映画『天空の城ラピュタ』のなかで、ヒロインのシータが、宿敵ムスカに対して言うこんなセリフがあります。
今回は、それを3つの観点から簡単にご紹介したいと思います。
先史時代、自然の中で生きるために必要でやっていた様々なことは、文明の発達によってしなくても済むようになったり、時間が節約できるようになってきました。
そしてできた空き時間に、人は「趣味」「遊び」と称して、結局同じようなことをやっている、という観点です。
例えばゴルフは球技ですが、見方を変えると、長い棒を持ったグループが何かを狙って野山を歩き回る活動です。誰が一番遠くまで何かを正確に飛ばせるかを競うというのは、まさに狩猟のスピリットそのものといえます。
こう考えると、文明の発達で「やらなくてよくなった仕事」は、つらい労働というだけでなく、大きな楽しみでもあったのではないか?
その失われた楽しみを取り戻すために、人はわざわざお金と時間を使って、別の形で体験しているのではないか?
これを考えた時、人は先史時代の暮らし方から完全に遠ざかることはできない、という意味で、「土から離れては生きられないのよ」という言葉が思い起こされます。
「糸を作る」「織物を作る」という仕事にも、もともと大きな楽しみがあったからこそ、それを取り戻すために、人は休みの日に織物工場を見学したり、ハタオリマチフェスティバルに参加したりするのではないでしょうか。
こうして土に戻っていく活動を重ねるなかで、これまで生産者と消費者を分断していた壁を壊し、新しい関係づくりをする先に未来があるような気がしています。
ラテン語の大地を意味する「terra」から生まれたフランス語、イタリア語に、テロワール、テリトーリオ、という言葉があります。
経済の国際化によって流通経路は世界中に広がり、より安く作れる土地で作ればいい、という観点から、ものづくりと土地の関係は分断され、世界は断片化したパーツのネットワークになっていきました。
テロワール、テリトーリオという言葉は、それとは逆に、バラバラになっていった人の営みと土地の結びつきに取り戻すこと、その先に未来の豊かさやラグジュアリーがあることを示唆しているように思えます。
イタリアのラグジュアリーブランドのブルネロ・クチネリがソロメオ村に本社を移し、村の再生と職人文化の復興を行い、その土地で作る価値をブランドの軸にしているのはその一例だと思います。
産地というのは、もともとその土地の風土の中で採れた素材を使ってものを作っていた場所だったと思われます。
産地でものを作る暮らしや、その土地でなければならないことが、いま色々な観点から問い直されています。
そんなことを考えていると、「土から離れては生きられないのよ」という言葉がまた響いてきます。
生態学では、光と水と空気、土中の「素材」を使って光合成をする植物が「生産者」、草食動物やその草食動物を食べる肉食動物は「消費者」と呼ばれます。そして欠かせないのが「分解者」です。
動植物の死骸や排泄物を分解し、生産者が使用可能な無機物にまで分解する分解者は、まさに土壌を中心に存在し、土そのものといえます。
これもまさに、「土から離れては生きられないのよ」という言葉そのものです。
40年近く前のこの映画のセリフが、現代社会とこんな風にリンクしているというのは、とても興味深いことではないでしょうか。
以上、「土から離れては生きられないのよ」ということばから想起される、3つの観点をご紹介しました。
(五十嵐)