今回は《遊び》という言葉をキーワードにして山梨ハタオリ産地の活動をふりかえり、仕事と遊びの関係について考えてみたいと思います。
タモリさんの名言にこういう言葉があります。
これはタモリさんが友人と遊んで過ごしている場面で口にされた言葉だそうです。
ふつうなら「遊びじゃねぇんだぞ」というはずが、「仕事」に逆転しているのがとても面白いです。
この言葉を知ったときに疑問に思ったのは、タモリさんはこのとき、なぜ「遊び」は真剣にしなければならないと思ったのだろう、ということでした。
そこから考えはじめたのが、こういうことです。
遊びといっても、いろいろある。
サボって休んでいたり、ボーっと何もしないで過ごすのも遊びという。
けれど「真剣にやるべき遊び」というものがあるを考えたとき、それはどのようなものだろうか?
真剣にやるべき遊びのことをカギかっこで「遊び」と書き、こんな風に考えてみました。
やらなくてもいいのに、やりたいからやる。
そういう遊びは、もし真剣にできないのなら、そもそもやらなければいい。
やるなら真剣にやるべきだし、そうでなければやる意味がない。
タモリさんの言葉が指している遊びとは、そういう種類の「遊び」だったのではないかと思います。
では、「遊び」の対義語はなんでしょうか?仕事?勉強?
【 遊び ー 仕事 】という単純な対比で、遊びの反対は仕事、と思いがちです。
しかしそれでは「遊び」を説明できないように思えました。
そこで「遊び」の反対を、非「遊び」と名付けたいと思います。
《 やらなくてもいいけど、やりたいから、自分がやると決めてやる 》のが「遊び」。
その反対は、《 誰かに言われたから/義務だから/報酬があるからやる 》こと。
やる理由が、行為自体の外にあるものだともいえると思います。
「遊び」と非「遊び」の違いをさらに考えてみます。
そうすると、主体的かどうか、自己目的的かどうか、というキーワードが重要であるように思えてきました。
自己目的的というのは、その結果から得られるものが目的ではなく、それをすること自体が目的になっている、という意味です。
たとえばジョギングを例に挙げます。
減量するためだけにジョギングをして、もし体重が減らなかったら、そのジョギングは全て無駄ということになります。
このときジョギングは自己目的的ではありません。
しかしジョギングを楽しむことが目的の全てだとしたら、それは自己目的的、「遊び」的な行為であり、体重が減らなくてもジョギングをしさえすれば、目的は果たせます。
そしてもしもその結果、ダイエットにつながったり、綺麗な風景に出会えたら、それらは全て目的達成以外のギフトになります。
同じジョギングという行為でも、どっちが楽しいかは自明です。
そして目的を何に設定するかというのは、主体的に決められることだと思うのです。
次に、普段の暮らしのなかで「遊び」にはどんなものがあるかを考えてみました。
いわゆる趣味といわれるものは「遊び」的なものでしょう。
やるかどうかは、やりたいかどうかで自分が決める、主体的な行動です。
しかし、場合によっては、義理、義務、何か外の目的のために、やりたくなくても、読書をしたり、絵を描いたりすることがあります。
「遊び」のはずが、非「遊び」的なものになっている。
こういうときは、気分が乗らず、良い結果が出ないことも多いことでしょう。
逆に、非「遊び」のはずが、「遊び」になっているとしたらどうでしょうか。
仕事の多くは、非「遊び」的なものが多いと思います。
しかし、仕事の全てが、非「遊び」といえるでしょうか?
いま皆さんがやっている仕事や学校の勉強は、「遊び」、非「遊び」のどちらなんでしょうか?
シケンジョで関わらせてもらった仕事の中から、2つの事例を紹介します。
一つ目は、フジヤマテキスタイルプロジェクト。
山梨ハタオリ産地の機屋さんと、東京造形大学のテキスタイルデザイン専攻学生たちが、一緒にテキスタイルや商品を開発する取り組みです。
この事業は、誰かからやってほしいと言われたのではありません。
2008年に光織物有限会社の後継者(現社長)加々美琢也さんが、自分から「学生とコラボしてみたい」と意思を表明し、それに賛同した内外のメンバーと一緒に始めたプロジェクトです。
予算も補助金もないし、こうしなければならないという決まりもない。
利益に直結するとは限らないし、何が得られるかもよくわからない、手探りのなかで、しかし期待と熱量を持ってスタートしました。
1年が過ぎて成果展が終わると、メンバーたちは、「ぜひもう一年!」と声をそろえて監修の鈴木マサルさんに懇願し、そのまま現在(2021年度の13年目)まで継続しています。
このプロジェクトを通じて何人もの若者が産地に行き交うようになり、産地の空気はこの前後で大きく変わっていきました。
これは「遊び」、非「遊び」のどちらでしょうか?
