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2024年4月18日木曜日

coconogacco exhibition 2024 トークショーでお話ししたこと

ここのがっこうの修了展、『coconogacco exhibition 2024 in Fujiyoshida』の初日、2024年4月13日の17時45分から、都内からチャーターバスで訪れたファッション業界の方々、ここのがっこうの受講生のみなさん、地元の方など約60名を対象にトークショーが開催され、登壇してお話しさせていただきました。



トークショーは、ここのがっこうの主宰、山縣良和さん、ここのがっこう講師でもある、家安 香さん、そしてシケンジョの五十嵐の3名で行われました。

上の写真の背後に写っているFUJIHIMURO(旧製氷・貯蔵所)をはじめ、旧山叶(元機料品販売会社)、旧糸屋、旧喫茶ニコルなど、富士吉田市内の歴史あるさまざまな場所に展示されたここのがっこうの受講生による作品、そして産地生地展「Yamanashi Textile Index」を巡ってきた方々が、帰路のバスに乗車する直前、夕暮れ空の下で集まり、トークショーが行われました。

録音もなかったのでトークショー全体は難しいのですが、自分がお話しした部分だけならテキストで再現することができるので、また富士吉田でその日に人々が集ったことの意義について産地側の視点から改めてお伝えできたらと思い、五十嵐パートを講義録の形でここでご紹介させていただければと思います。

以下、coconogacco exhibition 2024トークショーで話した内容を、記憶を頼りに再構成したものです。


まず、ここのがっこうの修了展の場として富士吉田産地を選んでいただいた山縣良和さん、そして山縣さんのお招きに応じてお越しいただいた皆様にお礼を申し上げます。

 *辺境ということについて

この地で皆さんとこうしてお会いしていることの意味を、どのように捉えることができるかを、私なりにお話ししたいと思います。

いきなり飛躍した話題からになりますが、ジミ・ヘンドリクス&エクスペリエンスの三枚目のアルバムに『AXIS : Bold as love』というのがあります。このタイトルのBold as loveという部分はともかくとして、AXIS とは何のことだろう、と思って調べたことがありました。

すると、比較神話学のなかで使われる「世界軸」という言葉があり、どうやらジミヘンのAXISは、それを意識したものらしいということが分りました。

世界軸とは、world axis、cosmic axis などとも表され、世界各地の神話の中に共通して現れる要素の一つであるそうです。世界軸が何の軸かというと、それは人間世界と天上界、神々の世界を繋ぐ軸であって、世界の中心軸としても捉えられるものであると。

それらが具体的にはどんなものなのかというと、例えばそれはある地域では世界樹という巨大な伝説上の木として現れ、北欧では夏至まつりで使われるメイポールという高い木の棒がそれであり、またメキシコやエジプトで建造されたようなピラミッド、高い塔なども世界軸にあたるとされています。

そうした事例のなかで、富士山も世界軸の一つだ、という記述があったことに驚かされました。

高い山が信仰の対象になるのは、世界軸という観点からも説明できるのだと。ジミヘンのアルバムタイトルから始まった調べ物が、地元につながった瞬間でした。

確かに富士山は、昔から信仰の対象で、富士山頂に向かうというのは神の世界に近づくことでもあったろうと思います。またこの富士吉田は、織物の街である前から、じつは富士山信仰の巡礼地として栄えてきました。江戸時代にも、今日の皆さんのように富士山を目指して人々が訪れていたわけです。

富士山とはそういう意味で神の領域であって、そしてこの街は、人間の世界と神の世界の境界に位置しているとも言えます。

今日、皆さんは東京を出発して、こちらに向かっていくうち、だんだん大きなビルが減り、建物が少なくなって緑が増えていくのを見ながら、やがて山に囲まれたこの街に到着したと思います。ここからさらに富士山の方へ向かうと、あと3キロも進めばついに建物はなくなって動・植物だけの世界になり、さらに上ると、岩だらけの草木も生えない世界になります。

この街は地理的にも、東京から見ると、ここから先にはもう何もない、という人間社会の端っこであり、いわば辺境であると言うことができると思います。皆さんは、東京という人間世界の中心から、その端っこの辺境までやってこられたのだと。

地理的に見ると周辺の辺境でありますが、それは人間世界と、神の住む世界の境界でもある、ということが興味深いと思っています。

辺境というと地元の方に怒られてしまいそうですが、決して悪い意味で言っているつもりはありません。辺境だからこそ、このような展示が行われるのにふさわしいのだろうと考えています。

というのも、実は3月末に、ここのがっこうの講師をされている江本伸悟さん、受講生の川尻優さんをお招きして、ここのがっこうについて学ぶセミナーを開催しました。そのなかで江本さんが、ここのがっこう論、そして山縣良和さんのクリエーション論を語ってくれ、その内容がとても印象的で感動しました。

そのときの山縣さんのお話しでは、山縣さんの過去のファッションショーとして行われた「ゲゲ」という妖怪たちのファッションショー、戦死者のための「After Wars」、魔女をテーマにした「For witches」などが語られました。

それら妖怪、死者、魔女のような存在は、人間社会に居場所のなくなった、周辺にいるものたちです。平均的な大多数の人間像である中心的な存在ではなく、辺境といってもいい位置にいるそういう人たちのための服を作ることをとおして、山縣さんは新しいファッションを目指しているのだと。

