えるんなら、それまであなたがガマンすればいいんじゃないか?」)

・OEMで仕事をもらうためには、素材ではなく形(製品)にして提案しなければならない。
 OEMでは上代の25%の価格にしかならないが、

 自社製品として卸せば上代の50%もらえる。
 OEMでも実際には製品提案しているのに、なんで25%なのか?



こうした状況への「違和感」が、近藤和也さんが自社ブランド確立へと突き動かした
原動力になっていたそうです。

このあたりの違和感、不満感は大なり小なり、多くの生産者にも共感できるところではないでしょうか。

これについては、台東デザイナーズビレッジ村長の鈴木淳さん(シケンジョ客員研究員)のブログどうすれば会社とブランドが育つか?

にも触れられているのでぜひご覧ください。

OEM生産受注枚数が減り、閑散期も生まれるなかで、
雇用と工場を維持するにはどうすれば良いのか?
仕事や利益を増やすにはどうしたらいいか?


近藤和也さんは、こう考えました。

「自分で仕事を作ることが重要。それによって技術の継承もできる。」

「上代いくらに対するコストではなく、ブランドとして
 『これは○○○円です』といって売りたい。」
「それには、自社ブランドを立ち上げることが必要だ。」

こうして、ビジネスを自らコントロールし、自ら仕事を作ることのできる手段として
自社ブランド「evam eva」が誕生しました。



■evam eva誕生初期の課題

自社ブランドを立ち上げたとはいえ、当初はロットもまとまらず、
OEM先からは冷たい視線を浴びるというような、厳しい時期があったそうです。

そのとき近藤さんが直面した課題や困難をいくつかまとめてみます。

①それまでの主要なOEM受注先との関係


「いじめられたり、イヤミを言われたり、勝手に値引きをされたり。
 当初は恐怖感しかなかったですね。
 でもそんな仕事をしたくない、という思いで自社ブランドに賭けていきました。」



②社内の抵抗

「当然、抵抗はありました。当初はロットがまとまらないので、
 なんでこんなことやらなきゃいけないんだ、という声は大きかったですね。
 でもそこを押し切ってきたからこそ今があると思っています。」



③合同展の限界

・世界観を伝えきれない
「単品では良いと言ってもらえる。しかしボリュームとしてブランド全体を買ってもらうには、難しさを感じました。」


・来場者の目的が具体的でない
「『何かいいものがあるかな?』と、『こういうのが欲しい!』と思って探しているかの違い。」
 合同展では前者のバイヤーが多かった。


④外部デザイナー活用の難しさ


「準備不足もありましたが『このブランドはこういうイメージ』、

 『今回はこういうテーマで』という強いブランドの方向性を伝えられていなかった。
 そうすると、外部デザイナーのブランドになっていってしまう。」



■evam evaが軌道に乗った頃

上の①~④のような課題を解決するために、
近藤さんは奥様の近藤尚子さんをチーフデザイナーとして位置づけ、
合同展ではなく、個展で販路開拓する路線変更をしました。

外部デザイナーに依頼していた当時の『違和感』がそのきっかけになったのではないでしょうか。

「(外部デザイナー主導の頃)自社ブランドに関わらず、妻(尚子さん)も商品を着用しない。
 これは本物ではない。主体となりやっていくべきだと感じました。」
 (近藤和也さん)

近藤和也さん、尚子さんのお話を伺っていて、とても印象に残ったのは
自分たちと、自社ブランドとの一体感のつよさです。

近藤尚子さんは、evam evaについて
「自分の全て。子供を産んで育てるような感覚でやっていて、
 ブランド自体が自分の分身のような感覚で作っています。」

と語っています。

近藤和也さんも、
「企画するスタッフが、自分達の作る商品が本当に好きで作り、自分でも着る。
 そうでないと本物ではないと思う。」


これは成功をめざすブランドには、とても重要なポイントなのではないでしょうか。



「アメリカ型ではなく、ヨーロッパ型に。
 アメリカ型はターゲット層を定めてそこに合わせたモノづくりをする。
 ヨーロッパ型は、家族で続けてきたビジネスの無理ない延長としてモノづくりをする。」

 (近藤和也さん)

原点を自分に置き、自分が欲しいと思うものを作ることでブランドを組み立てれば、
自分さえブレなければブランドも揺るがず、長く続けることができる。
そんな基本姿勢を近藤ニットはこのころ、確立していきました。

