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2021年5月26日水曜日

音楽、織物、宝石

先日、山梨県絹人繊織物工業組合からリリースされた『WARP』には、山梨で生まれたいろいろな生地の紹介や産地入門、ハタオリ産地対談などのほか、織物について様々な角度から語る文章が収められています。

そのお手伝いをする中で、織物の面白さや魅力をこれまでと違ったいろいろな角度から考える機会がありました。

そのときに思い描きつつ、『WARP』には掲載できなかった副産物のいくつかを、ここにまとめてみたいと思います。

時間と音楽、織物、宝石


まずは「時間」をキーワードにして、織物とそのほかのものを比較してみる視点から始めたいと思います。

音楽、織物、宝石。これら、一見したところ関係のなさそうなものですが、時間経過に着目して並べて比べてみましょう。



音楽、織物、宝石は、それぞれ音波、平面、立体という物理的な違いはありますが、それぞれが生まれる瞬間にフォーカスしてみると、ある方向に積みあがって構造ができあがっていくという共通性があることがわかります。
(注:宝石の多くは図のような均一な結晶構造を持ちますが、実際にはオパールのようにそうでないものも含まれます)


図の中の上向きの黒い矢印(↑)は、時間的な流れにそってそれぞれが形成されていく動きを示しています。

その過程をどう呼ぶかは、演奏、織り、結晶成長など名称が違います。また、これらができるまでにどの位の時間がかかるか、出来上がったものはどのくらい存在し続けるのか、という違いもありますので、これらを表にまとめてみました。


注:織物の所要時間は、機械式織機でハンカチ程度の大きさが織れる時間から、手織りでタペストリーを織り上げる時間までを想定しました。宝石は人工ダイヤモンドの製造時間(1カラット100時間程度※)から、メキシコの巨大クリスタルの洞窟(クエバ・デ・ロス・クリスタレス)の結晶ができるまでの推定時間を例として挙げました。

※『高圧合成ダイヤモンドの成長 : 宝石素材』神田 久生, 科学技術庁 無機材質研究所 宝石学会誌 20(1-4), 37-46, 1999


今回のシケンジョテキでは、織物を中心として、これらの関連性や違いについて、ちょっと考えてみたいと思います。

織物と音楽(1)記録された音楽と織物


織物が作られるときには、緯糸が1本1本織り込まれていきます。音楽の場合は、4拍、8拍などのビート、リズムが緯糸に相当するでしょう。

音楽織物も、上の図で描いたように似たような縦軸-横軸の構造を持っています(音楽の場合は、矢印の方向は空間的なものではなく時間軸そのものであるという違いはありますが)

このような類似性のため、それぞれの形成過程を記憶した媒体、ジャカード織物の紋紙(パンチカード)と、手回しオルガンの折り畳み式パンチカードを比べてみると、ほとんど見分けがつかないほど似ています。どちらもある時点で、どの経糸を開口するか、どの音色を出すか、ということが紙に開けた穴の位置で記録されています。
織物のパンチカードは1728年、オルガンの折たたみブック式は1892年で、発明は織物の方が先だったようです。


ちなみに、織物のパンチカード(紋紙)は1801年にジョセフ・マリー・ジャカールによって発明された織機で実用化され、のちにコンピュータのデータ入力に応用されるようになります。このことから、ジャカード織機はコンピュータの祖先と言われることがあります。

また、音楽の楽譜と、織物の設計図にも、驚くような類似性が見られます。

下の写真は、19世紀のフランスで作られた生地見本の中にある、織物の設計図です。
専門的には、「綜絖引き込み図」や「紋栓図」、「もじり織り」の仕様が描かれているようです。

しかし何も知らずにこれらを見れば、音楽の楽譜の一種だと思ってしまう人の方が多いのではないでしょうか?

※生地見本帳所蔵:(株)槙田商店(西桂町)






このように類似性が見られる両者ですけれども、音楽を構成しているのは織物の糸のような物質ではなく、音速で拡散し消失してしまうエネルギーの蓄積なので、最後まで織ると布が出来上がる織物と違って、最後まで演奏された音楽は「聴いた」という経験の記憶しか残りません。そんな違いがとても面白いと思います。


織物と音楽(2)はたおり歌


織物のなかでも手織りの速度は、音楽のリズムと近いために、音楽織物が結びついた労働歌、「はたおり歌」が古くから歌われてきました。

山梨にも『都留のはたおりうた』として伝わるものがあり、その中に次のような歌詞があります。

  拝みあげます 機神さまに
  三日に一疋 織れるように

「三日で一疋」の一疋というのは布の長さ(約22m)のことで、当時の職人がこの速度で織れれば一人前と認められた目標値であったそうです。ここでも時間織物の関係が現れるのが興味深いです。

この『都留のはたおりうた』は、2018年に富士吉田で開催されたハタオリマチフェスティバルを記録した映像作品のBGMとして聴くことができます。
(音楽:森ゆに 田辺玄 tricolor)


※画像をクリックするとYouTubeの動画にリンクします

手機ではなく機械式織機でも、シャトル織機の回転数は100回/分程度で、
音楽のテンポに近いゆっくりしたリズムを奏でます。そこで、織機の音をリズムセクションに取り入れて、織物音楽を結びつけるというアイデアが2016年に山梨で生まれ、ある楽曲が誕生しました。

その曲の名は『LOOM(LOOM=英語で「織機」という意味)

この曲は、シケンジョとBEEK DESIGNが制作した同名の冊子『LOOM』2016年に発行されたとき、そのリリース記念に開催されたイベント『ハタオリのうたがきこえる』に合わせて作られ、発表されました。

織機の音は、富士吉田市の(有)テンジンさんの工場で録音されたものです。月曜日に織機の音を録音し、それにインスパイアされて歌が作られ、同じ週の木曜日に初演された、という信じられないスピードでの誕生でした。


音楽を作ったのは、上の「都留のはたおりうた」の演奏と同じ、田辺玄さんと森ゆにさん。
織機のリズムとともに、ハタオリマチに流れてきた長い時間と人の営みが美しく描かれています。

