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2021年5月26日水曜日

音楽、織物、宝石

先日、山梨県絹人繊織物工業組合からリリースされた『WARP』には、山梨で生まれたいろいろな生地の紹介や産地入門、ハタオリ産地対談などのほか、織物について様々な角度から語る文章が収められています。

そのお手伝いをする中で、織物の面白さや魅力をこれまでと違ったいろいろな角度から考える機会がありました。

そのときに思い描きつつ、『WARP』には掲載できなかった副産物のいくつかを、ここにまとめてみたいと思います。

時間と音楽、織物、宝石


まずは「時間」をキーワードにして、織物とそのほかのものを比較してみる視点から始めたいと思います。

音楽、織物、宝石。これら、一見したところ関係のなさそうなものですが、時間経過に着目して並べて比べてみましょう。



音楽、織物、宝石は、それぞれ音波、平面、立体という物理的な違いはありますが、それぞれが生まれる瞬間にフォーカスしてみると、ある方向に積みあがって構造ができあがっていくという共通性があることがわかります。
(注:宝石の多くは図のような均一な結晶構造を持ちますが、実際にはオパールのようにそうでないものも含まれます)


図の中の上向きの黒い矢印(↑)は、時間的な流れにそってそれぞれが形成されていく動きを示しています。

その過程をどう呼ぶかは、演奏、織り、結晶成長など名称が違います。また、これらができるまでにどの位の時間がかかるか、出来上がったものはどのくらい存在し続けるのか、という違いもありますので、これらを表にまとめてみました。


注:織物の所要時間は、機械式織機でハンカチ程度の大きさが織れる時間から、手織りでタペストリーを織り上げる時間までを想定しました。宝石は人工ダイヤモンドの製造時間(1カラット100時間程度※)から、メキシコの巨大クリスタルの洞窟(クエバ・デ・ロス・クリスタレス)の結晶ができるまでの推定時間を例として挙げました。

※『高圧合成ダイヤモンドの成長 : 宝石素材』神田 久生, 科学技術庁 無機材質研究所 宝石学会誌 20(1-4), 37-46, 1999


今回のシケンジョテキでは、織物を中心として、これらの関連性や違いについて、ちょっと考えてみたいと思います。

織物と音楽(1)記録された音楽と織物


織物が作られるときには、緯糸が1本1本織り込まれていきます。音楽の場合は、4拍、8拍などのビート、リズムが緯糸に相当するでしょう。

音楽織物も、上の図で描いたように似たような縦軸-横軸の構造を持っています(音楽の場合は、矢印の方向は空間的なものではなく時間軸そのものであるという違いはありますが)

このような類似性のため、それぞれの形成過程を記憶した媒体、ジャカード織物の紋紙(パンチカード)と、手回しオルガンの折り畳み式パンチカードを比べてみると、ほとんど見分けがつかないほど似ています。どちらもある時点で、どの経糸を開口するか、どの音色を出すか、ということが紙に開けた穴の位置で記録されています。
織物のパンチカードは1728年、オルガンの折たたみブック式は1892年で、発明は織物の方が先だったようです。


ちなみに、織物のパンチカード(紋紙)は1801年にジョセフ・マリー・ジャカールによって発明された織機で実用化され、のちにコンピュータのデータ入力に応用されるようになります。このことから、ジャカード織機はコンピュータの祖先と言われることがあります。

また、音楽の楽譜と、織物の設計図にも、驚くような類似性が見られます。

下の写真は、19世紀のフランスで作られた生地見本の中にある、織物の設計図です。
専門的には、「綜絖引き込み図」や「紋栓図」、「もじり織り」の仕様が描かれているようです。

しかし何も知らずにこれらを見れば、音楽の楽譜の一種だと思ってしまう人の方が多いのではないでしょうか?

※生地見本帳所蔵:(株)槙田商店(西桂町)






このように類似性が見られる両者ですけれども、音楽を構成しているのは織物の糸のような物質ではなく、音速で拡散し消失してしまうエネルギーの蓄積なので、最後まで織ると布が出来上がる織物と違って、最後まで演奏された音楽は「聴いた」という経験の記憶しか残りません。そんな違いがとても面白いと思います。


織物と音楽(2)はたおり歌


織物のなかでも手織りの速度は、音楽のリズムと近いために、音楽織物が結びついた労働歌、「はたおり歌」が古くから歌われてきました。

山梨にも『都留のはたおりうた』として伝わるものがあり、その中に次のような歌詞があります。

  拝みあげます 機神さまに
  三日に一疋 織れるように

「三日で一疋」の一疋というのは布の長さ(約22m)のことで、当時の職人がこの速度で織れれば一人前と認められた目標値であったそうです。ここでも時間織物の関係が現れるのが興味深いです。