そうして、自分が着たい服をギャラリーでの個展でしっかりと世界観を見せて提案するという方向が生まれました。

「不特定多数ではなく、ほんとうに買ってほしいお客さんに見てもらいたかった。」

 (近藤和也さん)

買ってほしいお客さんに来てもらうためには、特にDMに力を入れたそうです。

「バイヤーの方々にはたくさんのDMが届きますから、
 その段階ですでに選別が始まっている。
 そこで、『捨てられないDMを作る』ということを今も継続しています。
 顔を見られない相手に価値を伝えるには、とても重要なポイントだと思っています。」

 (近藤尚子さん)

その結果、伊勢丹など目標としていたお客さんとの取引が始まり、
evam evaはついに軌道に乗りました。


■現在、そして未来
現在、evam evaの店舗は全国8店舗、
フランスやアメリカの展示会にも出展し、海外からの評判も上々とのこと。

やがて近藤ニットには、ブランドを好きになったお客さんだけでなく、
一緒に働きたいという若者も集まるようになってきました。

「ブランドイメージがだんだん定着してきて『ここで働きたい』という子が増えてきました」

青山にあった企画部門を、生産現場のある山梨の本社に移転したときには
田舎で暮らすことに抵抗のない人が多いことを実感したそうです。
福岡や大阪から来てくれたスタッフもいるとか。

「スタッフには、『作らされている感覚』はなくなっています。
 ミスがあったときにも、それがブランドに与える影響を現場の皆が理解している。
 間にアパレルさんがいるときと、直接お客様につながっている今とでは大きく違います。
 ミスに対する緊張感も、売れたときの喜びも。
 アパレルさんの仕事を受けでやっているときよりも、夢を見れるというか。
 これが直接売れているんだ、という『夢』を見ながら

 前向きに進めるようになってきました。」
 (近藤尚子さん)

作り手も、使い手もよろこぶ、モノづくりの良い循環が
ブランド「evam eva」を中心に生まれ、
しっかりとビジネスとしても成り立っている姿がそこにあります。

「今後は、文化に根差したブランドになりたいですね」(近藤和也さん)

そういう近藤和也さん、尚子さんの挑戦の道のりは
すでに立派なモノづくりの文化を体現しているのではないでしょうか。




※この原稿は、セミナー&意見交換会の内容を再構成したものです。
 意見交換会では、鈴木客員研究員の司会のもと、ヤマナシ織物産地の方々より
 鋭い質問が寄せられる真剣なトークセッションが繰り広げられました。

 その様子を写真でご紹介します。





今回のセミナー&意見交換会を経て、5月9日には近藤ニットさんへの

視察勉強会が開催されます。
そちらのレポートもお楽しみに!



(五十嵐)









2013年4月22日月曜日

ショールームをリニューアル!

微量金属(銀orバナジウム)を使った染色研究を担当しているUです。

シケンジョのショールームをリニューアルしました。

左側を最近の研究における試作品や商品(産地企業さんを通してオーダーメイド可能)を追加しました。右側はこれまで通り、人気の高い「KAIKI ZA商品&a un tonnboシリーズ」のスペースとなっております。お立ち寄りの際は、是非ご覧いただきたいです。
(展示担当 左:U、右:Igarashi)
銀染ginzomeを用いたTATAMI織人(畳しょくにん)によるTATAMIテキスタイルも登場。

実際に用いた天然染料や媒染剤(微量金属の発色補助剤)のビン詰め標本達。

最新技術(2013)であるバナジウム(繊維上に0.2%)テクノロジーを使ったネクタイ(シャクトリムシ風展示)。

右側のKAIKI ZAコーナーには、最近の海外展開によりニューヨーク近代美術館(MoMA)から発注がきたストールを追加しました。

**********以下、リニューアル前(こちらもお気に入りだったので写真に残しておきました)******





2013年4月16日火曜日

ヤマナシ発・先進ブランド事例に学ぶブランディング

セミナー&視察勉強会を開催します!

ヤマナシ発のモノづくりブランドを語る上で必ずその名が挙がる
近藤ニット㈱(evam eva)と
㈱大直(めでたやSIWA)の両社か

ブランディングの実際を学ぶためのプログラムとして、
近藤ニット㈱の近藤和也氏、㈱大直の一瀬愛氏をお招きした特別セミナー、
そして両社を訪問する視察勉強会を開催します!