その後『LOOM』は、同じ年の秋に初めて開催され『ハタオリマチフェスティバル』
も演奏され、さらに濱田英明さんが監督・撮影した富士吉田の風景と合体して映像作品『ハタオリマチノキオク』として公開されています。よろしければぜひお聴きください。

画像をクリックするとハタオリマチフェスティバルの動画ページが開きます。


織物と時間(1)時間を織り込むアート


織物の中に時間を織り込むという形で生まれたアート作品があります。

作ったのは、かつてシケンジョ臨時職員としてシケンジョテキを立ち上げた高須賀活良さん(現ハタオリマチのハタ印ディレクター)です。

彼は2013年夏に過ごしたイギリスで、毎日の日記を書く代わりに、その日に手に入れた素材(植物からスティックシュガーまで)を緯糸として織り込む、という方法で作品を作りました。

文字通り、日々の時間織物の中に封じ込めるというこの試みは、織物がただの平面素材ではなく、時系列にそって徐々に形づくられているものであることを端的に気付かせてくれます。









上の写真のように、その日その日に織られた織物カレンダーのように並んでいるのを眺めることは、高須賀さんがイギリスで過ごした夏の日々の時間が物質化したものを眺めることでもあるでしょう。

この作品を見て、それぞれが織られた時間・場所の風景を正確に思い浮かべられるのは、これを作った高須賀さんしかいませんが、見る人それぞれの脳裏にも作品の中に結晶化した、その夏にたしかに流れていた時間の存在が感じられるのではないでしょうか。

織物を織りながら過ごす時間が日々の多くを占めていた頃の時代では、自分が織った織物を見ることは、自分の過ごした人生を俯瞰することに近いものがあったのではないかと思います。そんな時代の織り手にとっては、織物は自分の人生の時間を可視化して結晶化したものだったと言っても良いかもしれません。


織物と時間(2)時の流れを変える織物


織物を織ることが時間の流れと直接結びついたお話があります。

古代ギリシャ、トロヤ戦争の後の時代を描いた叙事詩『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの妻、ペネロペの物語です。
※実際に想定された織機はこれと全く違う形式かも知れません。

この物語では、戦争から何年たっても戻らぬ夫オデュッセウスの不在をいいことに、オデュッセウスは死んだものとして遺産目当てに群がり略奪にふける求婚者たちに対してペネロペは仕方なく、「いま織っている織物が織り上がったら結婚しましょう」と約束させられます。

しかし彼女は、昼に織った緯糸を夜になるとこっそり解き、織っては解きを繰り返すことで完成を先延ばしにする作戦を実行し、あるていどの時間稼ぎをすることができました。

このくだりを読んだとき、ペネロペが織物を夜にほどくことで、昼間のうちに経過した時間をなかったことにして、いつまでたっても時間が先に進まない状態にしたような、不思議な感覚を覚えました。このような筋書きは、焼き物や彫刻の制作に置き換えても成り立つのかも知れませんが、時間とともに蓄積していく織物だからこそ面白い効果があるのだと思います。

ペネロペの物語では結局、この作戦はバレてしまうのですが、最後には帰還したオデュッセウスに救われてハッピーエンドを迎えます。このお話は、
織物時間の関係性が物語のヒロインの運命に関わる場面で使われた、とても面白い事例だと思います。


織物と宝石


宝石に限らず、金属からタンパク質まで、原子や分子などが規則正しく並んだ立体構造を結晶と呼びます。

一方、織物も規則正しい経糸と緯糸の交差パターン(=織物組織)で形作られているので、規則的な反復構造という意味では、両者は非常によく似ていると思います。
(ただし宝石には均一な結晶ではないものもあります)



この構造の類似は宝石だけでなく結晶全般にいえることですが、ここでは山梨が古くから水晶の産地で、現在も水晶彫刻や国内ジュエリー生産の中心地であることから、せっかくなので「宝石にフォーカスして話を進めたいと思います。

宝石が生まれるときには、織物の緯糸が1本ずつ織り込まれるように、長い時間をかけてひとつの構造パターンが徐々に積み重なっていきます。これを結晶成長などと呼びます。

イラストはブロック状のものが積まれていくイメージで描きましたが、
実際にはブロックの頂点にあたる場所に原子や分子が付加されていきます。

宝石一般的に、非常に硬度が高く、希少で美しい鉱物結晶のことを指すとされます。

硬いことと、非常に長い時間をかけて誕生することなどから、宝石には永遠の時の流れを感じさせるようなイメージが持たれています。

先ほどの高須賀さんの作品例で、織物の中に時間が封じ込められたイメージと少し近いものが感じられます。

また単一な規則的な構造の反復できているという純粋さ、ピュアであることも宝石の魅力でしょう。

このように永久不変の静的なイメージを持つ宝石ですが、その一方で誕生の時には、膨大な圧力と金属も溶けるような高温の中で成長するという動的なプロセスがあることは、非常に興味深いです。

こうした宝石のさまざまな要素をふんだんに取り入れた作品に、『宝石の国』という漫画があります。

『宝石の国』(作:市川春子 出版:講談社)を参考に描いた似顔絵

登場するのは、文字通り宝石を擬人化したような、宝石でできたキャラクター達。
彼ら(性別はありません)は、宝石にふさわしい美しさと永遠の寿命を持ち、何百、何千年ものあいだ、無限に反復するような毎日を過ごしています。結晶構造の反復性が、時間の限りない反復に置き換えられているようにも感じられます。

(以降、ごく軽度なネタバレを含みますのでご注意ください)

この作品では、それまで何百年も変わることのできなかった主人公のフォスフォフィライト(↑似顔絵)が、変化したいと願い、ついに成長するところから物語が動き始めます。時間に閉じ込められ、不変であるはずの宝石が成長したい、変わりたいと願うことが、作品を動かすエンジンになっているところが興味深いです。このテーマは、宝石には結晶の成長という物理現象があることと無関係ではないでしょう。

