明治~昭和初期の文学に描かれた甲斐絹を紹介するシリーズ、第3回。
今回は、甲斐絹の色彩と題して、文学作品の中で甲斐絹がどんな色として描かれていたかを紹介します。
ではさっそく、明治~昭和初期の22作品、24の事例で登場する甲斐絹の色を見てみましょう。ランキングは以下のようになっています。
このように、上位二つが「鼠」と「黒」、この2色の無彩色だけで過半数を占めていました。
甲斐絹は裏に派手な色柄を用いる『裏勝り』の美学のあらわれだ、という文脈で語られることが多いですが、実際には少なくとも色彩のイメージでは、どちらかというと地味なものとして認識されていたことが伺えます。
ただ、夏目漱石の『虞美人草』にある「羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。」という表現のように、色は地味であっても、きらきらとした光沢感という意味では華やかさが感じ取られていたことは確かでしょう。
それでは次に、実際の作品でどんな風に甲斐絹の色が描かれていたかをランキング順にご紹介します。
[鼠甲斐絹]
幸田露伴 『野道』(1916 大正5)
鼠甲斐絹のパッチで尻端折、薄いノメリの駒下駄穿きという姿も、妙な洒落からであって
吉川英治 『剣難女難』(1925 大正14)
重蔵も千浪も同じような鼠甲斐絹
吉川英治 『鳴門秘帖 江戸の巻』(1926 昭和1)
ヒョイと見ると鼠甲斐絹(ねずみかいき)の袖に、点々たる返り血の痕――。
・ ・ ・
鼠甲斐絹(ねずみかいき)のかげ寒く、代々木の原を走っていた。
三遊亭圓朝 『粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)』(発行年不詳)
麻裏草履を結い附けに致しまして、鼠甲斐絹の女脚半をかける世の中で
三遊亭圓朝 『鹽原多助一代記』(発行年不詳)
鼠甲斐絹の脚絆に、白足袋麻裏草履という姿ですから
林不忘 『つづれ烏羽玉(うばたま)』(発行年不詳)
鼠甲斐絹の袖無着(ちゃんちゃんこ)
三木竹二 『いがみの権太』(1896 明治29)
上に盲目縞の海鼠襟(なまこえり)の合羽に、胴のみ鼠甲斐絹(ねずみかいき)の裏つけたるをはおる。
[鼠の甲斐絹]
夏目漱石 『虞美人草』(1907 明治40)
羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠の甲斐絹である。
[黒無地]
中村星湖 『少年行』(1907 明治40)
一口に甲斐絹と云って了ふものの、絵甲斐絹もある。縞甲斐絹もある。白無地もあり黒無地もあり、
[黒い垢すりの甲斐絹]
芥川龍之介 『戯作三昧』(1917 大正6)
黒い垢すりの甲斐絹が何度となく上をこすつても
[黒の甲斐絹]
林不忘 『丹下左膳 日光の巻』(1934 昭和9)
裏にすべりのいいように黒の甲斐絹か何かついている
[黒い甲斐絹(タフタ)]
リットン・ストレチー/片岡鉄兵訳 『エリザベスとエセックス』(1941昭和16)
黒い甲斐絹(タフタ)をイタリア風に裁断したドレス
[白い甲斐絹]
水野葉舟 『帰途』(発行年不詳)
白い甲斐絹の襟巻を首に巻きつけていた
[白無地]
中村星湖 『少年行』(1907 明治40)
一口に甲斐絹と云って了ふものの、絵甲斐絹もある。縞甲斐絹もある。白無地もあり黒無地もあり、
[紺甲斐絹]
三遊亭圓朝 『政談月の鏡』(制作年不詳)
紺甲斐絹のパッチ尻端折
[紺無地甲斐絹]
林不忘 『丹下左膳 乾雲坤竜の巻』(1927 昭和2)
茶紋付に紺無地甲斐絹の袖なしを重ねて
有本芳水 『芳水詩集 断章十七 秋の朝』(1914 大正3)
ぬぎ捨てられた羽織の甲斐絹裏の赤い色が ちくちくと眼にしむさみしさ
[紅(もみ)の甲斐絹]
有本芳水 『芳水詩集 赤い椿』(1914大正3)
母が手先の針の色。赤い椿の花びらと 紅(もみ)の甲斐絹のくれなゐと 折折動く白い手と……。
[桃色甲斐絹]
近松秋江 『別れたる妻に送る手紙』(1910 明治43)
桃色甲斐絹の裏の付いた糸織の、古うい前掛に包んだ火熨斗(ひのし)が吊してある
宮本百合子 『悲しめる心』(発行年不詳)
紫の甲斐絹の着物をきせて大切にして居たけれ共
[蒼味の甲斐絹]
泉鏡太郎 『神鑿(しんさく)』(1909 明治42)
其時坐つて居た蒲団が、蒼味の甲斐絹で、成程濃い紫の縞があつた
[浅黄甲斐絹]
江見水蔭 『死剣と生縄』(1925 大正14)
浅黄甲斐絹の手甲脚半
[オレンジと朱と、わずかなグレイ]
増田れい子 『紅絹裏(もみうら)』(エッセイ集『白い時間』より)(1984 昭和59)
甲斐絹の色合いだけは覚えている。オレンジと朱と、わずかなグレイが組み合わさった格子柄であった。いいものだな、と思った。
以上、甲斐絹の色が表現された事例でした。
「紫の甲斐絹」、「蒼味の甲斐絹」のように「の」を入れて、甲斐絹を説明する修飾語として色名を使った表現のほかに、「鼠甲斐絹」、「紺甲斐絹」、「桃色甲斐絹」、「浅黄甲斐絹」のように、色名と甲斐絹がつながって、一つの単語のように用いられる表現があったことが興味深いです。
「文学の中の甲斐絹シリーズ」、次回も違った角度から甲斐絹の描かれ方を見ていきます。
お楽しみに!
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(五十嵐)