2021年6月25日金曜日

『星降る森』誕生!

2021年6月24日、(株)槙田商店の新商品、晴雨兼用傘『星降る森』が発売され、

八ヶ岳倶楽部(山梨県北杜市大泉町)にて発売記念の展示イベントがスタートしました。

会期は6月29日(火)まで、時間は10:00~17:30(最終日は16時まで)です。



『星降る森』は、シケンジョが山梨大学と共同研究するなかで研究開発したジャカード織の新技術『デジタル・スティーブングラフ』を活用し、この技術ならではのテキスタイル表現とデザイン、槙田商店の大口ジャカード設備と製織技術の粋を尽くして誕生しました。

今回は、『星降る森』の見どころをご紹介します!

新技術『デジタル・スティーブングラフ』




この技術は、およそ百年前にヨーロッパで流行した絵画調の観賞用シルク織物「スティーブングラフ(Stevengraph)」で用いられていた様々な織り方のひとつをデジタル化し、独自技術によりアップデートしたものです。

詳細な原理はさておき、この技術がもたらすメリットは、

 ①白と黒の明暗コントラストがクッキリと出せること(→夜空と星がクッキリ)

 薄くて丈夫な生地にできること(→傘地にもOK)

 ③中間調の繊細なグラデーションが表現できること(→天の川や夕空も描ける)

の3つを兼ね備えたテキスタイルが作れることです。

これによって、満天の星空を傘地の上に描くことができました。



「プリントと何が違うの? 織りでこの柄を表現するメリットは?」

… こういう質問は、先染織物を主体とする山梨ハタオリ産地に良く寄せられます。

わざわざ糸に色を付けて、それを織って柄を出すと、どんな良いことがあるのでしょうか?


その答えの一つが、この『星降る森』で示すことができたのではないかと思います。

次の写真に写っている星をご覧ください。

真っ黒な地組織の上に、ポツンと輝く白い緯糸の星

白い糸の繊維が整然と並び、サテンの光沢で星が描かれています。

傘に当たる光の角度が変化すると、まるで星が空でまたたくように、この明暗コントラストが鮮やかに変化し、星が光る効果。これは、織りでしかできない美しさだと思います。





こうした、経糸、緯糸の繊維の光沢感と、光の角度が生み出す美しさは、通常のジャカード織物でも見ることができます。

下の写真をご覧ください。

同じく槙田商店の傘、スティグ・リンドベリのデザインを先染ジャカードで再現した【HERBARIUM】(ハーバリウム)です。

傘の骨を境に、生地の角度が変わる部分に注目です。その両側で、こんなにも色合いが変化するのです。

くるくると回したときには、色彩や光沢が万華鏡のように移り変わって見える様子が想像できるのではないでしょうか。


『デジタル・スティーブングラフ』では、このような先染織物ならではの「糸の美しさ」を、さらに最大限に引き立てるように設計されています。

さっきの写真に写った白い星は、白い緯糸の光沢感が「24枚繻子(サテン)」という織物組織によって白さが際立っています。白い緯糸が、23本もの経糸を飛び越えて表側にあらわれる織り方です。ほぼ白い糸しか見えず、そこだけが真っ白になっています。

一方、周りの黒い空は、黒い経糸と黒い緯糸が1本おきに交差する「平織り」で織られています。色は「黒+黒」なので真っ黒です。

つまり夜空と星では白と黒の外観の色彩でも、サテンと平織りの組織の緊密さでも、両極端の存在になっているので、そのコントラストや立体感が最大になっているわけです。

さらに、その中間のグラデーションの移り変わりの美しさにも配慮しているので、天の川や夕焼け空の微妙な明るさの変化もしっかりと再現できています。


この夜空と星の表現について考えているうち、ザ・ビートルズのバラード曲『And I Love Her』のなかに、こんな歌詞があるのを思い出しました。

"Bright are the stars that shine, Dark is the sky."
 (Lennon–McCartney,  ©1964 Sony/ATV Music Publishing LLC. )