そんな山縣さんが、地理的な辺境、神話的な境界に位置するといえるこの富士吉田を選び、辺境からここのがっこうの発信をするというのは、とても腑に落ちる、意味があることのように思えます。

 

*分解について

最初にこの街でここのがっこうの展示が行われたのは2021年で、その時のテーマは「クリエーションの分解」でした。クリエーションを分解するということで、制作物だけでなく、制作の過程も紹介する展示でした。イベント全体で分解という言葉がキーワードになっていて、その言葉が今でも気になっています。

その時のトークイベントの中でも語られたことだったと思いますが、生態系のなかの分解についての話がありました。

生態学では、植物のことを独立栄養生物、と呼ぶことがあるそうです。生物のなかでも無機物から有機物を作ることのできる存在が植物で、それが独立栄養生物だと。そして植物を食べ、植物の作る有機物に依存している生き物が、従属栄養生物と言われます。私たち動物や昆虫などがそうです。どちらも聞きなれない言葉ですが、いまは理科で習う言葉だそうです。

そして生態学では、独立栄養生物のことを「生産者」、従属栄養生物を「消費者」とも呼ぶそうです。生産者、消費者というと、ファッションの業界でも同じ言葉を使います。

しかし生態系では、生産者と消費者のほかに「分解者」がいて、生物の死骸や排泄物を分解し、もういちど無機物に戻して、植物がそれを利用できるようにする。ファッションにおいても、そういう分解者という存在が必要だというのが、近年のリサイクルやSDGs、サステナビリティという文脈のなかでも登場して、世界の大きなトレンドになっていると思います。

ここで思ったのは、そういう意味の分解だけではない、別の分解もあるのではないか、ということです。

先日の江本さんのセミナーで伺ったお話しのなかでは、ここのがっこうでは例えば「スカートとはなにか?」という問いかけが行われるということを知りました。丈がどれだけ短くなったらスカートではなくなるのか、紐みたいに細くなってもスカートなのか、というような。

それは違う言葉でいうと、スカートという概念を分解していく作業なのではないでしょうか。スカートとはなにか、服とはなにか、ファッションとはなにか。そういう概念をもう一度問い直し、あらためて定義する作業も、分解というのではないでしょうか。

他にも分解というのは、例えばいま私たちがトークショーでお話ししているように、何かを読み解いて解説したり、キュレーションをしたりということも、概念をときほぐして分かりやすくするというような、分解と言える行為ではないかと思います。

そして、今回展示されているような、ここのがっこうの受講生たちの制作も、作るという行為ではあるけれど、じつは分解から始まっているのではないか。さらにいえば、分解と生成がひとつのものになっているのではないか、そんな風に感じました。

そして、会場となったこの街の施設も、同じような意味で分解されているのではないかと感じました。

たとえば毎年展示を重ねていくなかで、昨年会場だった場所が今年は使えなくなった、ということが起こります。それは、会場だった空き家にテナントが入ったり、別の使われ方を始めたりしているためです。

かつては廃墟のような誰も使わない場所だったとところが、ここのがっこうの展示によって新たな役割や意味を与えられ、何の役にも立たない空き家、という存在から、違う意味をもったものに変化している。

それは元々の概念を分解されて、何かが新しく生成されたとも言えるのではないでしょうか。そういう意味で、街がこの展示によって分解され、再生成されている。そういう風にも見ることができるのではないかと思います。

そして先ほど、年々、受講生たちが街の空間とフィットして、レベルが上がっているというお話しがありました。それは、受講生たちがその分解という行為を通して、いわば街を食べ、自分の中に取り込むことで、自分も変化していった。その結果、街とのマッチングが高まっていった、という風にも捉えられるのではないかと思います。

 

*学ぶことについて

この街はかつて、いわば作るだけの場所でした。しかし近年、機屋さんたちはただ作るだけの存在ではなく、新たに価値を生み出し、それを伝え、消費者にまで届けるための言葉を紡いでいくような存在へと変わってきました。

それまでやらなかったことをする存在になっていくためには、新しいことを学ぶことが必要です。この十数年は、産地はそうした新しいことを学ぶフェーズであったという気がします。

だからこそ、コラボを続けている東京造形大学や、ここのがっこうという学びの場とも親和性が高いのかも知れません。

今後の未来も、家安さんがかつて言ってくれた「クリエイティブな未来都市」という言葉に相応しいものとして、作るだけでなく学ぶことのできる場として発展していく未来であるような気がします。

 

*最後に

辺境という言葉でこの街を表してしたことを地元の方が気を悪くなさらないと良いのですが、自分は辺境というのはとても重要な場所だと思っています。生物の進化でも、周辺においやられたものから新しい進化が起こるという例があるようです。

一般的には、ファッションやトレンドというのは文明の中心地で生まれて、それが次第に周辺に伝播していくと思われがちだと思います。しかし、家安さんや山縣さんがこの土地について、新しいものが生まれる場所としてふさわしいのだと、いつも示してくださっていることに非常に勇気づけられています。新しいものは中心で生まれるのではなく、辺境でこそ生まれ得るのだと。

辺境というのは英語でFrontierと言いますが、同時にFrontierには「最先端」という意味もあります。辺境とは最先端であり、新しいことが起こる場所なのだと。

ぜひこの辺境であり最先端でもあるこの富士吉田に、これからも視線を注いでいただければありがたいです。

今日はありがとうございました。



(五十嵐)