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2023年10月4日水曜日

文学の中の甲斐絹 ②甲斐絹のオノマトペ辞典

明治~昭和初期の文学に描かれた「甲斐絹」を紹介するシリーズ、第2回。

今回は甲斐絹のオノマトペ辞典と題して、甲斐絹を表現したオノマトペをテーマに作品を紹介します



オノマトペは、擬音語、擬態語などと訳され、日本語では重要な日常語として使われるだけでなく、最近では幼児の言語習得にも重要な役割を果たしていると言われます*1

そして織物の世界でも、視覚だけでは伝わらない風合いや肌触り、質感などが欠かせないことから、それらを表現できるオノマトペはとても重要な役割を担っています。

今回は、明治~昭和初期、リアルタイムで甲斐絹を体験した文人たちが、斐絹をどのようなオノマトペで表現したか?をご紹介します。


【さやさや/サヤサヤ】

北原白秋 『桐の花』(1913 大正2)
鳴りひびく 心甲斐絹を着るごとし さなりさやさや かかる夕に


谷崎潤一郎 『少年』(1911 明治44)
やがて信一は私の胸の上へ跨がって、先ず鼻の頭から喰い始めた。私の耳には甲斐絹の羽織の裏のさや/\とこすれて鳴るのが聞え、私の鼻は着物から放つ樟脳の香を嗅ぎ、私の頬は羽二重の裂地(きれじ)にふうわりと撫でられ、胸と腹とは信一の生暖かい体の重味を感じている。


野村胡堂 『銭形平次捕物控』(1941 昭和16)
「衣摺(きぬずれ)の音がします。近く寄るとサヤサヤと――」
「贅沢な辻斬だな」
 さやさやと衣摺れの音が聞えるのは、羽二重か甲斐絹か精好(せいごう)か綸子でなければなりません。


今回の調査では、一番目の北原白秋の短歌「鳴りひびく~」を発見できたことが、何よりの収穫だったと感じました。

「鳴りひびく心」と表現された、おそらく爽やかで晴れがましい凛としたような心情が、さやさやとした、薄手で軽やかな甲斐絹を身につけるときの気持ちに例えられています。

この美しく簡潔なことばの中に、甲斐絹の魅力がまるで宝石のように凝縮されているように感じられました。


次に紹介するのは、「しゃらしゃら」、「しゅしゅ」です。さやさやよりも、手触りや布の擦れる音が感じられます。

【しゃらしゃら】

伊藤左千夫 『春の潮』(1908 明治41)
おとよは女中には目もくれず、甲斐絹裏の、しゃらしゃらする羽織をとって省作に着せる。


【シュシュ】

宮本百合子 『砂丘』(1913 大正2)
「ナニ、ほんの一寸、だけど、またれる身よりも待つ身の何とかってね……」
女は洋傘の甲斐絹のきれをよこに人指し指と、中指でシュシュとしごきながらふるいしれきったつまらないことを云った。
それで自分では出来したつもりで、かるいほほ笑みをのぼせて居る。


次の二つは、「キュキュ」と「キキ」。いわゆる「絹鳴り」と言われる、新雪を踏むときのような音が感じられる表現です。

【キュキュ】

増田れい子 『紅絹裏(もみうら)』(エッセイ集『白い時間』より)(1984 昭和59)
羽織の裏、というのも面白かった。
背中と胴のほんの少しの部分にしかついていないが、さわるとキュキュと鳴る甲斐絹がついていた。銘仙か何かの羽織だったろう。

【キキ】

谷崎潤一郎 『蓼喰う虫』(1928 昭和3)
研(みが)き立ての光沢(つや)のいい爪が、指頭と指頭のカチ合う毎に尖った先をキキと甲斐絹のように鳴らした。


最後は、今回見つかったなかで唯一のビジュアル表現です。絹の上品な光沢が、暗い室内できわだっている様子が描かれています。

【きらきら】

夏目漱石 『虞美人草』(1907 明治40)
羽織の裏が、乏しき光線をきらきらと聚(あつ)める。裏は鼠の甲斐絹である.


以上、見つけられた甲斐絹オノマトペ6種類とその作品でした。

こうしてみてみると、甲斐絹は手触りや風合いもさることながら、「音」が感じられるオノマトペが多いことが特徴のように思えました。

当時の生活者にとって、甲斐絹「音」が身近に感じられていたことが分ります。


個人的にとても面白かったのが、谷崎潤一郎による「キキ」という擬音語です。オノマトペとしては聞いたことがないもので、おそらくは谷崎潤一郎による創作なのでしょうか。

「キキ」についてはちょっと余談になりますが、オノマトペに関連する言語学や心理学の分野で「ブーバ/キキ効果」として知られる専門用語があるのを思い出しました*2

音と形の結びつきを調べる実験の結果、「ブーバ」「キキ」という言葉が図形とともに提示されたとき、人は丸っこい形が「ブーバ」、尖った形が「キキ」に結びつくと推論する傾向があったことを指す言葉です。

「キキ」というオノマトペが実在し、それが著名作家の文学作品のなかにあるとは思わなかったですし、またそれが甲斐絹の風合いにもピッタリ合うことが発見できたのは、とても楽しい驚きでした。

「文学の中の甲斐絹シリーズ」、次回も違った角度から甲斐絹の描かれ方を見ていきます。

どうぞお楽しみに!


[参考文献]
*1『言語の本質』 著者/今井むつみ、秋田喜美 発行/中央公論新社  (2023/5/24)
2 ゆる言語学ラジオ(podcast)「怪獣の名前はなぜガギグゲゴなのか?ソシュールVSソクラテス!【音象徴1】 #27 メインパーソナリティー/堀元見、水野太貴
*『近代以降の甲斐絹の生産・デザイン・技法に関する基礎的研究』 発行/山梨県立博物館 (2022/3/31)
* 青空文庫 https://www.aozora.gr.jp/
Aozorasearch 青空文庫全文検索 https://myokoym.net/aozorasearch/

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(五十嵐)