2023年10月4日水曜日

文学の中の甲斐絹 ③甲斐絹の色彩

明治~昭和初期の文学に描かれた甲斐絹を紹介するシリーズ、第3回。

今回は、甲斐絹の色彩と題して、文学作品の中で甲斐絹どんな色として描かれていたかを紹介します



ではさっそく、明治~昭和初期の22作品、24の事例で登場する甲斐絹の色を見てみましょう。ランキングは以下のようになっています。


このように、上位二つが「鼠」黒」、この2色の無彩色だけで過半数を占めていました。

甲斐絹裏に派手な色柄を用いる『裏勝り』の美学のあらわれだ、という文脈で語られることが多いですが、実際には少なくとも色彩のイメージでは、どちらかというと地味なものとして認識されていたことが伺えます

ただ、夏目漱石の『虞美人草』にある羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。」という表現のように、色は地味であっても、きらきらとした光沢感という意味では華やかさが感じ取られていたことは確かでしょう


それでは次に、実際の作品でどんな風に甲斐絹の色が描かれていたかをランキング順にご紹介します。

*ちなみにアルファベットの色名はフランス語表記です。甲斐絹が織られた明治~大正時代の人々にとって、当時の絹織物産地の世界の頂点としてフランス、リヨンがありました。せっかくならフランス語がふさわしいと思い演出として記載しました。



[鼠甲斐絹]
幸田露伴
 『野道』(1916 大正5)
鼠甲斐絹のパッチで尻端折、薄いノメリの駒下駄穿きという姿も、妙な洒落からであって

吉川英治 『剣難女難』(1925 大正14)
重蔵も千浪も同じような鼠甲斐絹

吉川英治 『鳴門秘帖 江戸の巻』(1926 昭和1)
ヒョイと見ると鼠甲斐絹(ねずみかいき)の袖に、点々たる返り血の痕――。
・ ・ ・
鼠甲斐絹(ねずみかいき)のかげ寒く、代々木の原を走っていた。

三遊亭圓朝 『粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)』(発行年不詳)
麻裏草履を結い附けに致しまして、鼠甲斐絹の女脚半をかける世の中で

三遊亭圓朝 『鹽原多助一代記』(発行年不詳)
鼠甲斐絹の脚絆に、白足袋麻裏草履という姿ですから

林不忘 『つづれ烏羽玉(うばたま)』(発行年不詳)
鼠甲斐絹の袖無着(ちゃんちゃんこ)

三木竹二 『いがみの権太』(1896 明治29)
上に盲目縞の海鼠襟(なまこえり)の合羽に、胴のみ鼠甲斐絹(ねずみかいき)の裏つけたるをはおる。

[鼠の甲斐絹]
夏目漱石
 『虞美人草』(1907 明治40)
羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠の甲斐絹である。






[黒無地]
中村星湖
 『少年行』(1907 明治40)
一口に甲斐絹と云って了ふものの、絵甲斐絹もある。縞甲斐絹もある。白無地もあり黒無地もあり、

[黒い垢すりの甲斐絹]
芥川龍之介
 『戯作三昧』(1917 大正6)
黒い垢すりの甲斐絹が何度となく上をこすつても

[黒の甲斐絹]
林不忘
 『丹下左膳 日光の巻』(1934 昭和9)
裏にすべりのいいように黒の甲斐絹か何かついている

[黒い甲斐絹(タフタ)]
リットン・ストレチー/片岡鉄兵訳
 『エリザベスとエセックス』1941昭和16)
黒い甲斐絹(タフタ)をイタリア風に裁断したドレス




[白い甲斐絹]
水野葉舟
 『帰途』(発行年不詳)
白い甲斐絹の襟巻を首に巻きつけていた

[白無地]
中村星湖
 『少年行』(1907 明治40)
一口に甲斐絹と云って了ふものの、絵甲斐絹もある。縞甲斐絹もある。白無地もあり黒無地もあり、


[紺甲斐絹]
三遊亭圓朝
 『政談月の鏡』(制作年不詳)
紺甲斐絹のパッチ尻端折

[紺無地甲斐絹]
林不忘
 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』(1927 昭和2)
茶紋付に紺無地甲斐絹の袖なしを重ねて



[甲斐絹裏の赤い色]

有本芳水 『芳水詩集 断章十七  秋の朝』(1914 大正3)
ぬぎ捨てられた羽織の甲斐絹裏の赤い色が ちくちくと眼にしむさみしさ

[紅(もみ)の甲斐絹]
有本芳水
 『芳水詩集 赤い椿』(1914大正3)
母が手先の針の色。赤い椿の花びらと 紅(もみ)の甲斐絹のくれなゐと 折折動く白い手と……。


[桃色甲斐絹]
近松秋江
 『別れたる妻に送る手紙』(1910 明治43)
桃色甲斐絹の裏の付いた糸織の、古うい前掛に包んだ火熨斗(ひのし)が吊してある



[紫の甲斐絹]

宮本百合子 『悲しめる心』(発行年不詳)
紫の甲斐絹の着物をきせて大切にして居たけれ共


[蒼味の甲斐絹]
泉鏡太郎
 『神鑿(しんさく)』(1909 明治42)
其時坐つて居た蒲団が、蒼味の甲斐絹で、成程濃い紫の縞があつた


[浅黄甲斐絹]
江見水蔭
 『死剣と生縄』(1925 大正14)
浅黄甲斐絹の手甲脚半


[オレンジと朱と、わずかなグレイ]
増田れい子
 『紅絹裏(もみうら)』(エッセイ集『白い時間』より)(1984 昭和59)
甲斐絹の色合いだけは覚えている。オレンジと朱と、わずかなグレイが組み合わさった格子柄であった。いいものだな、と思った。


以上、甲斐絹の色が表現された事例でした。

「紫の甲斐絹」「蒼味の甲斐絹」のように「の」を入れて、甲斐絹を説明する修飾語として色名を使った表現のほかに、「鼠甲斐絹」「紺甲斐絹」「桃色甲斐絹」「浅黄甲斐絹」のように、色名と甲斐絹がつながって、一つの単語のように用いられる表現があったことが興味深いです。



なお、この稿の画像で使われている色のタイルのような四角形は、全て当センターで所蔵する甲斐絹の生地見本の画像を使いました。

「文学の中の甲斐絹シリーズ」、次回も違った角度から甲斐絹の描かれ方を見ていきます。

お楽しみに!