この表現のニュアンスを自分なりに解釈して日本語に訳せば、

「夜の空はいよいよ暗く、星々をいっそう明るく輝かせる」

といったところになるでしょうか。

まさに『星降る森』に使われた技術とデザインを要約したような歌詞ではないか!と思ってしまいました。



夜空を傘に描いたデザイン


『星降る森』では、プラネタリウムのように、夜空全体が傘の上に描かれています。

星座早見盤のような平面ではなく、ほぼ球面に描かれていることがポイントです。

傘というのは、もともとは平らな生地で作られていますが、広げると半球状の立体になるので、「天球」をそのまま描くことが可能です。

また、プラネタリウムのように半球の内側ではなく、外側に描いていることも特徴です。

360度広がる風景は、わたしたちの眼球の内側の網膜に映し出されるので、プラネタリウムのように球体の内側に投影されるほうが再現としては自然ですが、球の外側に描いたものを外から見ても、パノラマを見ているような体験をすることができます。

その考えに基づいて作った球体上の風景画の例がこちらです。

プラスチックボールにアクリル絵の具で描いたものです。

 
 



『星降る森』では、同じ理屈で空全体が傘に描かれています。

上の球体風景と同様に、傘を回していろいろな角度から見てみると、夜空をぐるりと見回しているのと同じ効果が得られます。

『星降る森』には2柄あります。夕空を描いた『Twilight』、真夜中を描いた『Midnight』です。
それぞれ、夏の夕暮れ、初夏の真夜中の空がモチーフになっています。

夕暮れの『Twilight』では、西の空は日没後のうっすら明るい空で、反対側は天の川が輝く真っ暗な夜空になっています。

実際にくるくると回してそれを横からみると、だんだん日が暮れていくような、またさらに回すと今度は逆に夜が明けて明るくなっていくような、不思議な感覚を味わうことができました。





傘のふちに描かれた風景は山梨の大自然をイメージしています。







内側はこんな感じです。





『星降る森』は、本当の星空をなるべく再現できるよう、実際の星の座標と明るさをもとにして作られています。

欧州宇宙機関の打ち上げた人工衛星ヒッパルコスの観測データをダウンロードし、7等星以上の星、約6,000個をマッピングしたものが用いられています。さらに暗い星を約8万個加えることで、今にも振りそうな星空を表現しています。

肉眼で見える星はデータにもとづいて配置されているので、星座を探すとこの中に44個が含まれることが分かります。







会期中に八ヶ岳倶楽部へお越しいただける方は、ぜひ周りの雑木林から見上げる星空を想像しながら『星降る森』を手にとり、またその他の先染ジャカード織りの傘の美しさを体感してもらえたらうれしいです。








(株)槙田商店『傘展』『星降る森』発売記念展示販売イベント

八ヶ岳倶楽部(山梨県北杜市大泉町西井出8240−259)
*6月24日(木)~6月29日(火)
*10:00~17:30(最終日は16時まで)


(五十嵐)

2021年6月14日月曜日

シケンジョのエントランス展示をリニューアル

シケンジョのエントランス展示、織物コーナーをリニューアルしました。







産地で織られた生地や作られた商品のうち、シケンジョで研究開発した技術を活用したものを紹介するコーナーになりました。


下の写真は、(株)槙田商店から発売されている晴雨兼用傘「こもれび」です。
グラデーションを美しくなめらかにする特許技術が使われています。

くわしくはこちら→バックナンバー「こもれび誕生!」






次の写真は、(株)前田源商店から発売されている「やまなし縄文シルクスカーフ」。
「こもれび」と同じ技術が使われています。

くわしくはこちら→バックナンバー「誕生!やまなし縄文シルクスカーフ」






次は、(株)槙田商店の広幅ジャカード織機を活用し、写真家砺波周平さんの作品を織物にしたものです。

これには、上の2商品とは別の技術、「デジタル・スティーブングラフ」が使われています。
「こもれび」「やまなし縄文シルクスカーフ」は、色彩のなめらかなグラデーションに特化した技術でしたが、「デジタル・スティーブングラフ」では、グラデーションのなめらかさと、白と黒がパッキリと出る明暗コントラストの両立に特化しました。