また、この作品では成長するということが、純粋な存在でなくなること(不純物を取り込んでいくことという、人間の子供が大人になる過程でよく言われることを、宝石そのものの純粋さで描いているのが面白いところです。

またインクルージョンという宝石の中にある微量な不純物こそが、そもそも彼らの自我を支えているという設定も面白いと思います。


さて、作品の中でも非常に硬いとされているはずの宝石できた彼らですが、人間と同じように動いたりしゃべったり、宝石そのものでできた髪の毛が風になびいたりします。鉱物の硬さと、自在に動き、変形する柔らかさが同時に成り立っているという、想像しがたいような矛盾。

このように現実ではありえない状態を、問答無用で前提としてしまう設定は漫画という芸術表現ならではの痛快な醍醐味です。

そしてシケンジョテキ的には、このように柔らかい結晶世の中にあるとすれば、それは織物ではないか?と想像を膨らませざるをえません。

宝石織物で例えるとするならば、同一の構造が均一に繰り返されている単結晶は、ただ一つの織物組織でできた、無地のドビー織りに相当するでしょう。

ラピスラズリのように、同一の結晶構造を持ちながら一部で違う種類の元素に置き換わっているもの(固溶体、類質同像)は、同じ織物組織を用いつつ別の素材や色を織り込んだ、ストライプボーダーに相当すると言えそうです。

そのほか、宝石の構造には、多結晶(ヒスイ、トルコ石など)という、複数の織物組織を組み合わせたジャカード織物(参考「ジャカードという名の劇場」)を思わせるものがあったり、結晶構造をもたないオパールなどの(=アモルファス)など、新しい織物のヒントになりそうなものがいろいろありそうです。

こうして改めて考えてみると、織物組織を徐々に変化させてグラデーションを織る技術で作られた傘、「こもれび」などは、この非晶質に相当するかもしれません。

おわり


織物というのは、人類が作り出した人工物の中でも非常に身近にありながら、まだまだ知られざる特殊な存在、という要素がいろいろあるように思います。

長い歴史の中で、世界中であらゆる種類の織物が作られてきましたが、このような異分野との類似や連想からその特殊性を見返してみることで、これまでになかった新しいアイデアが生まれて来る可能性があるのではないでしょうか。

とりとめのない文章でしたが、ものづくりに携わる方の何かの参考になれば幸いです。


以上、『WARP』に入りきらなかったこぼれ話をお届けしました。


(五十嵐)

2021年5月24日月曜日

文化人類学的工場探訪:森口理緒さんインタビュー

先日発行された冊子、『WARP』に掲載されているコラム「文化人類学的工場探訪」は、『WARP』、同時にリリースされた生地カタログ『WEFT』山梨ハタオリ産地の生地セレクトを担当した、森口理緒さんへのインタビューから生まれました。



森口理緒さんとは?

森口理緒さんは、富士吉田でテキスタイル産地とファッションブランドをつなげる存在を目指して活動中の、いわゆる「ハタジョ」と呼ばれる若者のひとりです。

※ハタジョ:山梨産地に移住してテキスタイル関連の活動を積極的に行っている20~30代の女性がよくそう呼ばれたり、またしばしば自称してワークショップなどのイベントを開催することもあったりします。
(参考 『HATAORI-MACHI FESTIVAL GUIDE BOOK』2021, 富士吉田市富士山課)

森口さんは大学でファッションやテキスタイルとは全く別のフィールドを学んだあと、卒業後に地域おこし協力隊として山梨に移住して、現在3年目を迎えています。

この2年ほどのあいだ、いろいろな織物工場を訪れてはテキスタイルの特徴や職人さんの魅力を発見し、外部に発信している森口さんは、まるでワイン産地に住みついて、地域一帯のワイナリーの味を知り尽くしているソムリエのような存在。ソムリエがワインと料理の相性を知っているように、「この生地は、あのブランドにぴったりだろうなあ」などと想像しながら、工場とデザイナーのマッチングを実現すべく、日々活躍しています。

そうした経験から『WARP』と『WEFT』の誕生に深く関わった森口理緒さんに、森口さんが工場を訪れる理由や、その背景となる経験について伺いました。

シケンジョテキ初のロング・インタビューです!


文化人類学との出会い

シケンジョテキ 山梨に移住してくる直前、大学の卒論で文化人類学をテーマにしたと伺いました。文化人類学の学科だったんですか?


森口 文化人類学は大学で専攻していたというわけではなくて、3、4年のころに文化人類学を研究している先生のゼミに入ったのがきっかけで学びました。専攻としては、総合政策学部に所属していて、就職先はメディアとか新聞記者が多かったですね。


シケンジョテキ 社会を見て文章化するひとたち。


森口 そうですね、文章化したり、こことここを繋げられそうとか、そういうことを考えるのが好きな人たちが集まっていますね。


シケンジョテキ 学術分野としたらどんなものになりますか?


森口 いろいろな専門の先生がいて、情報系とか、メディアの先生、データ分析、経済、経営。もっと文化よりの研究している先生もいて、ロシア文化、中国文明、宗教系とかも。


シケンジョテキ 最近、社会学、文化人類学が気になります。


森口 社会学は文学部とかに所属することが多くて、どっちかというと統計を用いていろいろな事象を研究するアプローチですね。データをもとに社会の傾向を分析するような。

文化人類学とか人類学では、あまりデータではない、フィールドワークの現地調査とかで研究するアプローチですね。


シケンジョテキ ミクロ対マクロみたいな。なんでフィールドの方に興味を持ったんですか?