[参考文献]
*『近代以降の甲斐絹の生産・デザイン・技法に関する基礎的研究』 発行/山梨県立博物館(2022/3/31)
*『甲斐絹と文学散歩』 編集・発行/金子みすゞの詩を読む会(2013/9/20)
*『芳水詩集』 発行/實業之日本社 著者/有本芳水(1914/3/25)
* 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/
* Aozorasearch 青空文庫全文検索 https://myokoym.net/aozorasearch/

[甲斐絹 関連ページ]
2024年 2月19日 文学の中の甲斐絹 ⑤現代語訳で読む、落合直文の小説『甲斐絹』
2024年 1月24日 文学の中の甲斐絹 ④甲斐絹の用途
2023年 10月4日 文学の中の甲斐絹 ③甲斐絹の色彩
2023年 10月4日 文学の中の甲斐絹 ②甲斐絹のオノマトペ辞典
2023年 10月3日 文学の中の甲斐絹 ①文人たちが書いた甲斐絹
2022年 10月21日 DESIGN MUSEUM JAPAN 山梨展「甲斐絹」千年続く織物 “郡内織物”のルーツ
2014年 1月17日 甲斐絹ミュージアムより #10  「白桜十字詩」
2013年12月24日 甲斐絹ミュージアムより #9  「この松竹梅がスゴイ!」
2013年11月15日 甲斐絹ミュージアムより #8 「今週の絵甲斐絹3 ~松竹梅~」
2013年10月31日 甲斐絹ミュージアムより #7 「今週の絵甲斐絹2」
2013年10月25日 甲斐絹ミュージアムより #6 「今週の絵甲斐絹1」
2013年 9月27日 甲斐絹ミュージアムより #5/84年後に甦った甲斐絹
2013年 9月21日 甲斐絹ミュージアムより #4/甲斐絹展が始まります!
2013年 6月28日 甲斐絹ミュージアムより #3 シャンブレーの極致!玉虫甲斐絹
2012年 4月27日 甲斐絹ミュージアムより #2
2012年 4月13日 甲斐絹ミュージアムより #1

(五十嵐)

文学の中の甲斐絹 ②甲斐絹のオノマトペ辞典

明治~昭和初期の文学に描かれた「甲斐絹」を紹介するシリーズ、第2回。

今回は甲斐絹のオノマトペ辞典と題して、甲斐絹を表現したオノマトペをテーマに作品を紹介します



オノマトペは、擬音語、擬態語などと訳され、日本語では重要な日常語として使われるだけでなく、最近では幼児の言語習得にも重要な役割を果たしていると言われます*1

そして織物の世界でも、視覚だけでは伝わらない風合いや肌触り、質感などが欠かせないことから、それらを表現できるオノマトペはとても重要な役割を担っています。

今回は、明治~昭和初期、リアルタイムで甲斐絹を体験した文人たちが、斐絹をどのようなオノマトペで表現したか?をご紹介します。


【さやさや/サヤサヤ】

北原白秋 『桐の花』(1913 大正2)
鳴りひびく 心甲斐絹を着るごとし さなりさやさや かかる夕に


谷崎潤一郎 『少年』(1911 明治44)
やがて信一は私の胸の上へ跨がって、先ず鼻の頭から喰い始めた。私の耳には甲斐絹の羽織の裏のさや/\とこすれて鳴るのが聞え、私の鼻は着物から放つ樟脳の香を嗅ぎ、私の頬は羽二重の裂地(きれじ)にふうわりと撫でられ、胸と腹とは信一の生暖かい体の重味を感じている。


野村胡堂 『銭形平次捕物控』(1941 昭和16)
「衣摺(きぬずれ)の音がします。近く寄るとサヤサヤと――」
「贅沢な辻斬だな」
 さやさやと衣摺れの音が聞えるのは、羽二重か甲斐絹か精好(せいごう)か綸子でなければなりません。


今回の調査では、一番目の北原白秋の短歌「鳴りひびく~」を発見できたことが、何よりの収穫だったと感じました。

「鳴りひびく心」と表現された、おそらく爽やかで晴れがましい凛としたような心情が、さやさやとした、薄手で軽やかな甲斐絹を身につけるときの気持ちに例えられています。

この美しく簡潔なことばの中に、甲斐絹の魅力がまるで宝石のように凝縮されているように感じられました。


次に紹介するのは、「しゃらしゃら」、「しゅしゅ」です。さやさやよりも、手触りや布の擦れる音が感じられます。

【しゃらしゃら】

伊藤左千夫 『春の潮』(1908 明治41)
おとよは女中には目もくれず、甲斐絹裏の、しゃらしゃらする羽織をとって省作に着せる。


【シュシュ】

宮本百合子 『砂丘』(1913 大正2)
「ナニ、ほんの一寸、だけど、またれる身よりも待つ身の何とかってね……」
女は洋傘の甲斐絹のきれをよこに人指し指と、中指でシュシュとしごきながらふるいしれきったつまらないことを云った。
それで自分では出来したつもりで、かるいほほ笑みをのぼせて居る。