これは2021年2月~3月に開催された写真展でも展示されましたので、そちらでご覧になった方もいるかもしれません。
その時に並んで展示されていた砺波周平さんの写真プリントも、ハタオリマチフェスティバル実行委員会(富士吉田市)から寄贈していただき、一緒に展示させてもらっています。

くわしくはこちら→バックナンバー写真展『ハタオリマチノヒビ』開催! 








この展示コーナーは、研究成果を活用した新商品が発売されたら、逐次更新していく予定です。

シケンジョに来られたら、ぜひ現物をご覧ください。


(五十嵐)


2021年6月1日火曜日

生地作製時の廃棄部分(捨て耳)と夢の新素材セルロースナノファイバー作製技術によるマテリアル分離-SDGs-

2030年までに、持続可能でよりよい世界を目指す国際目標SDGsSustainable Development Goalsが話題となっています1)。この取り組みのためには、生産工程での廃棄物発生抑制、ユーザーへのリサイクルやリユースの協力呼びかけ、およびこれらが実際に行われることが不可欠とであると言われています2)これに関して今回、山梨県産業技術センターで取り組んでいる研究開発の一部をご紹介します。

 植物由来のセルロースナノファイバー(CNF)は、循環型社会実現への“夢の新素材”と期待されています。東京大学が画期的なCNFの製法(TEMPO(テンポ)触媒酸化法)を開発し、産学連携により実用化に成功しています3)。この処理技術の凄いところは、加熱処理を必要としないことです。さらに、薬剤も低濃度で触媒再利用も可能であることから、手軽に低コストでセルロース機能化もできることです。一般的には、抗菌性の銀を付与したり、鉛等の有害な重金属を補足するフィルター等への応用例が見られます。

現在、山梨県産業技術センターでは、この技術の和紙・食品・繊維・化粧品等への適用方法を模索しています。 

  山梨のワイン用ブドウ搾りかすから作製したCNF 繊維長約100 nm,繊維幅~約10 nm

 山梨産地で織物生産に使用されている繊維系セルロースには、例えばハンカチのコットンや背広・服裏地のキュプラやレーヨン等があります。キュプラやレーヨン生地に限らず、生地を製造する際には必ず耳と呼ばれる端部分ができます。これらは、通常、燃えるごみとして捨てられる<捨て耳>となります(写真中のゴミ箱参照)。 


(写真:(有)オサカベ提供)

 この捨て耳を、新素材の原料として使用することを考えると、必要なセルロースだけでなく、芯にポリエステル等の化学繊維が入っているため、これらをなんとかして分離しなくては再利用ができないという課題もあります。 

産地での捨て耳量を概算で計算したことがありました。裏地は山梨産地で2位の生産量で、年間約5,400 kgの捨て耳が出ているのではないかと推察していました。これらの捨て耳を有効利用するには、手軽でコストのかからないマテリアルリサイクル方法の提案が必要であると感じていました。

そこで、捨て耳をCNFに変換する等再利用のための基礎実験として、キュプラ等セルロース系繊維を溶解させ、ポリエステルとナイロンを分離する実験を行いました。今回の実験では、TEMPO液を調合し、常温で放置(攪拌するとなお良い)するだけで、実際の裏地製造業からでた捨て耳を処理しました。今回は、キュプラ部分を2時間で完全に溶解させ、綿の一部及び、芯のポリエステル及びナイロン糸を残すことに成功しました。

