2013年12月11日水曜日

甲府の中心でヤマナシ産地を語る

甲府商工会議所のお誘いで「水曜会」というランチタイムの勉強会で講師として
ヤマナシ産地の話をさせてもらいました!


この「水曜会」、”甲府の中心”と申し上げましたとおり、
すこぶるつきのVIPの方々の集まりでした!

ちょっと構成メンバーをご紹介…
 山梨県知事
 甲府市長
 甲府商工会議所会頭
 全国健康保険協会山梨支部長
 厚生労働省関東信越厚生局山梨事務所長
 甲府警察署長
 自衛隊山梨地方協力本部長
 某大手通信社甲府支局長
 某大手電気通信企業山梨支店長
 某大手銀行甲府支店長

  …などなど、県内政財界のトップの方々がズラリ。

超VIP!!

わたくし、メンバーを拝見し、
膝が震えるような思いがいたしました。。。
ガクガク(((;゚Д゚)))ブルブル

12月4日には、こうした面々60余名のうち35名の方が参加されました。
※上のリストには、その日欠席された方も含まれています。 


そして場所も岡島ローヤル会館


山梨県以外の方はご存じないかと思いますが、

例えて言えばちょっとした帝国ホテルのパーリールーム的な存在ではないでしょうか。


では、そのときの内容をちょっとだけレポートしてみます。



タイトルは、「甲斐絹とヤマナシ織物産地」。

シケンジョテキでは連発している「甲斐絹」という言葉ですが、

甲府の方でも知らない人も多いので、甲斐絹の歴史から現代までを
ダイジェストでお伝えしよう、というテーマでお話ししました。

ちなみに背景は、
昨年のバスツアー風景の一枚ですが、
ハタヤさんと若いデザイナーが、一緒に織機を眺めているシーン。
ヤマナシ産地の今を伝える、象徴的な写真ではないかと思って、気にいっています。


まずは甲斐絹の基本、 

撚りのない細い絹糸を使った先染めによる究極のシャンブレーの光沢感

この写真と、例の動画でご紹介しました。


そして、文学作品の中に現れる甲斐絹。

なんと、夏目漱石の有名な作品にも登場しているんですね!

 
この夏目漱石情報は、
都留市で活動する「金子みすゞの詩を読む会」の方々から教えていただきました。

そしてその名のとおり、金子みすゞの詩にも、甲斐絹が登場しています!


この詩を読むと、当時の甲斐絹は、
小さな女の子が、宝箱のなかに甲斐絹が入っていたらいいなあ、と
空想するような存在だったことが分かります。

これには甲斐絹の魅力を伝え続けてきた僕も、少なからずカルチャーショックを覚えました!

そして甲斐絹の紹介のあとは、現代までの歴史を足早に紹介。 

甲斐絹の技術は、いろいろなアイテムに姿を変えていきました。

ヤマナシ織物産地は、全国的に見てもかなーりアイテム数の多い産地ですが、 

そのルーツのDNAは甲斐絹につながっていることをお話ししました。


そして、戦後迎えた空前の好景気、ガチャマン時代

その賑わいをお伝えするために、
当時の名残を今に残す西裏界隈の秘蔵写真をご紹介しました。






今もお店がたくさんあるのでよろしければ遊びに行ってください、
と紹介したくだりが、今回のお話で一番ウケました...(^u^;)


ガチャマンの後は、半世紀にわたる長い右肩下がりの時代…。

この時代、衰退していく一方だったのではなく、

ハタオリが好きな人、得意な人、意欲のある人だけが生き残れるサバイバルの時代であって、

だからこそ、今のハタヤさんたちが素晴らしいものを作っているのだ、と説明しました。

そして、もうひとつお伝えしたのが、
この言葉です。


ヤマナシ産地は、その昔、

江戸時代に「郡内縞」  ※郡内は、ヤマナシ産地のエリアを示す地名

明治~昭和初期には「甲斐絹」


という名前(地名と商品名が一体化した名称)で呼ばれていました。

しかし今、こうした呼んでもらう名前を失ってしまったのではないか?