次の二つは、「キュキュ」と「キキ」。いわゆる「絹鳴り」と言われる、新雪を踏むときのような音が感じられる表現です。

【キュキュ】

増田れい子 『紅絹裏(もみうら)』(エッセイ集『白い時間』より)(1984 昭和59)
羽織の裏、というのも面白かった。
背中と胴のほんの少しの部分にしかついていないが、さわるとキュキュと鳴る甲斐絹がついていた。銘仙か何かの羽織だったろう。

【キキ】

谷崎潤一郎 『蓼喰う虫』(1928 昭和3)
研(みが)き立ての光沢(つや)のいい爪が、指頭と指頭のカチ合う毎に尖った先をキキと甲斐絹のように鳴らした。


最後は、今回見つかったなかで唯一のビジュアル表現です。絹の上品な光沢が、暗い室内できわだっている様子が描かれています。

【きらきら】

夏目漱石 『虞美人草』(1907 明治40)
羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠の甲斐絹である.


以上、見つけられた甲斐絹オノマトペ6種類とその作品でした。

こうしてみてみると、甲斐絹は手触りや風合いもさることながら、「音」が感じられるオノマトペが多いことが特徴のように思えました。

当時の生活者にとって、甲斐絹「音」が身近に感じられていたことが分ります。


個人的にとても面白かったのが、谷崎潤一郎による「キキ」という擬音語です。オノマトペとしては聞いたことがないもので、おそらくは谷崎潤一郎による創作なのでしょうか。

「キキ」についてはちょっと余談になりますが、オノマトペに関連する言語学や心理学の分野で「ブーバ/キキ効果」として知られる専門用語があるのを思い出しました*2

音と形の結びつきを調べる実験の結果、「ブーバ」「キキ」という言葉が図形とともに提示されたとき、人は丸っこい形が「ブーバ」、尖った形が「キキ」に結びつくと推論する傾向があったことを指す言葉です。

「キキ」というオノマトペが実在し、それが著名作家の文学作品のなかにあるとは思わなかったですし、またそれが甲斐絹の風合いにもピッタリ合うことが発見できたのは、とても楽しい驚きでした。

「文学の中の甲斐絹シリーズ」、次回も違った角度から甲斐絹の描かれ方を見ていきます。

どうぞお楽しみに!


[参考文献]
*1『言語の本質』 著者/今井むつみ、秋田喜美 発行/中央公論新社  (2023/5/24)
2 ゆる言語学ラジオ(podcast)「怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか?ソシュールVSソクラテス!【音象徴1】 #27 メインパーソナリティー/堀元見、水野太貴
*『近代以降の甲斐絹の生産・デザイン・技法に関する基礎的研究』 発行/山梨県立博物館 (2022/3/31)
* 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/
Aozorasearch 青空文庫全文検索 https://myokoym.net/aozorasearch/

[甲斐絹 関連ページ]
2024年 2月19日 文学の中の甲斐絹 ⑤現代語訳で読む、落合直文の小説『甲斐絹』
2024年 1月24日 文学の中の甲斐絹 ④甲斐絹の用途
2023年 10月4日 文学の中の甲斐絹 ③甲斐絹の色彩
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2022年 10月21日 DESIGN MUSEUM JAPAN 山梨展「甲斐絹」千年続く織物 “郡内織物”のルーツ
2014年 1月17日 甲斐絹ミュージアムより #10  「白桜十字詩」
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2013年11月15日 甲斐絹ミュージアムより #8 「今週の絵甲斐絹3 ~松竹梅~」
2013年10月31日 甲斐絹ミュージアムより #7 「今週の絵甲斐絹2」
2013年10月25日 甲斐絹ミュージアムより #6 「今週の絵甲斐絹1」
2013年 9月27日 甲斐絹ミュージアムより #5/84年後に甦った甲斐絹
2013年 9月21日 甲斐絹ミュージアムより #4/甲斐絹展が始まります!
2013年 6月28日 甲斐絹ミュージアムより #3 シャンブレーの極致!玉虫甲斐絹
2012年 4月27日 甲斐絹ミュージアムより #2
2012年 4月13日 甲斐絹ミュージアムより #1

(五十嵐)

2023年10月3日火曜日

文学の中の甲斐絹 ①文人たちが書いた甲斐絹

「甲斐絹」山梨の織物のルーツともいえる幻の伝統織物です。

シケンジョには明治~昭和初期に作られた甲斐絹の生地が数百点保存されています。

しかし生地だけを見ても、分かることはどうしても限られます。

たとえば当時の人が甲斐絹をどんな風に使っていたのか、どんな生地として捉えていたのか、というような生の姿はなかなか見えてきません。

それを伝えてくれるのが、当時の文学作品です

文人たちが描写した甲斐絹の姿は、同時代を生きた彼らが見た甲斐絹生の姿にほかならないでしょう。

とはいえ、これまで甲斐絹が登場する文学作品は、数例しか把握できていませんでした。

しかし近年、著作権の保護期間が過ぎてパブリックドメインとなったものが数多くデジタル化されてきたおかげで見つけやすくなり、明治~昭和の文学のなかで見つけられた甲斐絹の記述の事例数が爆発的に増加しました

今回は、これまでに発見された甲斐絹が登場する明治~昭和の文学作品を一挙にご紹介したいと思います!