*条件を調整して綿部分を夢の新素材(CNF)へ変換(極細繊維のため透明度の高い液体に見える)することもできます。

今後、実際の工場で<畑のコンポスト>のように機械から出てくる捨て耳をリアルタイムで処理する実験を予定しています。ご興味のある方はお問い合わせください。

 

実際の工場((有)オサカベ)からいただいた捨て耳、白1色で見分けがつかないが、ポリエステル、ナイロン、コットン、キュプラの4素材が含まれている

処理液投入直後の写真

 

  常温放置1時間後、セルロース系の繊維が溶解し始めている。

TEMPO触媒酸化法での捨て耳処理及び分離後の写真
2時間後、綺麗にマテリアル分離ができました。

 

1) https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sdgs/about/index.html

2) https://gooddo.jp/magazine/sdgs_2030/consumption_production_sdgs

3) https://www.nedo.go.jp/hyoukabu/articles/201905np/index.html

 

繊維技術部 製品開発科 上垣

材料・燃料電池技術部 化学・燃料電池科 芦澤

 


















2021年5月26日水曜日

音楽、織物、宝石

先日、山梨県絹人繊織物工業組合からリリースされた『WARP』には、山梨で生まれたいろいろな生地の紹介や産地入門、ハタオリ産地対談などのほか、織物について様々な角度から語る文章が収められています。

そのお手伝いをする中で、織物の面白さや魅力をこれまでと違ったいろいろな角度から考える機会がありました。

そのときに思い描きつつ、『WARP』には掲載できなかった副産物のいくつかを、ここにまとめてみたいと思います。

時間と音楽、織物、宝石


まずは「時間」をキーワードにして、織物とそのほかのものを比較してみる視点から始めたいと思います。

音楽、織物、宝石。これら、一見したところ関係のなさそうなものですが、時間経過に着目して並べて比べてみましょう。



音楽、織物、宝石は、それぞれ音波、平面、立体という物理的な違いはありますが、それぞれが生まれる瞬間にフォーカスしてみると、ある方向に積みあがって構造ができあがっていくという共通性があることがわかります。
(注:宝石の多くは図のような均一な結晶構造を持ちますが、実際にはオパールのようにそうでないものも含まれます)


図の中の上向きの黒い矢印(↑)は、時間的な流れにそってそれぞれが形成されていく動きを示しています。

その過程をどう呼ぶかは、演奏、織り、結晶成長など名称が違います。また、これらができるまでにどの位の時間がかかるか、出来上がったものはどのくらい存在し続けるのか、という違いもありますので、これらを表にまとめてみました。


注:織物の所要時間は、機械式織機でハンカチ程度の大きさが織れる時間から、手織りでタペストリーを織り上げる時間までを想定しました。宝石は人工ダイヤモンドの製造時間(1カラット100時間程度※)から、メキシコの巨大クリスタルの洞窟(クエバ・デ・ロス・クリスタレス)の結晶ができるまでの推定時間を例として挙げました。

※『高圧合成ダイヤモンドの成長 : 宝石素材』神田 久生, 科学技術庁 無機材質研究所 宝石学会誌 20(1-4), 37-46, 1999


今回のシケンジョテキでは、織物を中心として、これらの関連性や違いについて、ちょっと考えてみたいと思います。

織物と音楽(1)記録された音楽と織物


織物が作られるときには、緯糸が1本1本織り込まれていきます。音楽の場合は、4拍、8拍などのビート、リズムが緯糸に相当するでしょう。

音楽織物も、上の図で描いたように似たような縦軸-横軸の構造を持っています(音楽の場合は、矢印の方向は空間的なものではなく時間軸そのものであるという違いはありますが)

このような類似性のため、それぞれの形成過程を記憶した媒体、ジャカード織物の紋紙(パンチカード)と、手回しオルガンの折り畳み式パンチカードを比べてみると、ほとんど見分けがつかないほど似ています。どちらもある時点で、どの経糸を開口するか、どの音色を出すか、ということが紙に開けた穴の位置で記録されています。
織物のパンチカードは1728年、オルガンの折たたみブック式は1892年で、発明は織物の方が先だったようです。