森口 ゼミに入るときの面談で、教授になんで私のところがいいの?って聞かれたんです。一見不合理にみえることとかをちゃんと観察して調べてみると、これにはちゃんと理由があるんだよ!っていう風に発見するのが好きだったんですよ。そういうことを理解できる学問ってなにかな、と思っているときにその先生が文化人類学じゃない?と教えてくれて、それで、じゃあここで!って思ったんです。


シケンジョテキ まずやりたいことありきで、それに合うのが文化人類学だった。


森口 そうですね。ゼミの先生は、インドネシアのアダット(慣習法)などを研究している方でした。

ゼミ生はそれに限らず、自分の好きな分野を研究していました。遠野物語や、摂食障害の人を抱えたコミュニティについてだとか、キリスト教の日本のカトリック協会の若者について研究した人も。マニアックなところに目をつけて研究している人が多かったですね。


馬をテーマにした卒論

森口 私が選んだ研究テーマは、馬と人間の関係。3年の後半くらいからテーマを絞って決めていきました。

そのころ、競馬場でバイトをしていたんです。競馬場内にある小さな売店でビールを注いだりして。その時に競馬場に来ている人たちを見て、いい大人があんなにはしゃぐのかと(笑)。馬を見て感動して泣いてる!という風景を見ました(笑)。ただギャンブルの対象として馬をみている人もいれば、馬に対する感情移入が尋常じゃない人もいる。

でも競馬場に来てちゃんと最後までいる人は、なんだかんだで馬を見に来ているんです。馬についてずっと語っている人もいるし。でもそれは、ペットみたいに可愛いとかじゃないんですよね。その感情移入の仕方は一体なんなんだろう?という疑問から始まって、馬と人の関係って面白いなって思いました。

ペットでもないし、家畜とえいえば家畜だけど、ミルクを取らないし、労働力の担い手?

遺伝子的に野生の馬というものは、もう存在していないそうです。家畜が野生化した馬は少しだけいますが。。


シケンジョテキ いないんですか?


森口 いないんです。半野生はいるんですけど。いったん完全に家畜になっているので、完全な野生に戻れないらしくて。


シケンジョテキ お蚕さんみたいな?


森口 そう(笑)。馬と人の関係って不思議だなって思います。最初は競馬の馬を調べていたんですけど、だんだん競馬史みたいになっていってしまって、これはちょっと違うなと(笑)。そして、「馬搬(ばはん)」をやっているという方が日本にいると知って、この関係性は面白そうだ、と。遠野のほうにそれを現役でなさっている人がいたんです。


シケンジョテキ 「馬搬」ってなんですか?


森口 林業の一種で、切った木を森から運ぶのに馬を使うんですよ。馬を使うことにはいろいろなメリットがあって、機械が入れないところにも馬が入ることができたり。林業のために道を作るということは山に対してあまり良くないんですけど、それをしなくて済むとか。中小規模の林業に適していて、山を崩さず、負担をかけず、機械が入れないところにもスルスル入っていける。これから馬搬は見直されるんじゃないかと言われているんです。

馬搬をやっている方とその馬との関係性が面白くて。労働させているんだけど、こっちとしてもお世話になっている。愛着はあるけれど、労働力として使えなくなったときのこともちゃんと考えている。可愛いがり過ぎないけれど、機械ではない。いい距離感。ああ、この距離感って犬や猫とは違うよなと。それに関して考察してみた、というのが卒論でした。動物との関わり方。果たして動物に労働をさせるのは悪いことなのか。そうじゃないんじゃないか?みたいな。


シケンジョテキ 倫理的なところも学問のポイントなんですね。盲導犬とか、牧羊犬とかも同列?


森口 同じといえば同じですね。パートナーとしての動物に興味を持ちました。。


シケンジョテキ 共生している生物同士みたいですね。


森口 人と動物の共生の種類には、どういうのがあるんだろう、という事例のひとつとして馬搬という形を研究したのが卒論でした。


シケンジョテキ 文化人類学の魅力を考えると、人間の社会のあり方には、ステレオタイプなものだけしか知られていないけれど、こんなあり方もできたんだ、という豊かなバリエーションを知ることができるのが嬉しいですね。


森口 白と黒だけじゃない、グレーの中の多様性、そういうのを見るのが好きです。さっきの拒食症をテーマにした社会人類学の例でも、治すことが本当に問題解決なのか、治すことが唯一の解決だとどうして社会では思われているんだろうとか。病気と一緒に生きていくのも一つの手なんじゃない?というところから考え始めたり。そういうステレオタイプじゃない選択肢とか、生き方とかに目をつけるのが好きな人は、人類学とか好きなのかもしれないですね。


シケンジョテキ そういう意味で、機屋さんは魅力がある(笑)。


織物工場に出会って見つけたやりたいこと

シケンジョテキ 山梨の機屋さんに出会ったのは大学時代?


森口 もともと雑誌を読むのが好きだったので、編集的なことをしたかったんです。大学ではサークルもやっていなかったので、インターンとかもしてみたいなと。都内に通うのもつらいので地元の八王子にそういう会社があるかなと調べたら、トリッキーというのがあるぞと(笑)。行ってみたら私が調べていて見つけたフリーペーパー『IDOL』はもうやっていないんだけど、よかったら来る?と言われて行ったのが始まりですね。

何もわからず言われるままに文章を書いたりして。そうしているうちに、ハタオリマチのハタ印のHPを作る仕事が始まって、学生ライターとして山梨にきて取材をさせてもらったのが、機屋さんとの始まりですね。


シケンジョテキ そして、織物はやばいぞ、と。


■森口 もともと家族がみんな洋服やファッションが好きだったので、昔はスタイリストとか洋服に関わる仕事をしたかったときも小さい頃とかあったんです。でも服を作るとかじゃないなーと。私は服が好きだけど、服の何が好きなのかが分からないなあ、という疑問をしまい込んだまま大きくなって。それがいきなり「あ、生地!」みたいな。「ああ、たしかに!生地ね!」と(笑)。その時、洋服の何が好きだったのか分からなかったモヤモヤが生地を見て一気に解決したんです。


シケンジョテキ それに気づいたのはいつ頃?