まずは明治~昭和初期までの作品をまとめた年表をご覧ください。



このように、誰もが名前を知るような作家、俳人、詩人たちが作品の中に「甲斐絹」を登場させていました。

次に、彼ら文人たちが作品の中で「甲斐絹」をどんな風に描いたかをご紹介していこうと思います。

発行年が分からないため上の図には書けなかったものも含め、これまでに集まった全作品、作家の事例を、少し長めの引用で一気にご紹介します。

*なるべく初めの方によく名前の知られた作家、作品が来るように並べました。
*( )内はルビで表記されていた読みです。
*同一作品中、離れた箇所からの引用は「・ ・ ・」で区切っています。
*年号は基本的に発行年ですが、長期連載のものは掲載年を推定したものも含まれます。
*文章は基本的に該当部分の抜粋です。(例外:北原白秋『桐の花』収録の短歌「鳴りひびく~」)

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

夏目漱石 『虞美人草』(1907 明治40)
床の抜殻は、こんもり高く、這い出した穴を障子に向けている。影になった方が、薄暗く夜着の模様を暈(ぼか)す上に、投げ懸けた羽織の裏が、乏しき光線(ひかり)をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠(ねずみ)の甲斐絹(かいき)である。

太宰治 『新樹の言葉』(1939 昭和14)
「つるは、甲府にいたのですか?」私は、それさえ知らなかった。
「え、父がこの土地で、店をひらいて居りました。」
甲斐絹問屋につとめて居られた、――」つるの亭主が、甲斐絹問屋の番頭だったことは、私も、まえに家の人たちから聞いたことがあるので、それは、忘れずに知っていた。

樋口一葉 (日記)(日記の日付:明治29年5月29日)
正太夫年齢は廿九、痩せ姿の面やうすご味を帯びて、唯口許にいひ難き愛敬あり、綿銘仙の縞がらこまかき袷に木綿がすりの羽織は着たれどうらは定めし甲斐絹(かいき)なるべくや、声びくなれど透き通れるやうの細くすずしきにて、事理明白にものがたる。かつて浪六がいひつるごとく、かれは毒筆のみならず、誠に毒心を包蔵せるのなりといひしは実に当れる詞なるべし /長谷川時雨『樋口一葉』(1918 大正7)より
・ ・ ・
(上の現代語訳抜粋)木綿の銘仙の細かい縞柄の袷に、木綿絣の羽織は着ているが、裏はきっと甲斐絹であろう。 高橋和彦樋口一葉日記 完全現代語訳』(1993 平成5, 発行:アドレエー)より

芥川龍之介 『戯作三昧』(1917 大正6)
老人は丁寧に上半身の垢を落してしまふと、止め桶の湯も浴びずに、今度は下半身を洗ひはじめた。が、黒い垢すりの甲斐絹(かひき)が何度となく上をこすつても、脂気の抜けた、小皺の多い皮膚からは、垢と云ふ程の垢も出て来ない。

金子みすゞ 『二つの小箱』制作年不詳
紅絹(もみ)だの、繻子(しゆす)だの、甲斐絹(かひき)だの、
きれいな小裂(こぎれ)が箱いつぱい。
黒だの、白だの、みどりだの、 なんきん玉が箱一ぱい。
それはみいんな私のよ。

谷崎潤一郎 『少年』(1911 明治44)
やがて信一は私の胸の上へ跨がって、先ず鼻の頭から喰い始めた。私の耳には甲斐絹の羽織の裏のさや/\とこすれて鳴るのが聞え、私の鼻は着物から放つ樟脳の香を嗅ぎ、私の頬は羽二重の裂地(きれじ)にふうわりと撫でられ、胸と腹とは信一の生暖かい体の重味を感じている。

谷崎潤一郎 『秘密』(1911 明治44)
「Mr. S. K.」
と書き続けたインキの痕をすかして見ると、玉甲斐絹(たまかいき)のように光っている。
・ ・ ・
私はすっかり服装を改めて、対(つい)の大島の上にゴム引きの外套を纏い、ざぶん、ざぶんと、甲斐絹張りの洋傘に、滝の如くたたきつける雨の中を戸外(おもて)へ出た。

谷崎潤一郎 『蓼喰う虫』(1928 昭和3)
研(みが)き立ての光沢(つや)のいい爪が、指頭と指頭のカチ合う毎に尖った先をキキと甲斐絹のように鳴らした。

石川啄木 『天鵞絨』(1908 明治41)
突然四年振で來たといふ噂に驚いた人達は、更に其源助さんの服裝の立派なのに二度驚かされて了つた。萬(よろづ)の知識の單純な人達には何色とも呼びかねる、茶がかつた灰色の中折帽は、此村では村長樣とお醫者樣と、白井の若旦那の外冠る人がない。繪甲斐絹の裏をつけた羽織も、袷も、縞ではあるが絹布物(やはらかもの)で、角帶も立派、時計も立派、中にもお定の目を聳たしめたのは、づしりと重い總革の旅行鞄であつた。

正岡子規 『病牀六尺』(1902 明治35)
総てこの村では女が働いて男が遊んで居る。女の仕事は機織りであつて即ち甲斐絹を織り出すのである。その甲斐絹を織る事は存外利の多いものであつて一疋に二、三円の利を見る事がある。尤も一疋織るには三日ほどかかる、しかしこの頃は不景気で利が少いといふ事である。

柳宗悦 『手仕事の日本』(1948 昭和23)
勝山城のあった谷村町は「甲斐絹」の産地として名があります。この絹織物は薄手で密で、艶があり滑かさがあり、特に裏地には適したものであります。風呂敷にも好まれました。

北原白秋 『思ひ出 抒情小曲集』(1911 明治44)
見よ、少年の秘密は
玉蟲のごとく、
赤と青との甲斐絹(かひき)のごとく、
滑りかがやく官能のうらおもて。

北原白秋 『桐の花』(1913 大正2)
鳴りひびく 心甲斐絹を着るごとし さなりさやさや かかる夕に

室生犀星 『みずうみ』(1923 大正12)
娘はそのまんまるい目を父の目に向けた。そのまんまるさは次第に大きくはなったが、しかし輪廓をぼやけさせてゆがんで、それを持ちこらえられなくなって、いきなり飛びついて悲しげに甲斐絹のような柔(よわ)い長い声で欷(すす)り泣いた。その泣くたびに苦しそうにもがいて父の胸を突き突きしていた。