ちなみに、織物のパンチカード(紋紙)は1801年にジョセフ・マリー・ジャカールによって発明された織機で実用化され、のちにコンピュータのデータ入力に応用されるようになります。このことから、ジャカード織機はコンピュータの祖先と言われることがあります。

また、音楽の楽譜と、織物の設計図にも、驚くような類似性が見られます。

下の写真は、19世紀のフランスで作られた生地見本の中にある、織物の設計図です。
専門的には、「綜絖引き込み図」や「紋栓図」、「もじり織り」の仕様が描かれているようです。

しかし何も知らずにこれらを見れば、音楽の楽譜の一種だと思ってしまう人の方が多いのではないでしょうか?

※生地見本帳所蔵:(株)槙田商店(西桂町)






このように類似性が見られる両者ですけれども、音楽を構成しているのは織物の糸のような物質ではなく、音速で拡散し消失してしまうエネルギーの蓄積なので、最後まで織ると布が出来上がる織物と違って、最後まで演奏された音楽は「聴いた」という経験の記憶しか残りません。そんな違いがとても面白いと思います。


織物と音楽(2)はたおり歌


織物のなかでも手織りの速度は、音楽のリズムと近いために、音楽織物が結びついた労働歌、「はたおり歌」が古くから歌われてきました。

山梨にも『都留のはたおりうた』として伝わるものがあり、その中に次のような歌詞があります。

  拝みあげます 機神さまに
  三日に一疋 織れるように

「三日で一疋」の一疋というのは布の長さ(約22m)のことで、当時の職人がこの速度で織れれば一人前と認められた目標値であったそうです。ここでも時間織物の関係が現れるのが興味深いです。

この『都留のはたおりうた』は、2018年に富士吉田で開催されたハタオリマチフェスティバルを記録した映像作品のBGMとして聴くことができます。
(音楽:森ゆに 田辺玄 tricolor)


※画像をクリックするとYouTubeの動画にリンクします

手機ではなく機械式織機でも、シャトル織機の回転数は100回/分程度で、
音楽のテンポに近いゆっくりしたリズムを奏でます。そこで、織機の音をリズムセクションに取り入れて、織物音楽を結びつけるというアイデアが2016年に山梨で生まれ、ある楽曲が誕生しました。

その曲の名は『LOOM(LOOM=英語で「織機」という意味)

この曲は、シケンジョとBEEK DESIGNが制作した同名の冊子『LOOM』2016年に発行されたとき、そのリリース記念に開催されたイベント『ハタオリのうたがきこえる』に合わせて作られ、発表されました。

織機の音は、富士吉田市の(有)テンジンさんの工場で録音されたものです。月曜日に織機の音を録音し、それにインスパイアされて歌が作られ、同じ週の木曜日に初演された、という信じられないスピードでの誕生でした。


音楽を作ったのは、上の「都留のはたおりうた」の演奏と同じ、田辺玄さんと森ゆにさん。
織機のリズムとともに、ハタオリマチに流れてきた長い時間と人の営みが美しく描かれています。

その後『LOOM』は、同じ年の秋に初めて開催され『ハタオリマチフェスティバル』
も演奏され、さらに濱田英明さんが監督・撮影した富士吉田の風景と合体して映像作品『ハタオリマチノキオク』として公開されています。よろしければぜひお聴きください。

画像をクリックするとハタオリマチフェスティバルの動画ページが開きます。


織物と時間(1)時間を織り込むアート


織物の中に時間を織り込むという形で生まれたアート作品があります。

作ったのは、かつてシケンジョ臨時職員としてシケンジョテキを立ち上げた高須賀活良さん(現ハタオリマチのハタ印ディレクター)です。

彼は2013年夏に過ごしたイギリスで、毎日の日記を書く代わりに、その日に手に入れた素材(植物からスティックシュガーまで)を緯糸として織り込む、という方法で作品を作りました。