この『都留のはたおりうた』は、2018年に富士吉田で開催されたハタオリマチフェスティバルを記録した映像作品のBGMとして聴くことができます。
(音楽:森ゆに 田辺玄 tricolor)


※画像をクリックするとYouTubeの動画にリンクします

手機ではなく機械式織機でも、シャトル織機の回転数は100回/分程度で、
音楽のテンポに近いゆっくりしたリズムを奏でます。そこで、織機の音をリズムセクションに取り入れて、織物音楽を結びつけるというアイデアが2016年に山梨で生まれ、ある楽曲が誕生しました。

その曲の名は『LOOM(LOOM=英語で「織機」という意味)

この曲は、シケンジョとBEEK DESIGNが制作した同名の冊子『LOOM』2016年に発行されたとき、そのリリース記念に開催されたイベント『ハタオリのうたがきこえる』に合わせて作られ、発表されました。

織機の音は、富士吉田市の(有)テンジンさんの工場で録音されたものです。月曜日に織機の音を録音し、それにインスパイアされて歌が作られ、同じ週の木曜日に初演された、という信じられないスピードでの誕生でした。


音楽を作ったのは、上の「都留のはたおりうた」の演奏と同じ、田辺玄さんと森ゆにさん。
織機のリズムとともに、ハタオリマチに流れてきた長い時間と人の営みが美しく描かれています。

その後『LOOM』は、同じ年の秋に初めて開催され『ハタオリマチフェスティバル』
も演奏され、さらに濱田英明さんが監督・撮影した富士吉田の風景と合体して映像作品『ハタオリマチノキオク』として公開されています。よろしければぜひお聴きください。

画像をクリックするとハタオリマチフェスティバルの動画ページが開きます。


織物と時間(1)時間を織り込むアート


織物の中に時間を織り込むという形で生まれたアート作品があります。

作ったのは、かつてシケンジョ臨時職員としてシケンジョテキを立ち上げた高須賀活良さん(現ハタオリマチのハタ印ディレクター)です。

彼は2013年夏に過ごしたイギリスで、毎日の日記を書く代わりに、その日に手に入れた素材(植物からスティックシュガーまで)を緯糸として織り込む、という方法で作品を作りました。

文字通り、日々の時間織物の中に封じ込めるというこの試みは、織物がただの平面素材ではなく、時系列にそって徐々に形づくられているものであることを端的に気付かせてくれます。









上の写真のように、その日その日に織られた織物カレンダーのように並んでいるのを眺めることは、高須賀さんがイギリスで過ごした夏の日々の時間が物質化したものを眺めることでもあるでしょう。

この作品を見て、それぞれが織られた時間・場所の風景を正確に思い浮かべられるのは、これを作った高須賀さんしかいませんが、見る人それぞれの脳裏にも作品の中に結晶化した、その夏にたしかに流れていた時間の存在が感じられるのではないでしょうか。

織物を織りながら過ごす時間が日々の多くを占めていた頃の時代では、自分が織った織物を見ることは、自分の過ごした人生を俯瞰することに近いものがあったのではないかと思います。そんな時代の織り手にとっては、織物は自分の人生の時間を可視化して結晶化したものだったと言っても良いかもしれません。


織物と時間(2)時の流れを変える織物


織物を織ることが時間の流れと直接結びついたお話があります。

古代ギリシャ、トロヤ戦争の後の時代を描いた叙事詩『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの妻、ペネロペの物語です。
※実際に想定された織機はこれと全く違う形式かも知れません。

この物語では、戦争から何年たっても戻らぬ夫オデュッセウスの不在をいいことに、オデュッセウスは死んだものとして遺産目当てに群がり略奪にふける求婚者たちに対してペネロペは仕方なく、「いま織っている織物が織り上がったら結婚しましょう」と約束させられます。

しかし彼女は、昼に織った緯糸を夜になるとこっそり解き、織っては解きを繰り返すことで完成を先延ばしにする作戦を実行し、あるていどの時間稼ぎをすることができました。

このくだりを読んだとき、ペネロペが織物を夜にほどくことで、昼間のうちに経過した時間をなかったことにして、いつまでたっても時間が先に進まない状態にしたような、不思議な感覚を覚えました。このような筋書きは、焼き物や彫刻の制作に置き換えても成り立つのかも知れませんが、時間とともに蓄積していく織物だからこそ面白い効果があるのだと思います。

ペネロペの物語では結局、この作戦はバレてしまうのですが、最後には帰還したオデュッセウスに救われてハッピーエンドを迎えます。このお話は、
織物時間の関係性が物語のヒロインの運命に関わる場面で使われた、とても面白い事例だと思います。


織物と宝石


宝石に限らず、金属からタンパク質まで、原子や分子などが規則正しく並んだ立体構造を結晶と呼びます。

一方、織物も規則正しい経糸と緯糸の交差パターン(=織物組織)で形作られているので、規則的な反復構造という意味では、両者は非常によく似ていると思います。
(ただし宝石には均一な結晶ではないものもあります)