幸田露伴 『野道』(1916 大正5)
他の二人も老人らしく似つこらしい打扮だが、(中略)鼠甲斐絹(ねずみかいき)のパッチで尻端折(しりはしょり)、薄いノメリの駒下駄(こまげた)穿きという姿(なり)も、妙な洒落からであって、後輩の自分が枯草色の半毛織の猟服――その頃銃猟をしていたので――のポケットに肩から吊った二合瓶を入れているのだけが、何だか野卑のようで一群に掛離れ過ぎて見えた。

吉川英治 『剣難女難』(1925 大正14)
重蔵も千浪も同じような鼠甲斐絹(ねずみかいき)に丸ぐけ帯、天蓋尺八という姿になった。

吉川英治 『江戸三国志』(1927 昭和2)
そしてその乳母(ばあ)やが、切支丹屋敷の、あの吉野桜の咲く南縁で、よく、甲斐絹を織る機織唄をうたって聞かせてくれたことも、お蝶はいまだに忘れません。
・ ・ ・
「わしかね? わしは江戸の大伝馬町に住む甲斐絹屋九兵衛というもんですがね、その甲斐絹の買出しにこの甲府へきております。 あくまで金持ちの甲斐絹屋、自分の舞台姿に贔屓をよせた好色な老人と思いこませて、とうとう九兵衛の策は、お粂に対して成功しました。
・ ・ ・
第一、秦野屋を江戸の甲斐絹商人とばかり信じているお粂にはまさかそれが、相良金吾とは夢にも思いつく道理がない。
・ ・ ・
「江戸の甲斐絹屋と言ったなあ口から出まかせで、おらあ日本左衛門とつき合いのある、秦野屋九兵衛というおやじだ」

吉川英治 『鳴門秘帖 江戸の巻』(1926 昭和1)
万吉もその様子を見てホッとしたが、ヒョイと見ると鼠甲斐絹(ねずみかいき)の袖に、点々たる返り血の痕――。ああ、斬ったな、何かあったな、とは思ったが、折からの来客、それを問うまもなく、また弦之丞も話をそれに触れず、常木鴻山と初対面の挨拶をかわした。
・ ・ ・
門柱の蔭にすがって、弦之丞は、駕から奥へ連れられてゆく、痛ましい人の姿を見送っていたが、やがて、両眼へ掌を当てたまま、鼠甲斐絹(ねずみかいき)のかげ寒く、代々木の原を走っていた。

吉川英治 『八寒道中』(1929 昭和4)
「そりゃあ、元より極まったお話です。あのお稲は、江戸から流れて来た旅芸者で郡内の甲斐絹屋へかたづいたのを、淫奔な性(たち)ですぐ帰され、その後鮎川の親分の世話になっている女で、それが賛之丞が小篠(こしの)へ来るとすぐに出来て、今じゃ、親分の前でも公おおびらに、甘いところをやっている仲ですがね」

泉鏡花 『露肆(ほしみせ)』(1911 明治44)
寒くなると、山の手大通りの露店よみせに古着屋の数が殖ふえる。(中略)ここらは甲斐絹裏を正札附、ずらりと並べて、正面左右の棚には袖裏の細っそり赤く見えるのから、浅葱の附紐(つけひも)の着いたのまで、ぎっしりと積上げて、

泉鏡花 『当世女装一斑』(1942 昭和17)
腰より下に、蹴出を纏ひて、これを長襦袢の如く見せ懸けの略服なりとす、表は友染染、緋縮緬などを用ゐ裏には紅絹(もみ)甲斐絹(かひき)等を合はす、すなわち一枚にて幾種の半襦袢と継合すことを得え、なほ且長襦袢の如く白き脛(はぎ)にて蹴出すを得るなり、

種田山頭火 『旅日記』(1936 昭和11)
甲府まで汽車、笹子峠は長かつた、大菩薩峠の名に心をひかれた。
甲斐絹水晶の産地、葡萄郷、安宿は雑然騒然、私のやうな旅人は何となくものかなしくなる、酒を呷つて甲府銀座をさまよふ。

菊池寛 『貞操問答』(1934 昭和9)
圭子は、今朝判箱を取るために、用箪笥を開けたとき、甲斐絹のごく古風な信玄袋がはいっているのを、チラリと見た。あの中には、貯金の通帳がはいっているはず――あれをそっと持ち出して……。

伊藤左千夫 『春の潮』(1908 明治41)
おとよは女中には目もくれず、甲斐絹裏の、しゃらしゃらする羽織をとって省作に着せる。

中村星湖 『少年行』(1907 明治40)
一口に甲斐絹と云って了ふものの、絵甲斐絹もある。縞甲斐絹もある。白無地もあり黒無地もあり、綾物もあれば綾でないのも、五裏だとか何だとか、それ等は皆、裾野の乙女達の手になるのです。そして骨細で百姓の出来ない者で、小金の廻る者は―やはり甲斐絹にも生糸と同じで市がたつた―市場へ出て仕入れたり、つぼから頼まれたりして、方々の国へ、所謂甲斐絹商人となつて廻つて行く。

有島武郎 『或る女』(1911 明治44)
事務長は眉も動かさずに、机によりかかって黙っていた。葉子はこれらの言葉からそこに居合わす人々の性質や傾向を読み取ろうとしていた。興録のほかに三人いた。その中の一人は甲斐絹(かいき)のどてらを着ていた
・ ・ ・
そう吐き捨てるようにいいながら倉地の語る所によると、倉地は葉子に、きっとそのうち掲載される「報正新報」の記事を見せまいために引っ越して来た当座わざと新聞はどれも購読しなかったが、倉地だけの耳へはある男(それは絵島丸の中で葉子の身を上を相談した時、甲斐絹のどてらを着て寝床の中に二つに折れ込んでいたその男であるのがあとで知れた。