お申し込みはこちらからどうぞ!

※参加受付はヤマナシ織物産地企業の方が優先となりますのでご了承ください。
※4月30日現在、まで受け付けが終了となっています。

program① 特別セミナー(1)


①開催日時 平成25年4月24日(水)14:00~16:00
②開催場所 山梨県富士工業技術センター2階講堂
③テーマ 「ヤマナシ発・先進ブランド事例に学ぶブランディング ~evam eva編~」

講師 :近藤和也氏 (近藤ニット株式会社 常務)
コーディネーター : 鈴木客員研究員


program② 視察勉強会


 ①開催日時 平成25年5月9日(木)13:30~16:30
 ②開催場所 近藤ニット㈱、㈱大直(市川三郷町) ※現地集合
 ③テーマ 「ヤマナシ発・先進ブランド事例に学ぶブランディング ~企業訪問編~」
 コーディネーター : 鈴木客員研究員

 ◆定員10名程度
 ◆現地集合(集合場所は個別にご連絡します) 
 ◆駐車場確保の都合上、なるべく乗り合わせてお越しください。


program③ 特別セミナー(2)

 ①開催日時 平成25年6月6日(木)14:00~16:00
 ②開催場所 山梨県富士工業技術センター2階講堂
 ③テーマ 「ヤマナシ発・先進ブランド事例に学ぶブランディング ~めでたや・SIWA編~」
 講師 :一瀬 愛氏 (株式会社大直 SIWAブランドプロデューサー)
 コーディネーター : 鈴木客員研究員


*参加申し込み
 参加申込は、上の「チラシ」をダウンロードしていただき、必要事項を記載の上、

 FAXにてお申し込みいただくか、
 下記応募フォームに必要事項を入力しお申し込み下さい。

 応募フォーム 

*問い合わせ先
 山梨県富士工業技術センター 繊維部 五十嵐、上垣、秋本
 TEL.0555-22-2101 FAX.0555-23-6671 e-mail kougyo-fj@pref.yamanashi.lg.jp

2013年4月12日金曜日

透け感最高、紗(しゃ)織りの魅力

微量金属(銀orバナジウム)を使った染色研究を担当しているUです。

今回は、国内でも希少な技術である紗(しゃ)織りを用いたヤマナシ産地の最新商品等を通じて紗織りの魅力をお伝えしたいと思います。
 
まずはこちら、先日の伊勢丹新宿本店「日本の手しごと展」(2013 4/3-4/8)でも大好評のストール(再掲載)。
黒い糸がたて糸で、紗織り技術により黒い糸がカッチリとよこ糸を絡んでいます。
最高の透け感です。
先染め(糸段階で染色)+紗織り+後プリント(伊勢型紙)のなんとも豪華な組み合せです。
しかも色域の境界がとてもシャープです。高い塗布技術に加えて、染料粘度を調合する技術力の高さがうかがえます。
 
新宿伊勢丹における催事では伊勢型紙と紗織りのコラボ商品として、他にも以下のカラーバリエーションのものをお披露目していました。

モアレが見えます。これは紗織りにより非常に規則正しく並んだ糸がヨレルことなく並んでいることで、生地が重なった時、光の干渉が起きていることを示します。通常の織り方ではなかなか見ることができない現象です。
 
 
 
お問い合わせはこちら
 
2012-2013研究試作品紹介-バナジウムテクノロジー第1弾-で天然染料の濃黒染め紗織りストールを作っていただいた富士吉田市の(有)羽田忠織物さんです。)

 
次は紗織りの仲間であるフレスコ織り。
ネクタイ業界では絡み織りをフレスコ、和装業界では紗と呼ぶそうです。
 
 



こちらのフレスコ織りは西桂町の東邦シルクさんで、これらの涼感溢れる生地は、日本橋三越2階オーダーサロンで驚くほど軽いシルク&ウールのジャケット地として使われています



最後にシケンジョの試作品ストール。
バナジウムを新たな発色補助剤(繊維重量の約0.1%付着)として使い、天然染料ゴバイシ(繊維重量の50%使用)で耐光性の高い濃黒色を実現したシルクを用意しました。
このシルクで紗織りストールにしていただきました(マクロレンズで再撮影)。
 