森口 山梨に来て織物工場に行って、生地が服になったのを見て、それで「あ!」って(笑)。格好いい~?って思って。こんな機械がガッシャンガッシャンしてるところで作られたものが、私の好きな洋服ブランドとかで使われているの!?って。これはすごい!と思って感動したのが始まりです。


シケンジョテキ どんなに繊細でかわいい生地も、機関車みたいなごつい機械から出てくる(笑)


森口 それが面白かったですね(笑)。それがデザイナーの手にわたって、服になって、売り場に並ぶんだと。そうか、素材かあ、と思ったのが始まりです。それまではテキスタイルという言葉すら知らなかったので。


シケンジョテキ そこから産地コンバーターになりたいと思うようになるまでには、どんなことがあったんですか?


森口 私もともとそんなに手先が器用じゃないので、作る人にはなれないかも知れないし、作ること自体に興味があるかと言われたら、そうでもない。美大に行っている人みたいにデザインができるわけでもない。私は洋服が好きなので、生地素材だけ作って終わりというのももったいないなと思っていたし。それをちゃんと使う人がいて、どんな人が使うかというのがちゃんと作る側にも伝わらないと、その生地の良さも活かせないよなと。

じゃあそれを伝える、つなぐ人になれないものか、って思って調べたら、コンバーターっていうのが出てきて、こういう仕事があるんだ、興味あるなあと思って。そして「産地の学校」のWEBサイトに載っていた島田さんという方に「あの、コンバーターになりたいんですけどどうすれば良いですか?」って連絡したら「は?やめとけ」って(笑)。それでも話を聞かせてくれたのが始まりです。

最近は、地域おこし協力隊の活動をやっていくなかで、作る人と使う人がうまくつながったり、使い手側が「ああ、こんな生地を使ったら面白いよね」と思ってもらえるきっかけを作れる存在になれたらいいなと思っています。それが別にテキスタイルコンバーターっていう名前じゃなくても、きっかけを作って、一緒に考えて生地を作るお手伝いをして、それで工場にもちゃんと発注が入るようにできるような仕事がしたいなと。今はそう思うようになってきました。


シケンジョテキ すでにある職業のひとつになりたいというのではなく、やりたいことに合う仕事がしたいと。


森口 そうですね。工場の人とも仕事ができたらいいなと思うので、じゃあ工場に発注を投げられるような人になれば、工場の人と一緒にものづくりができると思って。それにはお客さんが、服を作ったり何かを作ってくれる人がいなくちゃいけないから、その間に立つ、そういう意味ではコンバーター的仕事なのかもしれないですけど、その役割で私も稼げたらいいなと思っています。テキスタイルジャーナリスト、編集者、企画・製作者、みたいな感じになりたいですね。テキスタイルコーディネーターとか。


シケンジョテキ 森口さんがやりたいことをもうやっている人っているんですか?


森口 どうなんでしょう?その一部がコンバーターなんじゃないでしょうか。コンバーターになりたいって言えばだいたい伝わるので、そう言ってるんですけど(笑)。

どうすればいいのか全然まだ分からないんですけど。最初から機屋さんを見ちゃっているので、機屋さんと仕事をしたいなと。


森口さんから見た機屋さん像

シケンジョテキ 機屋さんの魅力とはなんですか?最初は生地が生まれる場所として産地に出会って、その先に人がいたと思うんですけど。


森口 この産地にいるからかも知れないんですけど、機屋さんもテキスタイルを製造するメーカーなんですけど、そこにどうしてもセンスとか、色や素材の組み合わせとか、そういう要素が入ってきちゃう世界。

100%設計図どおりに作るわけでもないし、同じものをきれいに作り続ける職人でもないし。職人ではあるけれど、伝統工芸的な職人ではないし、ふつうのオッチャンだったりするし。それなのに、メゾンブランドの生地とか織っている、何?この世界観?!(笑)と思って。面白いんですよねえ。ものすごくファッショナブルな人たちと仕事をしているのに、野球の話しかしなかったり(笑)。この不思議な感じはなんだろうって、いっつも思っていて(笑)。それがすごい魅力なのかもしれないですね。


シケンジョテキ ギャップ萌え?


森口 数あるギャップ萌えの中の一つかも知れないですね。そのギャップにいつもやられているのかも。


シケンジョテキ 製造業の中でも例えば鉄パイプのようなものは、誰が作っても同じものじゃなきゃいけない。それとは違う。


森口 変な製造業ですよね。


シケンジョテキ 人がなぜファッションを求めるのかっていう哲学的な問題が、その素材を提供する人たちにも影響を与えて、結果的に特殊な存在になっているのかもしれないですね。


森口 そうですね。もし世の中の人がいつも同じ服を着ている世界に住んでいる機屋さんだったら、鉄パイプと一緒になる。そうじゃないところが面白い。


シケンジョテキ そうしたファッションのエッセンスに、いやおうなく普通のオッチャンが影響を受けている(笑)


森口 そのギャップも面白いなあ。


シケンジョテキ しかも、ちゃんとそれに長けているっていうのが面白いですよね(笑)機屋さんの多くは、ファッションは別に好きじゃないけれど、面白い生地を作ることは凄い好きだという人が多いじゃないですか。


森口 洋服やインテリアになったときとかはあんまり興味なさそうなのに、自分が作る生地については、すごい面白いもの作ってやろうとか、創作意欲がすごい。クリエイター、アーティスト?的な気質を家族代々で受け継いでいるのも面白い。不思議だなあと思います。


シケンジョテキ 機屋さんの情熱、好きなんだなあ、というのを感じる瞬間は?


森口 トラブルに対してあんまり面倒くさそうじゃないんですよ。トラブっちゃったよ~(笑)みたいな。なんていうんですかね。柔軟さ?


シケンジョテキ 好きでやってる感?


