2012年10月25日木曜日

ファイルNo.17「大正13年~昭和3年 収集見本帳」

シケンジョに眠るビンテージテキスタイルの紹介コーナー「シケンジョ書庫より」です。

大正13年から昭和3年にかけて集められた生地見本帳からの画像です。無地やストライプ、ほぐし織りまでさまざまな生地が集められています。
特にほぐし織りの生地見本はなかなか面白いものがありました!

ほぐし織りとジャカード織りをミックスした生地。

ほぐし織りでも普通の染生地とは違う立体感があるのですが、さらにその上からジャカード織りで柄がつけられています。なんとも不思議な奥行き感のある生地です。
一体何の柄でしょうか?
葉っぱ?
羽?
アジの開き?
想像は広がります。
上の生地の色違い
ほぐし織りで織られたアサガオ柄の生地。
レンコンみたいな葉っぱがなんともキュートです。


(高須賀)

2012年10月9日火曜日

濡れ巻きサテンの輝き

濡れ巻き技術をつかって織られた、シルクサテンの生地の撮影をしました。


これは最高級のウェディングドレスに使われる生地。
21中×2本という極細のシルクを高密度に織り上げ、「鏡のようなサテン」と謳われた濡れ巻きならではの光沢を見せています。






「濡れ巻き」というのは、山梨県織物産地に独特の伝統的な整経技法です。濡れ巻き整経では、染色する前に経糸本数×整経長の糸の束を作り、経玉(へだま)という糸の塊を作ります。経玉にすることで、糸を染色屋さんへ持って行くときなど移動の際も糸が傷まず、またコンパクトなのでこのままの形で保管するにも適しています。
経玉(へだま)

昭和30年代まではほとんど全てといっていいくらい普及していた濡れ巻き整経ですが、いまでは職人の高齢化などでわずかに残っているのみとなっています。
濡れ巻き整経で作られたシルクサテンは、普通の機械式の部分整経機で作られたものと比較しても光沢度が高いという結果が、シケンジョで行なった研究によって明らかになっています。

* 光沢度の比較 *


濡れ巻き整経と部分整経を比較するため、整経方法だけを変えて同じ原糸をつかって同じ釜で染色し、同一織機で製織した生地を計測した。測定角度は、光沢度を計測する際の生地の角度を経糸方向から22.5度ずつ変化させた値。タテ出しサテン組織のため、経糸方向のときに最も光沢度が高くなっている。『濡れ巻き技術に関する調査研究』(山梨県富士工業技術センター)

思えばお蚕さんが吐き出した糸はとうぜん100%天然素材です。天然繊維でこのような宝石のような光沢が生まれるなんて、不思議じゃありませんか?

シルクは、19世紀にビスコースレーヨンが発明されるまで、数千年の長い年月にわたって、世の中で唯一のフィラメント糸でした。このシルクを使って最高の光沢をもたらすように発達してきた濡れ巻き整経の技。シルクの魅力を最大限に発揮する、ヤマナシ産地ならではの輝きです。

この生地は濡れ巻き整経でシルクサテンのドレス地を製造する日本で唯一の織物企業、宮下織物(株)で作られています。

ヤマナシ産地では、他にも濡れ巻き整経で生地を作り続ける機屋さんがありますので、またいずれご紹介したいと思います。


〔おしらせ〕

宮下織物さんも参加しているTN展が、11月6日(火)~7日(水)に東京・青山で開催されます。
ここでご紹介した濡れ巻きサテンも、「品番2300」という名前で出展されますので、興味のある方は現物を見に行ってみてはいかがでしょうか?

 日程 平成24年11月6日(火)~7日(水)

 会場 
スタジアムプレイス青山 (〒107-0061 東京都港区北青山2-9-5)



(五十嵐)


2012年10月5日金曜日

「OLD FABRIC COLLECTION Visual Index」

シケンジョに保存されているビンテージテキスタイルを二冊のブックにまとめた「OLD FABRIC COLLECTION Visual Index」を製作しました!!



本ブログでシケンジョに眠るビンテージテキスタイルを紹介するコーナー「シケンジョ書庫より」でもおなじみの、シケンジョに眠るビンテージテキスタイル。

このテキスタイル資料はシケンジョが明治から昭和にかけて収集したもので、産地内外の5000点以上のものが生地見本帳として集められています。集められた生地の中には今では作ることのできないような技術で作られたお宝級の生地や、今の目線で見ても素敵なデザインの生地などもあり、それらをピックアップ、画像データ化して産地企業の皆さまに閲覧しやすいようにブックにしたのが「OLD FABRIC COLLECTION Visual Index」です。

余談ですが、このブックは印刷、製本、帯付けまで、すべてシケンジョで行って作った、オールハンドメイドなブックです。そのため、多くは発行できておらず、今のところ世の中に20組しか存在していないスペシャルなブックなのです。

