かつて山梨県の織物の中心地だった都留市の歴史や文化を伝える施設「ミュージアム都留」で、第28回国民文化祭・やまなし2013で行われる甲斐絹展に先駆け、いま「プレ甲斐絹展」が開催中です。
少しだけ展示内容をご紹介します。
少しだけ展示内容をご紹介します。
まず、エントランスを入ると現れるのが、郡内で織られた生地を使った「甲斐絹タワー」。
上についている三角形のものは「吊るし雛」といって、昔の庶民の雛壇代わりに使われていた風習がいまでも残ったものです。
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エントランスの横には織り機が設置されていて、甲斐絹の体験をすることもできます。 そして、経糸には郡内織物産地ならではの「ほぐし織り」の経糸がかかっていました!! なかなかの細い糸がかかっていたので、織るのが難しそうです。 |
展示会場に入ってきました。 |
展示内容は三部構成になっています。
第一部は郡内織物の起源をたどります。歴史をさかのぼり、なんと飛鳥時代まで!!
第二部は織物産業として郡内織物産地として育っていったきっかけや過程をたどります。
第三部は織物組合の動きや「甲斐絹」の生産の向上など、郡内織物産地としての発展を紐解いていきます。
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こちらは昭和時代の原簿。
昔の商売の記録が記述されている貴重な資料です。
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変わり種の「甲斐絹」。
フランスのドレス地に裏地に甲斐絹を使った、なんともオリエンタルな羽織。
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こちらも変わり種、甲斐絹を使った綿入れ。
綿入れとは冬の防寒着であり、表地と裏地の間に綿を入れ仕立てたものとされます。
当時、とても高級品であったであろう「甲斐絹」のハギレを丁寧に繋ぎ合わせ、きれいな柄をつくりだしていて、作った人の布を大切に思う心が見てとれます。
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衝撃的なコピーですが、戦争と繊維産業との関わりもこのポスターが物語っています。
この当時、日本の絹織物は世界中で出回っており、戦争でアメリカに絹織物が輸出されなくなったのが、絹に代わる繊維「ナイロン」の開発のきっかけになったという話もあるそうです。
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甲斐絹のことを丁寧に説明して頂いた知念さん。
驚いたことに知念さんは今年の4月に「ミュージアム都留」に就職し、今回のプレ甲斐絹展を周りの手助けはあったものの、ほとんど一人で企画したということ!専門的な布のことをここまで調べ上げ、分かりやすく展示している知念さんに脱帽でした。
実際の展示ではブログでご紹介できなかった、あんなことやこんなことまで、詳しく甲斐絹のことが展示されているので、是非見に行ってみてください。 |
「プレ甲斐絹展情報」
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