森口 好きでやってる感ありますよね。性格にもよるのかもしれないですけど。特に服地とかやっていると、面白がっているところがあって。この緯糸打てますか、っていうと「打てるかな~(笑)」と嬉しそうにするみたいな。「やってみる?」って言ってくれるのはすごく助かります(笑)。


シケンジョテキ 服が大好きでファッションをやっている人と、面白い生地を作りたいと思っている人の関係って、片方の欲求をもう一方が「分かりました」って満たす形じゃなくて、お互いにやりたいことをやるための共生関係とみると、違う種類の野生動物の共生みたいで面白い(笑)。単なる商取引の受発注という関係だけじゃないような。デザイナーと機屋さんの関係って、普通とちょっと違うのかも知れないですね。


森口 相手がやりたいものだけを分かった、ってやっているだけだと、しんどくなると思うんですよ。相手がやりたいって言ってきたものを、ああそういうんだったら、こうやってこうやって、って工夫してやれば、機屋さんにとっても良い。「欲求」対「欲求」のうまいバランス、着地点を探すことも本能的に機屋さんってできている。

「こんなのが作りたい」って思って作っているわけじゃないかも知れないけれど、相手に言われたものを、じゃあこうだったら俺んところでやれるよとか。そういううまい着地点を機屋さんが見つけられるから生まれているものがあるんじゃないかなあと。それでイレギュラーなものが出てきたら、それはそれで楽しい(笑)


シケンジョテキ 一方の欲求を満たす関係ではなくて、ウィン=ウィンの塊が反物になっている、みたいな(笑)


森口 それが理想だろうなって思います。機屋さんが作りたいものだけを作っていたら、使いたい人はいないかもしれないし、デザイナーがやりたいことだけやっていたら機屋さんはしんどくなるだけだし。二つの欲求の重なり合うところを広げていく作業、それで成り立ってきたんだろうなって思いますね。


シケンジョテキ 確かに。面白いですね。物を作るのが好きでそれが仕事になっているって、理想的な暮らしかもしれないですね。


森口 デザイナーさんとか、私みたいな仲介的な存在がもっと、みんなで探訪して会いに行きたいなって思いますね。


文化人類学的な工場探訪

シケンジョテキ 工場の探訪ってどうやっているんですか?


森口 知らなかった工場を見つけたときは、ノックします(笑)。ノックすると「あ?」って言われるんです(笑)。「あ、何?」って(笑)。「富士吉田の協力隊をしていて、機屋さんと関わっているんですけど、もしかして機屋さんなんですかここは?」って。すると「そだよ」とか言われて。「何を作っているんですか」って聞いて、あわよくば中も見せてもらう、っていうことをしています。


シケンジョテキ それを工場の入り口でそういう立ち話しを。見せてくれそうだなって思ったら…


森口 「ちょっと見せてください~」って、たまに見せてもらったりしています。最近はできていないんですけど、暖かくなったらまたやりたいです(笑)


シケンジョテキ お茶とかも出てくる?


森口 たまーにそういう人もいますし、何度か行くと出てきます。また来たのか、と言われますが(笑)。ここはあの機屋さんの賃機だったのか、とかの発見もありますし。機屋さんだけじゃなくて、整経屋さんとか。やっぱり行くと面白いのは、多品種の産地だからっていうのもあるんでしょうけれど、こんな生地やってるのか!とか、綿とかめちゃめちゃ整経してるじゃん!とか。この産地がやっぱり多品種なんだなっていう発見。賃機さんを見るだけでこの産地の特徴が多品種なんだって分かるのは面白いと思います。


シケンジョテキ なにか一つの特徴ではなくて、本当に色んなことをやっているという特徴。


森口 そうですね。


シケンジョテキ これまで何軒くらい探訪したんですか?


森口 何軒くらい行ったんだろう?まだ音だけ聞いて入っていないところもあるんですよ。あ、撚糸屋さんだ、と音を聞いて思ったりとか。こんど来よう!って(笑)。でも場所忘れちゃったな、とか(笑)


シケンジョテキ GoogleMapにピン立てたいですね。


森口 そうですね(笑)。もう20軒くらいは行ってるんじゃないですかね。いきなり入る感じで。山梨以外に八王子でもやってるんですけど。


シケンジョテキ こんなところに機屋さんが!っていう。今より10倍も機屋さんがあった時代は凄かったでしょうね。


森口 そこらじゅうで音がしてたってことですもんね。


シケンジョテキ でも激減しているはずなのに、まだこんなに残響が響いている。サステナブルですねえ(笑)


森口 持続性しかない(笑)


シケンジョテキ たくさんある工場が凄く減ったのは、仕事が減ったのもあるけど、夏の甲子園みたいなもので、開会式では48校あってもだんだん毎週減っていって、勝ち進んだ学校だけになる。それと同じに、いま残っている工場は準決勝、決勝に行くような人たち。織物を作るのが本当に好きでいつまででも織っていられるとか、得意な人しか残っていないんじゃないかと思います。


森口 そうですよね。やっぱり技術がいいとか、作るものに傷がないとか。


シケンジョテキ パッションと技術、両方ないと生き残れなかった人たちが、おじいちゃんになって、そこに森口さんが来ている(笑)


森口 選りすぐりの良いところしか見てないってことですよね(笑)。たしかにそれはあると思います。でもこれから先、どんどん織るところが減っていくじゃないですか。それでも残っていく機屋さんには、これから需要がものすごくあるんだろうと思います。だからいま残っているところをちゃんと知っていると、あとあとになって私も提案できることが増えていくだろうし。探し続けることや、つながっておくことは重要なのかも知れないなと思いますね。

あと、工場だけじゃなくて、織物産業の文化を知るのが好きです。街の雰囲気とか。繊維産業がずっと昔からある地域の感じとか。例えば街にのこぎり屋根が残っていたり、うどん屋さんがあったり。名古屋だったらカフェ文化があるとか。街なかにたくさんあるカフェは紡績屋さんや機屋さんが打ち合わせをする場所だったらしくて。やっぱり繊維が日本の基幹産業だったこともあって、日本の大きい会社にもその名残があるじゃないですか。糸へんに関わっていたおじいちゃんがそこらじゅうにいたり。そういうのを知るのが好きですね。糸へん産業の名残が残る日本、みたいなのを総括的に見るのが好きです。