ブックはページ数が二冊合わせて80ページ。1ページが1冊の生地見本帖とリンクしており、シケンジョ書庫のある生地見本帖の検索本としてもつかうことができます。
「OLD FABRIC COLLECTION Visual Index」があれば、生地見本帳をいちいち開かなくても、気になるサンプル生地を見つけることができるのです。

ブックの中身はこんな感じ。


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生地見本帳(現物)の閲覧について
常時一般公開はしていませんが、研修や視察、織物研究開発の為の参考資料として閲覧することができます。閲覧を希望の方は山梨県富士工業技術センター(シケンジョ)にご一報ください。

受付
月曜日~金曜日 8:30~17:00(土日、祝日、年末年始は除く)

お問い合わせ
山梨県富士工業技術センター 繊維部
TEL.0555-22-2101 FAX.0555-23-6671
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気になった人は是非シケンジョまでご連絡の上、現物のビンテージテキスタイルを見に来て下さい。

特に繊維産業に携わる方にとってビンテージテキスタイルが保存されているシケンジョ書庫はお宝の山に見えると思いますよ。

(高須賀)

2012年10月2日火曜日

八王子産地へ行ってきました ② <みやしん訪問>

 9月21日(金)、ヤマナシ産地(富士吉田&西桂)の機屋さんと一緒に、八王子織物産地を訪問してきました。

 シルクスクリーンプリントで日本の先端ファッションブランドを支える奥田染工場さんを後にして向かった先は、みやしん株式会社。

 みやしんといえば、つい先日、繊研新聞誌上で廃業が衝撃的に報じられたばかり。その約1週間後におじゃますることとなりました。
 今回の訪問は、みやしんの社内ブランドとして活躍し今秋独立予定の「COOVA(コーバ)」の瀬谷志歩さんからのお誘いがキッカケで実現することができました。
 
 みやしんを率いるのは、社長の宮本英治氏。数々の独創的なテキスタイルを開発し、イッセイミヤケなど日本のファッションブランドが世界へ羽ばたくのを後押ししてきた、テキスタイル界の重鎮と言える方です。
みやしんHPより抜粋>
『… 国内外の多くのデザイナーやアパレルブランドに素材提案し、取り上げられる。又、天然繊維を使ったラスティック素材の開発、プラズマ・カットやアルカリ強縮などの後加工の開発、多重織ストールや立体織スカート、チューブトップ、キャップマフラー、プリーツ織などを開発し、常に時代を先取りした創造力は海外でも高く評価され、ヴィクトリアアンドアルバート美術館、ニューヨーク近代美術館、セントルイス美術館などにパーマネント・コレクションとして収蔵されています。又、業界への貢献や高い技術力、豊かな創造力により、ミモザ賞(日本)やエミー賞(米国)を受賞』
 

 みやしんは、ことし10月いっぱいで長い歴史に幕を閉じることになりました。
 ジャパニーズ・テキスタイルのひとつの時代が終わりを告げるといっても過言ではないこの時期に、みやしんを訪問させていただける機会が得られたのは、非常に意義深いことだったと思います。


 国道16号と多摩川、JR中央線、京王線に四方を囲まれた、静かな八王子郊外にみやしんはあります。

  下は、みやしんの企画室。
企画室とは言っても、スタッフはここではなく、たいがい工場の方にいるそうです。企画書、生地サンプルのストックルームのようになっているのが、みやしんさんらしいです。

山と詰まれたサンプルたち。いったいどのくらいの価値があるものか、見当もつきません。

 では工場に入ってみましょう。ドビー織機が14台あり、そのうちレピアが4台、小幅が4台。いずれも長年使い込まれた貫禄があります。ジャカード機は20年くらい前から使われていないそうです。ジャカードの自由度よりも、密度や織り幅の自由度を優先させての判断ということと思われます。



電子制御のドビーもありますが、こんなアナログなものも(下)。
ヤマナシ産地では見られない3連のペックに目を奪われます。写真中央は、3連のペックを制御するペック。織物組織と織機を知り尽くしていなければ、使いこなせそうにありません。
(ちなみにペックとは、どの綜絖を動かすかの情報が金属のピンで埋め込まれたいわば紋紙にあたるもの。写真のペックは、さらにどのペックを使うかの情報が埋め込まれています。)

通路の天井には、綜絖のストックが。いたるところにもの作りの歴史が刻まれています。








ヤマナシ産地の機屋さんも興味深く織機を見学。ふつう、機屋さんは他の機屋さんに工場を見せたがらないもの。このようにオープンにしていただけるのは、昔なら考えられないことでしょう。

これはツボでした。繰り返し機にかかっているのが、全部違う色のカセ。これぞ小ロット対応です。

2階に展示されたみやしんのテキスタイルたち。ひとつひとつの密度が濃いです。これら全て、タテ糸とヨコ糸が直角に交わって作られたもの、という言葉では理解不能な作品ばかりです。まるで生き物ののような自然なフォルムの背景に、織物の限界に挑戦する宮本さんの創造力が隠されています。