だからこそ、ふじやま織、甲州織、そんな言葉を懸命に広めようとしても、

なかなか認知されず、むしろ今はない
戦前の「甲斐絹」の方がまだ有名というのが現状になっているのでは?



(だからここでは、予備知識がまったくない方に理解可能な、

 「ヤマナシ産地」という
呼び方をしています。)


そんな状況は、実は産地自身がえらんできた歴史に要因があると思います。


今も産地に仕事をもたらし、織機を動かしているのは

そのほとんどがOEM生産の取引です。


この半世紀ものあいだ
地域経済を潤す仕組みとして機能し続けてきたOEMですが、

その恵みの一方で、


『「○○○○」ブランドの生地をここで生産していることを公表してはいけない』

というような掟を、程度の差こそあれ、受け入れることを産地は選んできました。


これは、少なくとも一般消費者に向けて名乗る名前を、産地が失ったことと同じです。



OEMは地方経済にとって重要な存在で、

それに携わるお仕事は大歓迎なのには間違いありませんが、
100%それだけではいけない、ということで
「脱OEM」ということが、1970年代にはもう叫ばれていました。

産地を育て、高い技術を育む環境を与え続けている
OEMを悪者にするつもりは全くありません。

しかし、このことを考えていると、
スタジオジブリの映画「千と千尋の神隠し」(© 2001 二馬力・GNDDTM)のなかで、

千尋という主人公が仕事をもらうために本来の名前「千尋」を奪われ、
「千」という名前を与えられたシーンを連想してしまいます。

名前を失うということは、人にとって大きな意味があるのだと思います。

映画のなかでも、

本当の名前を失ったことが
本来の力が発揮できなかったり、
自分の意志を十分に行使できなかったり、
ということにつながっていたという表現がありました。

新しいチャレンジをするにはこれまでと違った分野の方々と関わる必要があります。
そのとき、従来から取り引きのある業界の中だけで知られた「知る人ぞ知る」存在では、
スタート時点でハンデキャップを持たざるを得ないことは明らかです。





いま産地には、名前を取り戻すことが求められているのだと思います。

江戸庶民や小さな女の子でさえ知っていた
「甲斐絹」
「郡内縞」のように、

誇りを持って名乗れる名前を産地、ハタヤさんが取り戻すこと。

これからの時代に必要なことは、
名前を失くしたことで外からは見えない存在になっていた

モノづくりの現場の人々が、
自らが顔を出し、名前を掲げて、 外に出ていくことなのではないでしょうか?


そのための活動のひとつが、
ヤマナシハタオリトラベルだと思っています。


 


この3年実施してきたバスツアーと、去年からの期間限定ショップ。

ふたつの「ヤマナシハタオリトラベル」
は、

いままで外に向かって閉ざされていた壁を超える旅であり、
その旅の先に、産地の未来を目指そう、という活動です。

その先にある時代で呼ばれる名前は、
「ヤマナシ産地」なのか、「ふじやま織」なのか、
それともそれぞれのハタヤさんが掲げる数々のブランドの名前なのか?


まだその先は見えていませんが、
いま、この方向へ足を運び始め、

あちらこちらで姿を現しつつあるのが、現在のヤマナシ産地です。

ということで、ぜひ応援をお願いしたいと思います。
 

特に、いま開催中のエキュート立川で開催中のヤマナシハタオリトラベルには
ぜひ足を運んでいただきたい!

…というお話をさせていただきました。

これをお読みの皆様も、ぜひ!



終了後、
ご参加いただいたVIPの皆さまからは、

「面白い講演だった」
「今度はぜひハタヤさんの話も聞いてみたい」
「いろいろ地場産業に触れてきたがまだ知らないことがあった」
「甲斐絹の本物を見てみたい」
 

などなどのご感想が事務局へ届いていたそうで、ホッと胸をなでおろしました。

冒頭の写真は甲府商工会議所で担当をされた水上さんに撮ってもらいました。
甲府の中心、かなりアッパーな場でのお話の機会、大変刺激になりました。
ありがとうございました!



(五十嵐)