シケンジョテキ 西裏があって、絹屋町があるみたいな。


森口 そういう街の構造にも影響をしているところとか。綿織物の産地は気候がこうで、シルクの産地は山ぎわにあったりとか。日本の地形文化に影響を及ぼしているところを見ると、繊維産地を探訪するのは凄く魅力的だなと思います。


シケンジョテキ その土地があるからできたことだし、またその産業が土地の風景を変えている。


森口 日本が元気だったころ、支えていたのは繊維だったというのが、大きい会社を見ても分かる。トヨタ、日産、東レ、鐘紡、帝人、日清紡、みんな繊維だなと思って。


シケンジョテキ ほとんどの主力はほかの分野に散っていったけれど、産地はその土地にずっとあり続けている。


森口 それが面白いですね。


シケンジョテキ 工場探訪をしていて、もうおじいさんしかいないじゃないですか。うちの倅が今度入った、というところは賃機ではもう100%ない。


森口 ないですね…。


シケンジョテキ それは訪問していてもどこか心にあると思うんですけれど、どういう感じですか?


森口 ああ…。「あと何年かな?」って思ってます。あと何年なんだろうこの人って。この賃機さんが辞めちゃったら、織れるものが減るわけじゃないですか。この賃機さんのこの技術が良いからこれがずっと織れていたのに、なくなったとたん織れなくなる、というものが、これからどんどん増えてくると思うんですよ。

そうしたときに、作ることのできる生地がまた減っていくっていうのは、ある意味、人が布をもっと楽しめなくなってしまうことかも知れない。それは賃機だけじゃなく親機もそうだと思うんですけれど、技術がなくなることも悲しいし、そのことによってできる生地がなくなって、また私たちが使える言語が少なくなる、って考えると、なんかすごくもったいない。


シケンジョテキ 単語が一個、永久に使えなくなってしまう。


森口 どんどん私たちの感覚も大雑把になっていく。そういう感じをひしひしと感じて。


シケンジョテキ さっきの馬搬の暮らしが、その人を最後に途絶えたら、もう見たり聞いたりできなくなって、書物に記されたものしか残らない。


森口 それと同じことが生地ひとつひとつにもあると思います。さらにそれが加速するのかと。「一個の技術がなくなりました、残念ですね」くらいでは済まなくて、私たちと布の関係がどんどん遠くなっていくのは、たぶんもうすぐなのかなと。そう考えると、このおじいちゃんが辞めてしまうと、無くなる言葉が一つあるんだと思うと凄く悲しいし、どうにかしていかなければと思います。だからといって、技術を受け継いだり職人を増やすことは難しい。


シケンジョテキ もうすでに自分たちには忘れてしまった言葉があって、思い出すこともできない。そうなってしまった言葉がたくさんあると思うと怖いですよね。砂が指の間からサーって落ちているみたいな(笑)


森口 あの言葉なんだっけ、と思いながらも、砂が落ちるように消えていくのかと。


シケンジョテキ 落ちた砂は、もうずっと下の闇に消えてもう見えない。あれ、なにかあったっけ?と記憶も残らない。


森口 怖いですね。


シケンジョテキ だからこそ文化人類学っていう仕事は、そこに光を当てて、それが存続する力になるかはわからないけど、その価値を共有できる人を増やしていくという使命がある。


森口 共有できる人は増やしたいし、そのデータさえ残っていれば再現がきくかも知れないし。


シケンジョテキ あったことさえ忘れられることだけは避けたい。


森口 あったっていうことだけは覚えておかないといけないよなと思いますよね。そういう賃機さんを探して探訪しますけど、もうその人たちはたぶん残らないので、いま回っている工場さんに、将来わたしが10年後、20年後、30年後になっても、関わっていける存在になりたいなと思います。


シケンジョテキ もういなくなっちゃたおじいちゃんが、かつてこういうのを織っていたので、織れませんか?って。


森口 そうすれば未来にバトンが渡せるし。ちっちゃな賃機さんがなくなっていく現実っていつか大きな機屋さんにも起こりうるかもしれないので、ちゃんと私が見て知った言葉を、使えて、いろんな人が共有できて、そしてたくさん共有できるっていうことは、その布を使ってくれる人がいるってこと。それをちゃんと渡せる存在になりたいなと思います。


シケンジョテキ まったく文化人類学ですね。


森口 そうですね。私が仕事をもってきてやるっていうような、大それたことではないんですけど、残っていく機屋さんに仕事が回っていく仕組みのほんの一部になれたらと思います。欲しがっている人を探して、ちゃんと商売につなげられるような存在になりたいと思います。


シケンジョテキ 文化人類学、社会学っていうのは、想像ですが、大航海時代や産業革命をへて人間世界がバーッと広がっていったころ、色んな人間の生き方があったんだということがどんどん発見されていって、それを分類、体系化して、自分たちのことを客観的に見る視点が得られたり、というところに発祥があったと思います。空間的に広がって変化に出会える時代だった。

今の時代は、時間的な変化が激しい時代だと思うんですよ。10年前の富士吉田といまの富士吉田は、全然違う社会かもしれない。いまは時間的にどんどん違う社会になって、過去のものが消えていっている時代だと思うんです。最近文化人類学とかに意識が向くのは、そういう視点がある気がしていて。いま変化するなかで自分がどこにいるのか、どんなステージなのかを考えるのは重要性が増しているのではないか。そういう意味で、富士吉田って割と昭和の時代の残像が残っているから。


森口 あれだけ残っているの不思議ですけどね(笑)。でも確かに、私たちのルーツはどこだろう?と考える意識は増している気がします。


シケンジョテキ 逆にすごく「いま」っていうことを考えるには良いロケーションなのかも知れない。


森口 今は比べられないですよね。いろんなものが分散しすぎていて、何をどう比べればよいかもわからないし。いま文化人類学だけじゃなく、〇〇人類学とか、その「〇〇」がいろいろ広がっていて。人が生きていること、本質的な人の行動。そういうのは機屋さんを見ているとわかりやすいかもしれないですよね。


シケンジョテキ 地層がめっちゃ露出して、いろんな時代の化石が見つかりそうな場所(笑)


森口 めっちゃ出てきますね(笑)。


シケンジョテキ 時代の最先端は都会のどこかかも知れないけど、人類社会の最先端はもしかしたら、こういう過去と未来が混ざっている場所なのかも知れないですね。


森口 いいフィールドですね。



〈おわり〉


語り手:森口理緒さん(聞き手:五十嵐) 2021/03/03 11:11~ シケンジョにて

森口理緒さん  撮影地:冬の河口湖





森口理緒 Moriguchi Rio

1996年八王子市生まれ 富士吉田市在住

https://itoguchi.amebaownd.com/

instagram

@_mrghr0417

@yamanashi_textile_21aw



(五十嵐)


2021年5月7日金曜日

『WARP』と『WEFT』リリース!