二つ目の事例は、ヤマナシハタオリトラベル。
織物工場が、中間業者に頼らずに、自分たちでショップを作って、県内外でファクトリーブランドを販売するプロジェクトです。
これも、誰かに言われて始めたのではありません。
2012年に有限会社テンジンの社長小林新司さんが営業先のエキュート立川から、一か月あまりの期間、駅ビルのイベントスペースを借りられる機会を得たときに、「せっかくだからみんなでやってみようよ」と声をかけてくれて、それに賛同したメンバーが集まって始まったプロジェクトです。
当初、これは非常に難しい取り組みなのではないか、という意見がありました。
複数の工場があつまって自力でショップを作るのも初めてだし、駅ビルのファッションフロアという場所も初めて。
むしろ下手に格好悪いディスプレイをしたら、イメージダウンになりかねない、というようなリスクがたくさんあるプロジェクトだとも感じられました
しかし最終的には、「どうせやるなら全力で取り組んでみよう」ということになりました。
その結果、この初の試みは話題を呼んで、数々の有名百貨店から出店オファーが集まるようになり、1回で終わるかと思った出店はその後何年も続いて現在に至ります。
そしてメンバーは消費者との出会いの場づくりという、今までしたことのない経験を経て、学びながら成長する実感と、大きなやりがいを感じることができました。
これは「遊び」、非「遊び」のどちらだったでしょうか?
おそらく仕事も学校の勉強も、「遊び」と 非「遊び」の両方からできています。
そして、「遊び」と 非「遊び」の割合は、工夫次第で変えられるのではないか。
非「遊び」的な内容でも、それにどう取り組むかで、その大部分を面白くてしょうがいない 「遊び」に変換できるのではないか。
フジヤマテキスタイルプロジェクト と ヤマナシハタオリトラベルは、産地の織物工場が成長するうえで大きな意味を持った活動だと思います。
その両方とも、補助金があるから、などの理由で誰かに言われたからではなく、自分からやってみたいと思い、主体的にやると決めたプロジェクトであったことは、大きな意味を持っていると思います。
誰かに言われて取り組む 非「遊び」的なものではなく、やりたいからやる「遊び」。
もちろんその実現には、多大な工夫と労力を要します。
しかしこの二つの真剣な「遊び」が、産地にそれを超える大きなエネルギーをもたらしました。
それには「遊び」が主体性と密接につながったものだということが、とても重要であるように思います。
大規模流通システムの小さなサブシステムである産地のなかで、なかなか主体性を発揮しづらかった織物工場。
この二つのプロジェクトは、彼らが主体的な挑戦、真剣な「遊び」によって、本来持っている力を取り戻し、新しい存在へと成長していった事例であるともいえると思います。
「遊びと仕事の境界線」というタイトルで今回はお送りしてきました。
その「境界線」は自分で引き直すことができるし、主体的に決めることが自分のエネルギーを引き出す鍵になるのではないか。
そんなことをお伝えしたくて、大学や高校での授業に招かれたときにお話ししていることをブログにまとめてみました。
考えてみると、このシケンジョテキの原稿を書くというのも、真剣な「遊び」の最たるものかも知れません。
(おまけの解説)
「遊び」という言葉でプロジェクトを振り返ってこのブログを書いた背景には、組織学者のカール・ワイクという人のこんな言葉がありました。
組織が戦略を定式化するのは、
それを実施した後であって、前ではない。
人は何かをやってみてはじめて、それを振り返る
ことができ、自分がやったことを戦略と結論するのである。
カール・ワイク Karl E. Weick
フジヤマテキスタイルプロジェクトとヤマナシハタオリトラベルのどちらについても言えるのは、あとになって「このプロジェクトの意義はこういうことだったんだ」と気付くことが多かったということです。
得られた結果が想定していた目標を超えていたり、想像していなかった所から成果が得られることが多くあったと感じられました。
戦略というのは普通、ある目的が達成した状態から逆算して、計画的に組み立てられるもののように思えます。
しかしプロジェクトをやってみると、本当の目的は始める前にはわからなかった、ということが多い気がします。
カール・ワイクの言葉は、そんな状況を的確に描写していると思います。
しかしそうすると、「前もって明確で正確な目的のための戦略を立てることができないなら、どうやって作戦を考えれば良いのか?」という疑問も生まれてくると思います。
その答えになるのかもしれないのが、「遊び」、主体的、自己目的的というキーワードにあるように思えました。
一応の目的を設定し計画を立てるにしても、それが「遊び」的かどうかを評価基準にする。
それを行うこと自体が目的になるくらい「やりたい」、と思えるやり方、切り口を探る。
知恵を絞って工夫をこらし、自分が時間を忘れて夢中になれる「遊び」を真剣に仕掛けること。
そうしたときに、潜在的なエネルギーが引き出され、プロジェクトがドライブし、想定を超えた成果が得られる可能性が高まるのではないか。
そして振り返ってみた時に「自分がしたのはこういう戦略だったんだ」、と確認できる結果につながるのではないか、と思いました。
(五十嵐)