文字通り、日々の時間織物の中に封じ込めるというこの試みは、織物がただの平面素材ではなく、時系列にそって徐々に形づくられているものであることを端的に気付かせてくれます。









上の写真のように、その日その日に織られた織物カレンダーのように並んでいるのを眺めることは、高須賀さんがイギリスで過ごした夏の日々の時間が物質化したものを眺めることでもあるでしょう。

この作品を見て、それぞれが織られた時間・場所の風景を正確に思い浮かべられるのは、これを作った高須賀さんしかいませんが、見る人それぞれの脳裏にも作品の中に結晶化した、その夏にたしかに流れていた時間の存在が感じられるのではないでしょうか。

織物を織りながら過ごす時間が日々の多くを占めていた頃の時代では、自分が織った織物を見ることは、自分の過ごした人生を俯瞰することに近いものがあったのではないかと思います。そんな時代の織り手にとっては、織物は自分の人生の時間を可視化して結晶化したものだったと言っても良いかもしれません。


織物と時間(2)時の流れを変える織物


織物を織ることが時間の流れと直接結びついたお話があります。

古代ギリシャ、トロヤ戦争の後の時代を描いた叙事詩『オデュッセイア』の主人公オデュッセウスの妻、ペネロペの物語です。
※実際に想定された織機はこれと全く違う形式かも知れません。

この物語では、戦争から何年たっても戻らぬ夫オデュッセウスの不在をいいことに、オデュッセウスは死んだものとして遺産目当てに群がり略奪にふける求婚者たちに対してペネロペは仕方なく、「いま織っている織物が織り上がったら結婚しましょう」と約束させられます。

しかし彼女は、昼に織った緯糸を夜になるとこっそり解き、織っては解きを繰り返すことで完成を先延ばしにする作戦を実行し、あるていどの時間稼ぎをすることができました。

このくだりを読んだとき、ペネロペが織物を夜にほどくことで、昼間のうちに経過した時間をなかったことにして、いつまでたっても時間が先に進まない状態にしたような、不思議な感覚を覚えました。このような筋書きは、焼き物や彫刻の制作に置き換えても成り立つのかも知れませんが、時間とともに蓄積していく織物だからこそ面白い効果があるのだと思います。

ペネロペの物語では結局、この作戦はバレてしまうのですが、最後には帰還したオデュッセウスに救われてハッピーエンドを迎えます。このお話は、
織物時間の関係性が物語のヒロインの運命に関わる場面で使われた、とても面白い事例だと思います。


織物と宝石


宝石に限らず、金属からタンパク質まで、原子や分子などが規則正しく並んだ立体構造を結晶と呼びます。

一方、織物も規則正しい経糸と緯糸の交差パターン(=織物組織)で形作られているので、規則的な反復構造という意味では、両者は非常によく似ていると思います。
(ただし宝石には均一な結晶ではないものもあります)



この構造の類似は宝石だけでなく結晶全般にいえることですが、ここでは山梨が古くから水晶の産地で、現在も水晶彫刻や国内ジュエリー生産の中心地であることから、せっかくなので「宝石にフォーカスして話を進めたいと思います。

宝石が生まれるときには、織物の緯糸が1本ずつ織り込まれるように、長い時間をかけてひとつの構造パターンが徐々に積み重なっていきます。これを結晶成長などと呼びます。

イラストはブロック状のものが積まれていくイメージで描きましたが、
実際にはブロックの頂点にあたる場所に原子や分子が付加されていきます。

宝石一般的に、非常に硬度が高く、希少で美しい鉱物結晶のことを指すとされます。

硬いことと、非常に長い時間をかけて誕生することなどから、宝石には永遠の時の流れを感じさせるようなイメージが持たれています。

先ほどの高須賀さんの作品例で、織物の中に時間が封じ込められたイメージと少し近いものが感じられます。

また単一な規則的な構造の反復できているという純粋さ、ピュアであることも宝石の魅力でしょう。

このように永久不変の静的なイメージを持つ宝石ですが、その一方で誕生の時には、膨大な圧力と金属も溶けるような高温の中で成長するという動的なプロセスがあることは、非常に興味深いです。