2020年、山梨県絹人繊織物工業組合が主催となり山梨ビヨンドコロナプロジェクト」と題する取り組みが行われました。

このプロジェクトは、コロナ禍のなかで、受注機会の減少や、市場の変化などの産地を取り巻く環境変化に対抗して、コロナ禍を超えた先の産地を形作るため、独自の試作開発や情報発信を行おうというものです。

その中で、展示会など販路開拓の活動や商談機会が失われたことを補うべく作られたのが、
『WARP』『WEFT』です。

「WARP」は経糸、「WEFT」は緯糸を意味します。
産地を知り、読み解き、共にものづくりをするための座標軸になるように、
という願いを込めて名付けられました。


『WARP』は、産地の概要を見渡すためのブックレットです。

山梨ハタオリ産地の多彩な姿を、ファッション素材にスポットを当てて深掘りし、様々な素材や技術の概要を紹介するガイドブックです。








生地素材のほか、織物の奥深さや産地の魅力を味わうための様々なコラムや、ものづくりと産地について深く考える対談、産地の工場にはじめて発注する方のためのFAQや納品までの発注フローなど、読み応えのある様々なコンテンツが満載です。





『WEFT』は、山梨の各工場で作られた、いま手にすることのできるテキスタイルを集めた生地カタログです。

WARPもWEFTも、使われている
生地は地域おこし協力隊の森口理緒さんの「生地ソムリエ」的な視点で、産地のアウトラインがつかめるようにとセレクトしたものです。



WEFTでは、4つのシーンを設定し、「産地の生地はこんな場面で使えそう」という観点から、産地に数ある工場から魅力的なテキスタイルを集めてまとめられています。

・Weaving And Wearing / 日常も非日常も

・Easy Outgoing / 外のゆったり

・Nicely Homewearing / 家のきちんと

・Re-Discovery Of Lining / 裏地の再発見



4つのシーンに対応したブックは、こんな感じです。
 
Weaving And Wearing / 日常も非日常も



 



Easy Outgoing / 外のゆったり






Nicely Homewearing / 家のきちんと






Re-Discovery Of Lining / 裏地の再発見






「Overlooking」というブックは、産地の概要を一望するため、各工場のそれぞれのスペックで同じデザインを織り比べるという特別企画の生地が掲載されています。

工場ごとに作られる生地の違いがより引き立つよう、図案だけでなく色も白と黒に統一されています。





WARPとWEFTは、現在リリース作業が進行中です。

WARPとWEFTは、産地からのインビテーションとして、アパレルブランドなど産地のお客様になってくれる可能性のある事業者宛てに、山梨県絹人繊織物工業組合から発送されます。

WARPを見てみたいという方は、ビジネス取引の可能性のある事業者に限り、お問い合わせいただければ無償送付が可能です。

WEFTも同様ですが、部数に限りがあるのでご希望に添えない場合もあるのでご了承ください。

お問い合わせは、山梨県絹人繊織物工業組合のこちらのアドレスまで。

WARP&WEFT 送付希望お問い合わせ先(担当:森口理緒)
 itoguchi@yamanashi-tex.jp
(ご連絡の際には、「@」を半角にしてください)

※森口理緒さんは、産地の工場とファッション業界の橋渡し役として活動されています。「うちに合う工場を教えてほしい」「工場との細かいやりとりを頼みたい」「工場をいくつか訪問したい」などの要望にも対応していますので、お気軽にご相談ください。




WARPとWEFTは、次のような方々の手で作り上げられました。

『WARP』
WARP編集部/土屋誠(BEEK)・家安 香・森口理緒・山梨県産業技術センター
生地セレクト/森口理緒
生地製造/山梨ハタオリ産地の工場の皆さん
編集・アートディレクション・デザイン/BEEK
撮影/平山亮 砺波周平

『WEFT』
制作/フジチギラ(株)
企画・編集・生地セレクト/森口理緒
生地製造/山梨ハタオリ産地の工場の皆さん
デザイン/BEEK
イラストレーション/Sarasa Watanabe
協力/家安 香・山梨県産業技術センター

いずれも発行元は山梨県絹人繊織物工業組合です。



WARPとWEFT、どちらにも関わっているBEEKさんは
2016年春にシケンジョから発行した『LOOM』でも、
企画・編集・取材・撮影・アートディレクション&デザインを務めてくれました。

LOOMというのは、織機という意味です。
今回、WARP(経糸)、WEFT(緯糸)がリリースとなったので、
織機の上に経糸と緯糸が載り、いよいよ何かを
織るための準備が整った
という見方もできます。

あとはWARPとWEFTを読んでくれた方が生地を発注してくれれば、
どんどん新しいテキスタイルが誕生していくことでしょう。

WARPとWEFTがきっかけとなり、これまでの産地のお客様だけでなく
これから山梨ハタオリ産地と一緒にものづくりをすることになる
まだ見ぬパートナーの方々とも、新しい良い関係が生まれていきますように!


(再掲)
WARP&WEFT 送付希望等お問い合わせ先(担当:森口理緒)
 itoguchi@yamanashi-tex.jp
(ご連絡の際には、「@」を半角にしてください)


 (五十嵐)