紗織りは強制的にたて糸をよこにずらす特殊な機構が必要です。
通常の織機はたて糸は上がるか下がるかの動きをします。
密度の薄い透け感のある織物は、例えば平織りなどで作ると簡単に糸がずれてメヨリを生じてしまいます。(シケンジョテキスタイル研修で用いる資料より)

そこで、通常の織機でも擬紗(ギシャ)あるいは模紗(モシャ)という(紗っぽい織物を作る)組織があり、このパターンで織ると3本ずつ糸が交差することで比較的透け感のあるものが作れますが・・・。

写真はシケンジョで試織した擬紗の2重や4重織物で最上面の密度を変化させた織物です。

ツルツルした糸で、さらに目を粗くして透け感を求めることは難しく(写真のようにずれてしまう)、やはり最高の透け感、かつ丈夫に作るとなると、特殊な紗織り機構が必須になってくると思います。
(麻や綿等のスパン糸を使った擬紗の生地等は糸同士が強く絡み、涼しげで夏の商材としても人気が高いものもあります。)

(上垣)









みやしんセミナー

2013年3月8日(金)、みやしん(株)の宮本英治社長を招き、セミナーを開催しました。

日本のファッション産業の最先端を支え続けた伝説の機屋さん「みやしん」と宮本英治社長については、こちらの記事でもご説明していますので、ぜひご覧ください。
まずはセミナーに先駆けて、宮本社長さんを産地の機屋さんにお連れしました。

1社目、宮本社長さんからのリクエストで訪問したのは、西桂の㈱槙田商店。創業1866年、日本を代表する洋傘地メーカーであり、服地にも力を入れている地域のリーダー的存在です。

写真は本社2階の縫製工場で、上は光に透かしての検反作業。
下は縫製作業中の傘です。「△」型の生地をつなげて丸くなるようにまず縫製してから、骨に取り付けます。




3階のショールームで見せていただいたのは、「1866(イチハチロクロク)」と名付けられた傘。生地を二層に張る蛙張り(カワズバリ)という「匠の技」と、内側の目立たない部分の生地に瀟洒なテキスタイルを使い贅を尽す「粋という文化」のコラボレーション。
1866年は槙田商店創業の年。
この傘はその数字を冠した槙田商店のフラッグシップモデルです。




猪?


服地を織る工場で織機を見学する宮本社長(中央)。

織機の重要なパーツ「筬(オサ)」にも、「1866(イチハチロクロク)」発見!


工場のあとは企画室で看板サイズの巨大ジャカード生地、19世紀の貴重な生地見本を見学し、次の機屋さん、㈲テンジンへ向かいます。

テンジンさんで見学したのは、槇田商店で見学した最新型の高速大型織機とは対極にある、ドビーのシャットル織機。
テンジンさんでは、こだわりのリネン生地を織るために、あえて古い織機を購入してスロープロダクツならではの良さを追求しています。のちほどセミナーでも触れられますが、ジャカードからドビーに移行して高付加価値な織物を織るというのは、みやしんさんと同様の戦略です。

上の写真は、ドビー織機用の紋紙(をクローズアップで撮影したもの)。穴のあるなしで織物組織のパターン情報を織機に伝える媒体です。むかしのコンピュータのパンチカードと同じ、というよりむしろ織機の方がコンピュータの祖先と言われています。
そしてついにセミナー会場、ナノリウムへ。
今回、特別に会場として使わせていただくことができました。




大勢の受講者が森の中のギャラリーに集結。

セミナーは、「みやしん(株)」が日本の最先端のファッションを支え続けた織物メーカーとしての歴史を終えた経緯からスタート。


みやしんで培ってきた織物をなんとかして未来へ継承させなくては、という思い

と、

このまま続けていたら、築いてきたことを後世に残すことも難しくなるかもしれない

というジレンマの中で、

学校法人文化学園の「文化ファッションテキスタイル研究所」に生まれ変わるという決断をし、
「ものづくり」から、「人づくり」へのシフトをされた経緯が語られました。

 
「産地から若い人が、研究所に来た時は素人だけれど、
帰ったらものづくりも、ビジネスも先代社長よりもよく出来るようになっている。

そんなことができたら…」

こう言って目を細める宮本さん。

今後は、文化学園の学生だけでなく、全国の織物産地の若い後継者に技術を伝える
人づくりの場を作れたら、という夢を語ってくれました。



1970年代、もともと男性用着物地を作るメーカーだったみやしん(株)に戻ってきた
当時の宮本さんは、そのジャンルの未来に不安を感じ、新しい道を模索することを決意。
そして自社の設備と同様のものを持つ世界中の工場を調べ上げた結果、


