これは、2012年に行われた展示、
『極小の宇宙 手わざの粋-伊勢型紙の歴史と展開』の図録です。
(表紙の拡大図) |
伊勢型紙と山梨、そして甲斐絹には、実は深いつながりがあります。
甲斐絹のうち、たて糸だけに絵を染めた「絵甲斐絹」には、伊勢型紙が使われていました。
生田さんが、シケンジョを訪れてくれたのは2年前のこと。
展示に向けた調査の一環として
甲斐絹とその型紙を見るために来られたのでした。
生田さんに伺って初めて知ったのは、
伊勢型紙で重要無形文化財保持者(人間国宝)として認められた
南部芳松(なんぶ・よしまつ:1894-1976)氏が、修業時代に
山梨県谷村で甲斐絹(かいき)型を学んだとされていることです。
山梨県には明治42年から44年までいたとのことなので、
明治27年生まれの南部芳松氏、15歳から17歳のあいだくらいにあたります。
シケンジョにある甲斐絹の中にも、南部芳松氏の手によるものがあるかもしれません。
そして、山梨県と伊勢型紙のつながりでは、
印伝も欠かすことはできません。
鹿革に施される型染は、伊勢型紙で行われていました。
『極小の宇宙 手わざの粋-伊勢型紙の歴史と展開』でも、
「印傳博物館」の収蔵品が大きなスペースを割いて展示されていたようです。
そしてなんと、シケンジョにセミナー講師として来ていただいた㈱印傳屋 上原勇七の
出澤忠利さんも、展示関連のシンポジウムに出演されていました! (最下段のパネラー写真)
図録にはDVDもついていて、伊勢型紙の様々な技法を動画で見ることが出来ます。
勉強になります…
次の写真は、絵甲斐絹に使われた伊勢型紙です。
シケンジョに所蔵しているものです。
上のDVDによると紗張りは大正10年頃に考案された、とのことですので、
もちろん大正時代以降のものと思われます。
型紙は残っていますが、
この型紙を使った絵甲斐絹は見つかっていません。
もしも、羽織の裏地にこの柄を見つけた方は、
ぜひシケンジョまでご連絡ください!
今回は、伊勢型紙と、甲斐絹、印伝のつながりをご紹介しました。
(五十嵐)