落合直文 『甲斐絹』(1890 明治23)
ある日の夜はかり主人、園子をよび、一巻の甲斐絹をいたして
 こをたちてわか寝衣をつくりて
といふ。園子
 うけ玉はりはへり
とてうけとる

有本芳水 『芳水詩集 甲斐より』(1914 大正3)
甲斐絹織るなる少女子(おとめご)の
涼しき歌と筬の音は
灯ちらつく家家の
ちさき窓より洩るるかな

有本芳水 『芳水詩集 断章十七  秋の朝』(1914 大正3)
秋の朝のさみしさ
ぬぎ捨てられた羽織の甲斐絹裏の赤い色が
ちくちくと眼にしむさみしさ

有本芳水 『芳水詩集 赤い椿』(1914 大正3)
赤い椿の花が散る
縁先に出て縫物す
母が手先の針の色。
赤い椿の花びらと
紅(もみ)の甲斐絹のくれなゐと
折折動く白い手と……。

中里介山 『大菩薩峠 安房の国の巻』(1921 大正10)
けれども、その甲州話も、政治向のことや勤番諸士の噂などは、おくびにも出ないで、甲州では魚を食べられないとか、富士の山がよく見えるとか、甲斐絹(かいき)が安く買えるとか、そんな他愛のないことばかりでしたからお角は、この殿様がどうしてかの立派な御身分から今のように、おなりあそばしたかということを尋ねてみる隙がありませんでした。

中里介山 『大菩薩峠 駒井能登守の巻』(1918 大正7)
「なんしてもこの通りの山の中でございますから、景色と申しても名物と申しても知れたものでございますが、そのうちでも甲斐絹と猿橋、これがまあ、かなり日本中へ知れ渡ったものでござりまする」
「そうだ、猿橋と甲斐絹の名は知らぬ者はあるまい、その猿橋ももう近くなったはず」

中里介山 『大菩薩峠 鈴鹿山の巻』(1914 大正4)
「ちっとばかり内職をやっているものでございますから」
「内職を? 何か反物たんものでも商あきないをなさるの」
「へえ、まあそんな事で」
「そう、そんなら今度ついでの時に、甲斐絹(かいき)の上等を少し見せてもらえまいかね」
「よろしゅうございます、持って参りましょう。時にお師匠様」

野村胡堂 『銭形平次捕物控』(1941 昭和16)
「衣摺(きぬずれ)の音がします。近く寄るとサヤサヤと――」
「贅沢な辻斬だな」
 さやさやと衣摺れの音が聞えるのは、羽二重か甲斐絹か精好(せいごう)か綸子でなければなりません。

三代目 三遊亭金馬 『噺家の着物』制作年不詳
裏は甲斐絹がよいが、どういうものか甲斐絹は近頃はやらない。

三遊亭圓朝 『粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)』制作年不詳
駕籠の脇に連添う一人の老女は、お高祖(こそ)頭巾を冠り、ふッくりと綿の這入りし深川鼠三ツ紋の羽織に、藍の子もち縞の小袖の両褄(りょうづま)を高く取って長襦袢を出し、其の頃ゆえ麻裏草履を結い附けに致しまして、鼠甲斐絹(ねずみがいき)の女脚半(おんなきゃはん)をかける世の中で、当今(たゞいま)ならば新橋の停車場(すてえしょん)からピーと云えば直(じき)に川崎まで往かれますが、其の頃は誠に不都合な世の中で、川崎まで往くのに、女の足では一晩泊りでございます。

三遊亭圓朝 『鹽原多助一代記』制作年不詳
「はい御免なさい」
 と云いながら這入って来た婆アは、年頃は五十五六で、でっぷり肥り、頭を結髪(むすびがみ)にして、細かい飛白(かすり)の単衣に、黒鵞絨(くろびろうど)の帯を前にしめ、白縮緬のふんどしを長くしめ、鼠甲斐絹(ねずみがいき)の脚絆に、白足袋麻裏草履という姿(なり)ですから、五八はいろんな人が来るなアと呟やいて居ますと、

三遊亭圓朝 『政談月の鏡』制作年不詳
ドッシリした黒羅紗(くろらしゃ)の羽織に黒縮緬の宗十郎頭巾に紺甲斐絹(こんがいき)のパッチ尻端折(しりはしお)り、

林不忘 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』(1927 昭和2)
と!踏み出した栄三郎のうしろから、こと面倒とみてか、男が美(い)いだけの腰抜け侍とてんから呑んでいるつづみの与吉、するりとぬいだ甲斐絹うらの半纒を投網のようにかぶらせて、物をもいわずに組みついたのだった。
・ ・ ・
銀糸を束ねた白髪、飛瀑(ひばく)を見るごとき白髯、茶紋付に紺無地甲斐絹の袖なしを重ねて、色光沢(つや)のいい長い顔をまっすぐに、両手を膝にきちんとすわっているところ、これで赤いちゃんちゃんこでも羽織れば、老いて愚に返った喜きの字の祝いのようで、まるで置き物かなんぞのように至極穏当な好々爺(こうこうや)としか見えない。

林不忘 『つづれ烏羽玉(うばたま)』制作年不詳
相良玄鶯院(さがらげんおういん)は、熊手を休めて腰をたたいた。ついでに鼠甲斐絹(ねずみかいき)の袖無着(ちゃんちゃんこ)の背を伸ばして、空を仰ぐ。刷毛で引いたような一抹の雲が、南風(みなみ)を受けて、うごくともなく流れている。