「一番織りづらく、よそでやっていない麻を使う」という決断をします。

その時点の方向付けから、すでに「みやしん」らしさが醸し出されているようです。

そしてしかも、当時市場になかった
「冬物のリネン生地」の開発をスタート。

経糸をリネン、緯糸に綿やウール、シルクなど異素材を用いたり、
多重織にして嵩高にしたり、ウールを縮絨させてみたりと、様々に挑戦するなかで、
よそにはできない技術を蓄積させて行ったそうです。

もともと織物の経験のなかった宮本さんは、工業高校で使われた「織物」という教科書を先生に、
独学で織物を学んだとのこと。ひと言でそうおっしゃいますが、そう簡単なことではないはず…!
そんな宮本さんの伝説的な歩みが、セミナー受講者を前に淡々と語られました。


「織物の世界にはまだまだ可能性がある。
業界はたしかに厳しい、厳しいと言われ、どこでも業者が減ってきていて
今後どうするのか、ということがよく言われる。
しかし作り方や販売方法を工夫すれば、これからまだまだ可能性がある!」


宮本さんはそう断言。
ではどう工夫したらよいのか?


「一番大事なことは差別化すること」

「今後は、売り場は売る商品を自分で作る、逆に作る人は作った商品を自分で直接売る。そういう流れが求められているのではないか」

そんなアドバイスをもらい、また宮本さんが持参したみやしんの商品を回覧しながらのレクチャーも。

ここでそのいくつかを写真でご紹介します。




セミナーでは、まとめきれないくらい多くの示唆に富んだお話しが伺えました。
そのうち幾つかを抜粋してご紹介します。


・社内での人材育成について

「たて糸を多めに発注して試作ができるようにするなど、

できるだけ作るチャンスは与えるようにしていた。
そのチャンスを生かすかどうかは本人次第。
経営者としてチャンスを与える場を作るようにできればと思っていた」


・元社員のSさんが語った宮本社長の印象に残った言葉

「モノを作るには感性よりも、技術と理論が先だ」


 

・「どんな消費者を見て商品開発を考えていけばよいのか?」という質問に対して

「一番分かりやすいのは、上代がある程度高くて、いい素材を使っているブランドの消費者を見ること」



・展示中の「富士山テキスタイルプロジェクト」の作品をついて

「まずモノづくりについては、いい悪い、というのは、見方によって変わるもの。

売れる売れないという視点がすべてでもない。
私が大事だと思うのは、集団のなかに若い力をどんどん取り込んで、チャレンジをすること。
売れる結果を期待しちゃいけない。
若い人を入れて若い人と一緒にやることで風を吹き込んでもらうこと、
産地の次の人材になっていってもらうこと。その効果がすごく大きい」

 

・「見ざる、触れざる、集めざる」

「他の人の作品を、できるだけ見ないようにしよう、触れないようにしよう、集めないようにしよう。常に自分は人の影響を受けやすい人間だと自分に言い聞かせて、

できるだけ見たり触ったり集めたりしないで、自分自身で作っていく。
そうすれば、誰かに『コピーじゃないか』って言われても、平然としていられる。
私は何も参考にしないで、自分の頭で作りだしたんだと言える」

 

・伝統と革新について

「伝統というのはそれができたときには、たくさんの職人さんたちの

革新の連続で出来上がった。
新しいものを作り続けようという革新を継続する気持ちは、

伝統それ自体よりも絶対に重いと思う。
作り続ければ、それがいつか伝統になるかもしれない。
伝統の重さに負けないで革新の連続を、続けて行こうと若い人たちに言いたい」



盛りだくさんの内容でお伝えできないところも沢山ありますが、このあたりで。
宮本社長、そしてセミナーに来ていただいた皆様、ありがとうございました!


(文:五十嵐 写真:高須賀)