 織り上がったときにはプリーツになっている、組織のマジック。

収縮した層、糸が飛んでいる層、オーガンジー層の3層織物。「耳は両端についているもの」という固定概念が吹き飛ばされました。

アレンジワインダーによる糸が生み出した絶妙なカラー。

そして、ひととおり工場見学を終えた私たちの前に、みやしん株式会社の宮本英治社長が登場。多忙ななかお時間をいただき、みやしんの考え方など、これまでの歩み、現状を踏まえたメッセージを伝えていただきました。


「革新の連続の結果が伝統であり、革新継続の心は伝統より重い」



みやしんは1948年に創業し、当初は着物の生地を作っていたそうです。
宮本社長は、着物の歴史を踏まえて、革新の重要性を訴えます。
「日本には、1000年続いた着物の伝統があり、世界的に誇るテキスタイルがありました。
 江戸時代の中~後期には、世界ではじめてのファッションショーが開かれたほどです。
 着物はヨーロッパのファッションにもすごく影響を与えてきた。

 でも残念ながら、その素晴らしい伝統は、明治時代以降、洋服文化にとって代わられてしまった。
 そして『伝統的な産業』として認定されることによって、革新の連続で育ててきたものが、江戸末期のものでストップして、その時点の姿を保つ、ということになってしまったんです。」


日本の素晴らしい着物文化は1000年続いた革新の結果。そんな意識から生まれたのが、太字で示した上のフレーズ。当日、私たちに配られた資料の標題にもあった言葉です。
みやしんの行なってきた革新の継続は、多くの人が知るところです。


「綜絖枚数が12枚として、たて糸12本、よこ糸12本あったとき、その中にどのくらいの組み合わせがあるか。
そこには12×12で、144か所の交点があります。その中にある組み合わせは281兆の3乗という、無限といってもいいバリエーションがある。そこに理論と感性、発想を組み込んで、いろいろな織物を作ろうというのがみやしんのもの作りです。」

宮本社長が手で拡げている緑色の織物の生地(写真上)は、鎖や知恵の輪のように絡み合った二層が一度に織られていて、適当にハサミを入れることでバラバラと広がっていきます。そのパフォーマンスに織物のプロが集まった参加メンバーも目を丸くします。
まさに無限の可能性があるんだということが実感される作品です。

そして話題は「廃業」の背景にも。


国産製品に力がなくなり、売れなくなってきた。売れなくなっても利益は確保したい。となると原価に対する上代の掛け率を上げるしかないが、常識的に考えれば掛け率が上がれば、上代も上がるのが当然。しかし、実際には上代は上げ難い。そうなると製造原価を下げるしかない。製造原価を下げる場合、一番影響するのはテキスタイル、次に縫製。弊社の様に開発経費がかかる布創りは生地値が高くなる為、将来性を考えた結果。



消費者、小売、アパレル、織物産地まで全体として、テキスタイルの価値が認められていない、伝え切れていないことが、こうした結果を生んでいるということでしょうか。
この部分については、客員研究員として同行してくれた鈴木淳さんのブログにも書かれていますのでぜひご覧下さい。




「そんな中、みやしんの布の出発点となり80年代からこれまで永い間支えてきてくれたブランドは最後の最後まで、展示会受注もなしに来年の店頭展開分迄も発注をくれ続けていることに心から感謝しています。」


そしてヤマナシ産地にもこれからに向けてのメッセージをいただきました。


「八王子だけでなく、皆さんも踏ん張りどころだと思います。どうやって生き残るかといえば、他にないようなものづくり、発想力。その結果として、できるだけ完成品に近いものを、出来るだけ消費者に近いところで、できれば消費者に直接売る。そうしないと生き残れない時代になってくると思います。そこがポイントかと思います。」

「みやしんは残念ながら撤退しますけれども、私自身はテキスタイル業界を去ることはありませんし、未来への遺産として次の世代に継承してもらう為、今迄のデータや生地資料の蓄積も、何らかの形で残せるようにしたいと考えています。」

…と語る宮本社長。


テキスタイルメーカーとしての撤退は決まってしまったけれど、違うかたちでみやしんの歴史は受け継がれ、さらに『革新の継続』を進めてくれることになりそうです。宮本社長の表情は、終わってしまった歴史ではなく、『これから』作られる時代のことを見つめているように思えます。

これまでさまざまな形でみやしんの
テキスタイルに関わった人々、そして2012年9月にみやしんを訪問した私たちは、それぞれの形でみやしんの廃業を受け止め、次の時代へ受け継いでいく責任を負っているのでしょう。

「みやしん」という名前は残していく、と宮本社長はおっしゃいました。
これからのみやしんに、大きな期待とエールを贈りたいと思います。



(五十嵐  写真:高須賀)