林不忘 『丹下左膳 日光の巻』(1934 昭和9)
町のはずれまで宿役人、おもだった世話役などが、土下座をしてお行列を迎えに出ている。いくら庄屋でも、百姓町人は絹の袴は絶対にはけなかったもので、唐桟柄(とうざんがら)のまちの低い、裏にすべりのいいように黒の甲斐絹(かいき)か何かついている、一同あれをはいています

宮本百合子 『悲しめる心』制作年不詳
父が京都の方から首人形を買って来て呉れたのをたった一つ「おちご」に結ったのをやった。紫の甲斐絹の着物をきせて大切にして居たけれ共時の立つままに忘れてどこへかなげやられて仕舞った。

宮本百合子 『砂丘』(1913 大正2)
「ナニ、ほんの一寸、だけど、またれる身よりも待つ身の何とかってね……」
女は洋傘の甲斐絹のきれをよこに人指し指と、中指でシュシュとしごきながらふるいしれきったつまらないことを云った。
それで自分では出来したつもりで、かるいほほ笑みをのぼせて居る。

近松秋江 『別れたる妻に送る手紙』(1910 明治43)
其れには平常(いつも)の通り、用箪笥だの、針箱などが重ねてあって、その上には、何時からか長いこと、桃色甲斐絹(かいき)の裏の付いた糸織の、古うい前掛に包んだ火熨斗(ひのし)が吊してある。

江見水蔭 『死剣と生縄』(1925 大正14)
旅装束何から何まで行き届かして、機嫌克(よ)くお鉄は送り出して呉れた。
鉄無地の道行(みちゆき)半合羽(はんがっぱ)、青羅紗の柄袋(つかぶくろ)、浅黄(あさぎ)甲斐絹の手甲脚半(てっこうきゃはん)、霰小紋(あられこもん)の初袷(はつあわせ)を裾短かに着て、袴は穿かず、鉄扇を手に持つばかり。斯うすると竜次郎の男振りは、一入(ひとしお)目立って光るのであった。

国枝史郎 『蔦葛木曽棧』(1922 大正11)
「妾(わたし)などよりあなたこそ、こんな辺鄙な山里へ、何んでおいでなされました」
 不思議そうにお銀は訊いた。
「はい、そのことでございますか、実は故郷(くに)の名産の甲斐絹(かいき)を持って諸方を廻わり、付近(ちかく)の小千谷(おぢや)まで参りましたついで、温泉(いでゆ)があると聞きまして、やって参ったのでございますよ」

国枝史郎 『神秘昆虫館』(1940 昭和15)
「かしこまりましてございます」こう云ったのは松代である。道行(みちゆき)を着てその裾から、甲斐絹の甲掛(こうがけ)を見せている。武家の娘の旅姿で、歩き方なども上品にしている。

国枝史郎 『甲州鎮撫隊』(1938 昭和13)
悲痛といってもよいような、然ういう娘の声を聞いて、お力は改めて、相手をつくづくと見た、娘は十八九で、面長の富士額の初々しい顔の持主で、長旅でもつづけて来たのか、甲斐絹(かいき)の脚袢には、塵埃(ほこり)が滲にじんでいた。

国枝史郎 『犬神娘』(1935 昭和10)
門口に近い柱に倚って、甲斐絹の手甲(てっこう)と脚絆とをつけ、水色の扱(しご)きで裾をからげた、三十かそれとも二十八、九歳か、それくらいに見える美しい女が、そう云ったのでございます。
・ ・ ・
と、どうでしょうそのご上人様の手先を、甲斐絹(かひき)の手甲の女の手が、ヒョイと握ったではございませんか。

三上於菟吉 『雪之丞変化』(1935 昭和10)
それが、済むと、浮いた浮いたと、太鼓持が、結城つむぎのじんじんばしょり、甲斐絹のパッチの辷(すべ)りもよく、手ぶり足ぶみおもしろく、踊り抜いて、歓笑湧くがごときところへ、

三木竹二 『いがみの権太』(1896 明治29)
顔は僅にとのこをつけしのみにて、下瞼に墨をうすく入れ、青鬚を顎に画く。着附(きつけ)は盲目縞(めくらじま)の腹掛の上に、紫の肩いれある、紺と白とのらんたつの銘撰(めいせん)に、絳絹裏(もみうら)をつけ、黒繻子の襟かけたるを着、紺の白木の三尺を締め、尻端折(しりはしょり)し、上に盲目縞の海鼠襟(なまこえり)の合羽に、胴のみ鼠甲斐絹(ねずみかいき)の裏つけたるをはおる。

若松賤子 『黄金機会』(1893 明治26)
疲れ果てるまで跳びまはり升(まし)たあとで、フト思ひつき、母に貰ふた甲斐絹の切で三ツの袋を拵らへに取り掛り升(まし)た。

小島烏水(うすい) 『不尽の高根』制作年不詳

吉田だけは、江戸時代から、郡内の甲斐絹の本場を控えて、旅人の交通が繁かっただけあって、山の坊のさびしさが漂うと共に、宿場の賑わいをも兼ねて見られる。
・ ・ ・
甲斐絹、葡萄、水晶の名産地として、古くから知られた土地ではあるが、甲斐を顕揚するものは、甲斐の自然その物であらねばならぬ。

水野葉舟 『帰途』制作年不詳
と、言うところに、顔の滑らかな青白い中年の男がはいって来た。白い甲斐絹の襟巻を首に巻きつけていた。

泉鏡太郎 『神鑿(しんさく)』(1909 明治42)
其時坐つて居た蒲団が、蒼味(あおみ)の甲斐絹で、成程濃い紫の縞があつたので、恰(あだか)も既に盤石の其の双六に対向(さしむか)ひに成つた気がして、夫婦は顔を見合はせて、思はず微笑えんだ。

