2022年3月28日月曜日

映画『千と千尋の神隠し』にみる「名前」と主体性の問題

ふだん山梨ハタオリ産地の活動を伝えるなかで考えた、名前主体性のことについて少しまとめてみようと思います。

映画『千と千尋の神隠し』を題材に、名前主体性というテーマについて織物産地と関連させてお伝えするような内容になります。

今回の内容は、前回の「遊びと仕事の境界線」の続編にあたります。


まず、山梨の郡内織物産地は一般の人にまだまだ知られていない、という状況について考えてみます。

知られていないのは、情報発信が足りていないからだ、という議論は当然あると思います。

現在の視点から見るとそうですが、しかしより正確に言うと、ここで考えたいテーマは、かつては一般の人に知られていたのに、どうして知られなくなったのか?という問いについてです。

江戸時代や、明治~戦前にかけては、山梨県の織物郡内島(郡内縞)甲斐絹という名前で広く知られていたことが知られています。

江戸時代や明治時代の文芸作品に生地の名が残されていることからも、かつては産地の名が広く浸透していたことが分かります。

しかし戦後、和服から洋服に服飾文化が変化し、また高度経済成長とともに生産・流通システムが変化する中で、産地が自らの名を冠した織物を作らなくなっていきました。

郡内産地は経済的には非常に豊かな成長期を迎えましたが、その代わりに自分の名前を世間に向かって伝える手段を失ったとも言えます。

誰もが知るような有名ブランドの生地をたくさん作っていても、それをみだりに言ってはならない、という商取引上の強い制約があったことも背景にあります。

現在でも洋装化したファッション産業において、ほとんどの製品に生地産地の情報は表示されていません

名前を名乗る機会を失ったまま、生産量が下降線をたどり続けたあと、新しい取引先や販路を開拓しようとしたとき、産地工場の人々は、自分たちの産地のことを誰も知らなくなってしまっていることに驚かされ、またそれがハンディキャップになってしまっていることに気づきました。


ここで紹介したいのが、映画『千と千尋の神隠し』 © 2001 二馬力・GNDDTM に見られる名前と契約に関するシーンです。

主人公の千尋が、両親を救うため湯婆婆に雇ってもらうシーンで、千尋はなんとかねばって雇用契約を結ぶことに成功します。

しかしこのとき、雇用主の湯婆婆は、契約時に千尋の名前をに変更してしまいました。

これは単に書類上の操作ではなく、恐ろしい魔法によって本当の名前を変えてしまい、仕事を与える代わりに、千尋から本当の名前を奪ってしまった、という状況です。

チャートにするとこのようになります。




上の図の下半分は戦後、郡内織物産地が名前を忘れられてしまった状況を重ねて書きました。

名前と仕事に関して、まったく同じような取引が行われていることが分かります。

ガチャマンや高度経済成長という好景気の裏で、それまで知られていた名前を失ってしまったという状況は、千尋が湯婆婆と交わした雇用契約に非常によく似ています。

これは郡内織物だけでなく、他の地域、他の産業にも、きっと同じことが起こっているのだろうと思います。


名前を奪われることのリスクについて、映画『千と千尋の神隠し』ではハクという少年をとおして名前を奪われると支配され、その結果、帰り道がわからなくなる>という風に描写されています。

本来の自分を取り戻すことができず、名前を奪った者に従属した状態から逃れられないでいるハクの姿からは、古くからの業界の慣習や関係性の中で苦しんでいる産地の姿を連想することもできます。


映画『千と千尋の神隠し』では主人公の千尋は、ハクの助言により本当の名前を忘れずに大事にとっておいたことで、両親を救うことができ、またその過程でハク本当の名前を取り戻すことに成功してハッピーエンドを迎えます。

この映画のメッセージを自分なりに解釈すると、「名前」アイデンティティ主体性を表しており、それを奪われていることさえ忘れかけている人々に対して、名前を取り戻せ主体的存在に立ち返れ、と言っているのではないかと思います。


映画『千と千尋の神隠し』では、2001年の公開から20年間、日本映画興行収入の第一位の座を守ってきました。

この映画がヒットした理由のひとつには、この時代に生きる私たちにとって、「名前」というテーマや、その意義が非常に大切だったということがあるのではないでしょうか。

そして非常に興味深いのが、2016年に公開されて興行収入第二位となった映画も、ズバリ「名前」に関する映画、『君の名は。』(C)2016「君の名は。」製作委員会 だったことです。





↑映画タイトルの下に赤字で書いたのは、描かれているテーマをざっくりとまとめたものです。

当時の日本映画歴代興行収入のトップ2が、どちらも忘れられかけた名前を取り戻そうとする話であることは、単なる偶然でしょうか?


そして2020年秋になると、このランキングは大ヒットした映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』©吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable によって書き換えられました。

また2021年には、映画化・アニメ化もされた漫画『進撃の巨人』©諫山創・講談社 が大人気のうちに完結して話題になりました。

これら二つの作品はどちらも、主人公が物語の序盤で、現実に目を向けて立ち向かう決断をする点に共通性があるように思えます。


『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』 では、人を甘い夢の中に閉じ込めようとする敵に遭遇し、主人公たちはいったんその夢に取り込まれながらそれを断ち切り、目を覚まして戦います。

『進撃の巨人』では、巨大な壁の中に閉じこもり100年間も平和を享受した街が、初めて壁を破って侵入する敵の襲撃を受け、主人公たちは壁外の現実に向き合おうと立ち上がります。

最初の2作品とこれらの作品を合わせて、どんなメッセージが作品に込められているかをまとめてみました。

ABという記号で結んだペアは、それぞれのペアでテーマに共通性があることを表します。

そしてABはこのように翻訳することができるのではないでしょうか?

この二つの問いかけは、まるで現代の社会、そして産地に対して投げかけられた問いであるようにも思えます。

夢や壁に象徴されるものとは何かその外にいる脅威は何を意味するのか?

そう考えるといろいろなことが物語に重ねられて見えてくるような気がします。


「古くからの大きなシステムに従属した存在であることに限界を感じるのなら、自分が誰なのか?と自ら問いかけ、どうやったら主体的な存在に立ち戻れるか、どうしたら名前を取り戻せるかを必死に考え、現実に立ち向かおう。」

これらの映画や漫画作品は、フィクションの物語という形をとおして、こんなことを私たちに伝えているのではないかと思います。


次回はこの延長線上で、デザインとは何か、というテーマについて考えたいと思います。


(五十嵐)