こうした宝石のさまざまな要素をふんだんに取り入れた作品に、『宝石の国』という漫画があります。

『宝石の国』(作:市川春子 出版:講談社)を参考に描いた似顔絵

登場するのは、文字通り宝石を擬人化したような、宝石でできたキャラクター達。
彼ら(性別はありません)は、宝石にふさわしい美しさと永遠の寿命を持ち、何百、何千年ものあいだ、無限に反復するような毎日を過ごしています。結晶構造の反復性が、時間の限りない反復に置き換えられているようにも感じられます。

(以降、ごく軽度なネタバレを含みますのでご注意ください)

この作品では、それまで何百年も変わることのできなかった主人公のフォスフォフィライト(↑似顔絵)が、変化したいと願い、ついに成長するところから物語が動き始めます。時間に閉じ込められ、不変であるはずの宝石が成長したい、変わりたいと願うことが、作品を動かすエンジンになっているところが興味深いです。このテーマは、宝石には結晶の成長という物理現象があることと無関係ではないでしょう。

また、この作品では成長するということが、純粋な存在でなくなること(不純物を取り込んでいくことという、人間の子供が大人になる過程でよく言われることを、宝石そのものの純粋さで描いているのが面白いところです。

またインクルージョンという宝石の中にある微量な不純物こそが、そもそも彼らの自我を支えているという設定も面白いと思います。


さて、作品の中でも非常に硬いとされているはずの宝石できた彼らですが、人間と同じように動いたりしゃべったり、宝石そのものでできた髪の毛が風になびいたりします。鉱物の硬さと、自在に動き、変形する柔らかさが同時に成り立っているという、想像しがたいような矛盾。

このように現実ではありえない状態を、問答無用で前提としてしまう設定は漫画という芸術表現ならではの痛快な醍醐味です。

そしてシケンジョテキ的には、このように柔らかい結晶世の中にあるとすれば、それは織物ではないか?と想像を膨らませざるをえません。

宝石織物で例えるとするならば、同一の構造が均一に繰り返されている単結晶は、ただ一つの織物組織でできた、無地のドビー織りに相当するでしょう。

ラピスラズリのように、同一の結晶構造を持ちながら一部で違う種類の元素に置き換わっているもの(固溶体、類質同像)は、同じ織物組織を用いつつ別の素材や色を織り込んだ、ストライプボーダーに相当すると言えそうです。

そのほか、宝石の構造には、多結晶(ヒスイ、トルコ石など)という、複数の織物組織を組み合わせたジャカード織物(参考「ジャカードという名の劇場」)を思わせるものがあったり、結晶構造をもたないオパールなどの(=アモルファス)など、新しい織物のヒントになりそうなものがいろいろありそうです。

こうして改めて考えてみると、織物組織を徐々に変化させてグラデーションを織る技術で作られた傘、「こもれび」などは、この非晶質に相当するかもしれません。

おわり


織物というのは、人類が作り出した人工物の中でも非常に身近にありながら、まだまだ知られざる特殊な存在、という要素がいろいろあるように思います。

長い歴史の中で、世界中であらゆる種類の織物が作られてきましたが、このような異分野との類似や連想からその特殊性を見返してみることで、これまでになかった新しいアイデアが生まれて来る可能性があるのではないでしょうか。

とりとめのない文章でしたが、ものづくりに携わる方の何かの参考になれば幸いです。


以上、『WARP』に入りきらなかったこぼれ話をお届けしました。


(五十嵐)