直木三十五 『南国太平記』(1931 昭和6)
白い木綿の下蒲団の上に、甲斐絹の表をつけた木綿の上蒲団であった。その上へ、仰向きになって、眼を閉じた。幾度か枕を直してから、身動きもしなくなった。

リットン・ストレチー/片岡鉄兵訳 『エリザベスとエセックス』(1941 昭和16)
黒い甲斐絹(タフタ)をイタリア風に裁断したドレスが、広幅の黄金の帯で飾られ、開き(オープン)にした袖には、緋縁どりが施してあった。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 
以下は、甲斐絹が生産されていた当時ではなく、のちの時代に書かれた事例です。

司馬遼太郎 『竜馬がゆく』(東山三十六峰)(1962-1966 昭和37-41)
清河は、高橋宅を出た。
韮山笠(にらやまがさ)をかぶり、羽織は黒で甲斐絹の裏づけ、袴はねずみ竪(たて)じまの仙台平、大小もみごとなこしらえで、どうみても千石以上の大旗本といった身なりである。

津島美知子 『回想の太宰治』(1978 昭和53)
内織というのは家族や知人の個人用として特別に機にかけて織ったもののことで、昔からいわゆる甲斐絹の産地で機業の盛んな郡内(富士山の北側の桂川沿岸地方)では、つてがあれば織ってもらえることを私は見聞きしていた。十字絣か、二色の縞くらいの簡単なものしかできないけれども、素朴なよさがあり、もちが良いという定評もあった。

増田れい子 『紅絹裏(もみうら)』(エッセイ集『白い時間』より)(1984 昭和59)
羽織の裏、というのも面白かった。
背中と胴のほんの少しの部分にしかついていないが、さわるとキュキュと鳴る甲斐絹がついていた。銘仙か何かの羽織だったろう。表地の方はすっかり忘れてしまったが、甲斐絹の色合いだけは覚えている。オレンジと朱と、わずかなグレイが組み合わさった格子柄であった。いいものだな、と思った。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

以上、甲斐絹の記述の事例を一挙にご紹介しました。

これらの作品の文章を読むと、特に説明もなしに甲斐絹の名前が登場しています

それはつまり、一般の読者は当然の知識として甲斐絹知っている、と彼らが考えたからに違いありません。

中里介山『大菩薩峠』の作中の人物が口にしている、「猿橋と甲斐絹の名は知らぬ者はあるまい」という言葉もそんな状況を裏付けているようです

そうした普及の背景には、その当時甲斐絹の生産が増加し、急速に社会に浸透していったことも関係があると考えられます。

冒頭の年表の背景には、甲斐絹の生産数量が折れ線グラフで描かれています。

甲斐絹の生産数量1906年から1934年の28年間でが約3.4倍と、まさにうなぎ上りに急増しました。

文人たちが次々に甲斐絹について記述した時期は、その期間にぴったり重なっているようです。

これらを読むと、当時の人々から見た甲斐絹の姿が、これまでよりもはっきりと思い浮かべられるような気がします。


ここで、今回の調査の一環として利用したインターネットサイトAozorasearch 青空文庫全文検索https://myokoym.net/aozorasearch/をご紹介します。

Aozorasearchは、著作権切れになった文芸作品を書き起こしてまとめられた無料の電子図書館「青空文庫」に納められた膨大なコンテンツの全文から、キーワード検索できるサービスです

今回ご紹介した甲斐絹の記述事例の大半は、このサービスによってはじめて発見することができました。

このサービスを使って「甲斐絹」をキーワードにすると55件の検索結果がヒットします。(2023/9/28現在)

ためしに他の産地の織物の名前で検索した結果は、このようなものでした。


明治~昭和初期の文学作品での織物の登場頻度
*数字は
2023/9/28現在の検索結果のヒット数です
*2件以上のものをグラフにしました。
*単に「銘仙」など地名の入らないものは除きました。

[検索結果1件]
丹後縮緬、丹後紬、小千谷縮、宮古上布、八重山上布、首里織、花織
(ちなみにこれらの検索結果は多くが柳宗悦『手仕事の日本』でした)

[検索結果0件]
甲州織、桐生織、牛首紬、塩沢紬、久米島紬近江上布、村山大島紬、弓浜絣、置賜紬、小千谷紬、知花花織、本塩沢、信州紬、多摩織、本場大島紬、読谷山花織、伊勢崎絣、羽越しな布、二風谷アットゥシ、ミンサー、与那国織、十日町絣

*ちなみに地名を含まないため省いた「銘仙」で検索した結果は258件、「友禅」では215件ありました。
*Aozorasearch https://myokoym.net/aozorasearch/ 2023/9/28時点での検索結果

この結果は、実際の普及の度合いを表したものではなく、あくまで青空文庫に収録された文芸作品に取り上げられた数ではありますが、甲斐絹他の織物に比べても負けないような高い知名度を誇っていたことは確かなようです。

「文学の中の甲斐絹シリーズ」、次回以降はテーマをより詳しく絞って甲斐絹の描かれ方を見ていきます。

どうぞお楽しみに!



[参考文献]
*『近代以降の甲斐絹の生産・デザイン・技法に関する基礎的研究』 発行/山梨県立博物館(2022/3/31)
*『甲斐絹と文学散歩』 編集・発行/金子みすゞの詩を読む会(2013/9/20)
*『芳水詩集』 発行/實業之日本社 著者/有本芳水(1914/3/25)
*青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/
* Aozorasearch 青空文庫全文検索 https://myokoym.net/aozorasearch/

[甲斐絹 関連ページ]
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(五十嵐)