この構造の類似は宝石だけでなく結晶全般にいえることですが、ここでは山梨が古くから水晶の産地で、現在も水晶彫刻や国内ジュエリー生産の中心地であることから、せっかくなので「宝石にフォーカスして話を進めたいと思います。

宝石が生まれるときには、織物の緯糸が1本ずつ織り込まれるように、長い時間をかけてひとつの構造パターンが徐々に積み重なっていきます。これを結晶成長などと呼びます。

イラストはブロック状のものが積まれていくイメージで描きましたが、
実際にはブロックの頂点にあたる場所に原子や分子が付加されていきます。

宝石一般的に、非常に硬度が高く、希少で美しい鉱物結晶のことを指すとされます。

硬いことと、非常に長い時間をかけて誕生することなどから、宝石には永遠の時の流れを感じさせるようなイメージが持たれています。

先ほどの高須賀さんの作品例で、織物の中に時間が封じ込められたイメージと少し近いものが感じられます。

また単一な規則的な構造の反復できているという純粋さ、ピュアであることも宝石の魅力でしょう。

このように永久不変の静的なイメージを持つ宝石ですが、その一方で誕生の時には、膨大な圧力と金属も溶けるような高温の中で成長するという動的なプロセスがあることは、非常に興味深いです。

こうした宝石のさまざまな要素をふんだんに取り入れた作品に、『宝石の国』という漫画があります。

『宝石の国』(作:市川春子 出版:講談社)を参考に描いた似顔絵

登場するのは、文字通り宝石を擬人化したような、宝石でできたキャラクター達。
彼ら(性別はありません)は、宝石にふさわしい美しさと永遠の寿命を持ち、何百、何千年ものあいだ、無限に反復するような毎日を過ごしています。結晶構造の反復性が、時間の限りない反復に置き換えられているようにも感じられます。

(以降、ごく軽度なネタバレを含みますのでご注意ください)

この作品では、それまで何百年も変わることのできなかった主人公のフォスフォフィライト(↑似顔絵)が、変化したいと願い、ついに成長するところから物語が動き始めます。時間に閉じ込められ、不変であるはずの宝石が成長したい、変わりたいと願うことが、作品を動かすエンジンになっているところが興味深いです。このテーマは、宝石には結晶の成長という物理現象があることと無関係ではないでしょう。

また、この作品では成長するということが、純粋な存在でなくなること(不純物を取り込んでいくことという、人間の子供が大人になる過程でよく言われることを、宝石そのものの純粋さで描いているのが面白いところです。

またインクルージョンという宝石の中にある微量な不純物こそが、そもそも彼らの自我を支えているという設定も面白いと思います。


さて、作品の中でも非常に硬いとされているはずの宝石できた彼らですが、人間と同じように動いたりしゃべったり、宝石そのものでできた髪の毛が風になびいたりします。鉱物の硬さと、自在に動き、変形する柔らかさが同時に成り立っているという、想像しがたいような矛盾。

このように現実ではありえない状態を、問答無用で前提としてしまう設定は漫画という芸術表現ならではの痛快な醍醐味です。

そしてシケンジョテキ的には、このように柔らかい結晶世の中にあるとすれば、それは織物ではないか?と想像を膨らませざるをえません。

宝石織物で例えるとするならば、同一の構造が均一に繰り返されている単結晶は、ただ一つの織物組織でできた、無地のドビー織りに相当するでしょう。

ラピスラズリのように、同一の結晶構造を持ちながら一部で違う種類の元素に置き換わっているもの(固溶体、類質同像)は、同じ織物組織を用いつつ別の素材や色を織り込んだ、ストライプボーダーに相当すると言えそうです。

そのほか、宝石の構造には、多結晶(ヒスイ、トルコ石など)という、複数の織物組織を組み合わせたジャカード織物(参考「ジャカードという名の劇場」)を思わせるものがあったり、結晶構造をもたないオパールなどの(=アモルファス)など、新しい織物のヒントになりそうなものがいろいろありそうです。

こうして改めて考えてみると、織物組織を徐々に変化させてグラデーションを織る技術で作られた傘、「こもれび」などは、この非晶質に相当するかもしれません。

おわり


織物というのは、人類が作り出した人工物の中でも非常に身近にありながら、まだまだ知られざる特殊な存在、という要素がいろいろあるように思います。

長い歴史の中で、世界中であらゆる種類の織物が作られてきましたが、このような異分野との類似や連想からその特殊性を見返してみることで、これまでになかった新しいアイデアが生まれて来る可能性があるのではないでしょうか。

とりとめのない文章でしたが、ものづくりに携わる方の何かの参考になれば幸いです。


以上、『WARP』に入りきらなかったこぼれ話をお届けしました。


(五十嵐)